高田馬場駅の改札を出た。腕時計を確認している女の子を人混みの中に見つけるコトができた。侑(ゆう)ちゃんだ。彼女に近付いていく。腕時計から目線を上げた彼女は、おれの存在にすぐに気付いてくれて、歩み寄ってくる。
「すみませんアツマさん。昨日に引き続いて……。昨日のバッティングセンターだけなら良かったのに、今日もわたしのワガママで、高田馬場まで」
「謝る必要無いよ。バッティングセンターで打撃指導受けたいっていうのも、高田馬場の喫茶店で話がしたいっていうのも、断れない。おれはきみの『師匠』なんだからな」
自分から弟子入りを懇願してきた侑ちゃんのほっぺたが少しだけ紅くなった、気がした。
「おれ、今週は火曜以降は仕事を早く上がれないし。きみだって、アルバイトで忙しくて、今日のこの時間帯ぐらいしかスケジュールの空きが無かった。今を逃したら、話したいコトも話せなくなる。それはイヤだろ、侑ちゃん?」
彼女は真面目な顔でコクリと頷く。
昨日のバッセンとの違いは愛が居ないコトだ。なんでも、『愛に訊いても答えてくれないコトがあるから、アツマさんに教えてもらいたいんです』とか。愛のヤツ、いったい何を言い出したがらないのやら。『教えてもらいたいコトの中身は何?』と侑ちゃんに訊いたが、『当日のお楽しみです』というお返事が可愛らしいLINEスタンプと一緒に来ただけだった。
身長160センチか161センチ辺りと思われる侑ちゃんを見下ろしていると、気付いたコトがあった。会話が途切れる。侑ちゃんが戸惑いの色を見せる。
黒髪ストレートなのはいつもと変わりが無いのだが、
「……今日のきみ、高校生みたいだね」
という感想が、おれの口から自然と出てくる。
侑ちゃんがド派手にビックリする。眼は丸く大きく見開かれ、
「ほえっ!?」
という叫び声と同時に仰(の)け反(ぞ)ってしまう。
ここが高田馬場駅で良かった。人通りが絶えないから注目を浴びない。
しかし失言だったか。いきなり「高校生みたい」と言っちまった。発言は取り消せない。取り消せないが謝るコトはできる。だからそうしようとするが、
「どこが、どこが高校生じみてるんですか、わたし!? 教えてくださいアツマさんっっ」
と彼女に迫られてしまう。仰け反りから一転、距離を一気に詰めてきた。おれは文字通り迫られている。言っていいものか。答えていいものなのだろうか。しかし彼女の迫力は凄く、凄いがゆえに、
「ほら、スクールベストって、あるだろ? きみ、なんかそんな感じのを着てきてるから。高校の制服みたいに見えちまって」
下もスカートであり、しかも高校の制服スカートと言われても不思議が無いようなスカートなのだ。そうなのだが、スカートにまで言及するとドン引きされる危険性があるので、上だけに留めた。
「……アツマさん。」
シリアス風味濃厚な声と表情。目線はおれの胸のあたりに。
「もしかしたら、こんな服装だと、ル◯◯ールとかに入店できなかったりするんでしょうか……?」
「いやそれは無い。だいじょうぶ」
「わたし、JKみたいに見られるだなんて、ぜんぜん思わなくって」
「わ、わるかった、そ、そろそろ、移動してみよーか」
「だけど、そういう感想持つのも、アツマさんのオリジナリティで。流石はわたしの『師匠』だけあるって、そんな風に思うし……!」
侑ちゃん!? 移動してみない!? 歩き出してみない!? 立ち止まって向かい合ったまま、日が暮れてしまうよ!? 本来の目的、忘れないで!?
× × ×
疲労の兆しは否定できない。地下の某喫茶室に来たのは良い。半個室であるのも良い。椅子の背もたれがしっかりしているのも良い。しかし、侑ちゃんに対し「高校生みたいだ」と言ってしまったばかりに、彼女を激しく動揺させ、その余波であるかのように、疲労が背中に兆していた。
自慢の体力が何の役にも立たない。失言ひとつでこの消耗ぶり。どこからか、『デリカシーの無さが極まってるわね!! これだからあなたは……』という、本日不在のおれのパートナーの声が聞こえてくる。愛さん。キミの言う通りです。おれはデリカシー欠乏人間、欠乏人間……!
グッタリとなり、灯(とも)るランプを見上げる。どう考えても、これから話を聴いてあげるような体勢ではない。情け無さここに極まれりか。注文したブレンドコーヒーが着実に冷めていっている。注文のコーヒーに対するこの仕打ち。おれ、職業、喫茶店員。喫茶店員が喫茶店に来てこの不甲斐無さ……。ダメだ。喫茶店員として失格過ぎて、『冷めない内に飲んでやれなかった眼の前のコーヒーに、いつか仕返しされてしまう!!』という風な妄想すら浮かんできてしまう。
おいおいしっかりしろよおれ、飲み物が仕返ししてくるワケ無(ね)ぇだろ……みたいに、虚しく自分を励ます。残り少ない気力を振り絞り、正面の侑ちゃんに視線を向けてみる。カフェモカを頼んだ彼女は、カップの中をスプーンでクルクルと軽く混ぜている。
純粋な良心から、おれは、
「ケーキとか、食べたくない? お金なら、幾らでも出す。『師匠』だからというより、社会人だから。社会人の務めとして、ケーキ代を奮発するぐらいは……」
しかしながら侑ちゃんの顔に微笑が浮かび、浮かんだのに引き続いて彼女の笑い声が耳に飛び込んできてしまう。食い込んできた笑い声。なぜだ。おれは、彼女の笑いのツボを刺激するような発言なんて言ってないはず……。
「アツマさぁん」
楽しそうに楽しそうに、
「勤労の疲労、あるみたいですね。そんなご様子だと」
と言ってくる彼女。
「ま、まさかまさか。……ほらほら、昨日のバッティングセンターでは、おれ絶好調だったろ!? じ、自分で言うのもアレだが、体力は数少ない取り柄であって」
「『見えない疲れ』っていうコトバ、ご存知じゃないみたいですね☆」
あうっ。
おれと違って余裕ありまくりみたいな侑ちゃんだ。翻弄されてるぞ。翻弄レベル急上昇だ。本来の目的が遠のくほどの翻弄レベル。おれたちは果たして何を話しに地下喫茶室に……。
……そうだそうだ。侑ちゃんが、愛に関して知りたいコトがある。でも、愛に直接訊いたら、はぐらかされた。だから、おれの口から教えてもらいたいんだ。
おれは、精一杯背筋を伸ばし、
「んーっと、きみのお願い通り、愛がなかなか言ってくれない情報を提供したいワケだが。あいつがなかなか言い出さないコトって、具体的には?」
「高校時代のコトがもっと知りたかったんです」
「高校時代って、愛の高校時代?」
「そうです。愛の。思い出したくない過去とかがあるワケでもないはずなのに、あまり語ってくれないんです。それって、ちょっとズルいなー、って」
ふむ。
「そりゃー確かに、ちょいズルいな。あいつの高校時代は華々しい過去なはずなんだが」
「正確に言えば、女子校の高等部」
「そうだな」
「そんな環境に身を置いたコトなんてもちろんありませんから、気になるんです。わたしにとって高嶺の花みたいな環境。日本国内の私立女子校の中で飛び抜けて名門であるのは、誰も疑わず、疑えず」
「偏差値88とかだもんな」
「でしょう?」
軽やかな微笑みを見せて侑ちゃんは、
「アツマさんの言う通り、華々しさに包まれた日々を過ごしてたんだろうな、って想像するんです。不都合なコトもほんの少しはあったんだろうけど、そんな不都合が一瞬で霞んでしまうぐらい、甘くてステキな◯◯な想い出があったはずで」
「おれはもちろん、愛の女子校の中には立ち入れんかった」
と言いつつも、
「そうではあるものの、なんつっても、一貫して『ひとつ屋根の下』だったワケだからな。おれは、あいつの女子高生時代の様子を最も良く知っている人間の1人。否定のしようも無く」
「そーですよね。しかも、一貫して、彼氏彼女なカンケイで」
「……どうかね」
「愛がアツマさんに告白したのって、あの子の高1の夏休みのときで間違いが無いんですよね?」
「お、おぅ」
「だったら一貫して彼氏彼女と言って問題無いと思います」
「……そんで、何から知りたい? きみが、女子高生時代の愛に関して、いちばん関心があるコトって……?」
「たとえば、なんですけども」
身構えて、彼女のコトバを待っていたら、
「これ、わたしの勝手な推測なんですが。あの子って、横浜DeNAベイスターズの熱狂的なファンじゃないですか。だからきっと、JKだった頃から、『ハマスタデート』とか、アツマさんと結構してたんじゃないのかなー、って」
ぐぐぐぐっ。
痛いトコロを突いてくる。流石に、『弟子』は手強い……!
かろうじて、
「『ハマスタデート』ってワードは、どうなんかなぁ。ほら、語感的にだよ、語感的に。『横浜スタジアムでデート』ってキチンと言う方が、きみには似合ってる――」
「アツマさーん??」
「ん、んんんっ」
「わたし、アツマさんが今テンパり状態になってるとしか思えないんですが♫」
「……なんできみはそんな楽しそうなの」
「ええぇ〜〜、ニブくないですかぁ〜〜??」