【愛の◯◯】ジョン・キーツの詩集と、友情と。

 

「暑さがだいぶ和らいできた気がするわね」

「そうね。でも、暑さがまたぶり返してくるかもしれないわね」

そう言うアカちゃんはとても涼しげな表情で、とても涼しげな服装だ。

特に服装が、ファッション音痴のわたしには真似できない涼しさを醸し出している。どうホメれば良いのか難しいけど、とにかく服装をホメてあげなきゃと思った。

しかしここで蜜柑ちゃんがリビングに現れ、マドレーヌが山盛りになったお皿をわたしたち2人の間のテーブルに置いた。

「どうぞお召し上がりください」と言って蜜柑ちゃんがリビングを出ていった瞬間、アカちゃんはもうマドレーヌに手を伸ばしていた。マドレーヌを笑顔で味わうアカちゃん。

案の定……アカちゃんの手は止まらない。紅茶そっちのけでマドレーヌを取っては食べ、取っては食べ。あからさまに大食いキャラになっているのを眼にしたわたしは、ティーカップの中身を少しずつ啜っていくだけ。

あっという間にお皿のマドレーヌが残りわずかになる。

「ごめんなさい、食べ過ぎちゃった」

アカちゃんは謝る。『愛ちゃんはわたしの大食いキャラを熟知してるでしょう? だから、許容してちょうだいね』というメッセージを含ませつつ。

「良いのよ良いのよ。これでもあなたは太らないんだから」

「え……。『太らないんだから』って、どういう……」

クスクスと笑い始めてしまうわたし。

少し気を落とし、自分のティーカップに視線を下げるアカちゃん。

 

× × ×

 

『晩ごはんも食べ過ぎには用心よ』とは流石に言えなかった。火に油は注げない。

 

壁時計が午後4時を示す直前。すっかり気を取り直したアカちゃんは、

「ねえ、わたしここ数日、岩波文庫ジョン・キーツの詩集を読んでたのよ」

「そうなんだ!」

ジョン・キーツという人名に、びびん! と反応し、わたしはアカちゃんに向かって前のめりになる。

「愛ちゃんはキーツの詩が大好きだったわよねえ」

素早くコクリコクリ、と頷くわたし。

「憶えてるのよ。愛ちゃんが、キーツの詩集に凄く没頭してて、1時間半にわたって詩集から全く顔を上げなかったコト」

えっ。

「そんなコトが……あった? あったのなら、いつ、どこで」

「あなたもわたしも高校生だった時よ。1年生の時だった。場所は、『見晴らしが丘』。『読書には最適の天気だし、放課後にあそこで一緒に本を読まない?』ってあなたの方から誘ってきて」

『見晴らしが丘』。通っていた女子校の構内の端っこの方にあったスポット。その丘からは、都心の風景を見渡すコトができた。そしてその丘は、色んな『ドラマ』が起きるコトで在校生に有名だった。

『ドラマ』云々はどうでも良いとして、アカちゃんのコトバを発端に、おぼろげな記憶を脳裏に浮かべようとしていた。高1の時の放課後。わたしもアカちゃんも猛烈に読書が好きだったから、そんな時間の過ごし方もしていたのかもしれない。

「あなたはキーツの詩集を読み始めると止まらないのよね。キーツの他にもそういった詩人が何人もいるんだけれど。――あの時、声を掛けるのもためらってしまうほどに愛ちゃんが詩集に没頭してたから、そっとしておいて、わたしも読書に集中するコトにした。あなたほどには読み耽られなかったけれど」

「なんか……ゴメン」

「6年前のコトで謝られたって困るわよぉ」

「あ、アカちゃん……?」

「わたし、今回キーツの詩を読み返してみてね、愛ちゃんが読み出したら止まらないワケが、かなり把握できたのよね」

「把握できたって、どんな風に」

「――そろそろ紅茶をお代わりするタイミングじゃない? 蜜柑を呼びつけようかしら」

「どうしてはぐらかすの!? アカちゃん」

軽く笑い声を出した彼女は、困惑のわたしをもてあそぶかのように、

「わたし、約束するわね。晩ごはんの時、食べ過ぎないようにする。あなたがとっくに食べ終えてるのに、わたしがいつまでも食べ終えなかったら、イライラさせちゃうでしょうから」

 

× × ×

 

大人しくお代わりの紅茶を飲む。飲み切ったら午後5時の直前だった。

それにしても、アカちゃんの記憶力は凄い。わたしのキーツ耽読(たんどく)がそんなに印象的だったんだ。キーツを読み始めると我を忘れてしまうのは、事実。佳人薄命な詩人の詩がそれほどまでにわたしを虜(とりこ)にするのはなぜか。そんな理由を説明し始めたら文字数オーバーみたいになっちゃうので、キーツ云々は今はおいておいて、

「アカちゃんは、凄い。そんなにわたしの過去の振る舞いを憶え続けてるなんて、並大抵なコトじゃないんだし。わたし、嬉しいわ。『大親友だから、こんなコトまで記憶してくれてるんだ……』って思う」

「ありがとう愛ちゃん」

微笑みのアカちゃんは、

「じゃあ次は、愛ちゃんがわたしに関するエピソードを言ってくれる番かしら?」

と無茶に振ってくる。

振ってくるんだけど、敢えてスルーしてみたい。

スルーする代わりに、ジンワリと暖かな目線をアカちゃんのキレイな顔に送り届ける。

大親友らしい話がしたい。

ココロからの友情で、大親友としてのキモチを、伝えたい。

「昔話、させてもらえないかな。個々のエピソードっていうよりも、拡がりのある昔話を」

優しく要求してみる。

「『拡がりのある昔話』……?」

キョトーン、とするアカちゃんに、

「そうよ。長くなるけど、晩ごはんが出来上がるより早く済む」

「いったい、『どの時点』から回想するつもりなの?」

「それはもう中学時代よ」

「中学時代……」

「うん」

背筋を伸ばし、ロングスカートの膝よりもかなり上の箇所に両手を乗せる。回想を始める準備。

「わたしって――」

そう切り出してから、

「女子校に入学した当初は、これといった親友がいなかったのよ。クラスメイトと仲が悪かったワケじゃない。クラスの子と一緒に下校したり、休日に一緒に遊びに行ったりもしてた。だけど、踏み込んだつきあいをする子はいなかった。距離があったのよね。

 むしろ、葉山先輩みたいな……年上の女子(ヒト)との結びつきの方が強かったのかもしれない。それと、あすかちゃん。中2の2学期から、あの邸(いえ)に居候するようになったんだけど、しばらくはあすかちゃんとばかり遊んでいた。居候を始めてすぐに仲良くなれたし、彼女はわたしを実のお姉さんのように慕ってくれたし。……でも、あすかちゃんは1つ下の子で、学校では、同い年の親友を作るコトができない状況が続いていた。

 ぶっちゃけて言うなら……同じクラスではあったけど、わたしとアカちゃんって、ライバル関係みたいな感じだったよね。わたしの方はアカちゃんと好意的な関係を結びたかったけど、アカちゃんの方はなんだか『ムキ』になっていて。……ゴメン、気を悪くさせちゃったかも。でも、話を続けさせて。

 テストの点数だとか、読書量だとかで、アカちゃん、対抗心をメラメラ燃やしてた。ライバル視されるのは当分続くのかな〜って、高等部への進学が近付いても思ってた。

 だけど、中3の秋……だったはず。とある『出来事』があって、ライバル関係には終止符が打たれた。

 記憶力の良いあなただったら、きっと記憶してるでしょ?

 体育館裏に近いテラスのベンチでわたしが涙を流していたのを、あなたに目撃されたのよ。

 ベンチに座って居眠りしながらも、わたしの眼からは涙がこぼれていた。色々な要因が重なって、眠りながら泣いてしまっていたんだけど……あなたに目撃されて、結局は良かったのよね。だって、第1発見者があなたじゃなかったら、友情は結べていないんだもの。

 わたしの異変を覚(さと)って、あなたはすぐさま寄り添ってくれて、慰めてくれた。あなたが涙を拭いてくれたんだっけ……それとも、手渡されたハンカチで、わたしが自分で拭いたんだっけ。――ともかく、わたしは嬉しかったの。とってもとっても嬉しかったの。クラスメイトにこんなに優しくされたコト、いまだかつて無かったんだから。小学校に入った時から、中3に至るまで……1度も、無かった。

 その日その時から、わたしとあなたは親友になった。やっと、同い年で、そばに寄り添ってくれる女の子が出来て、救われた。そうよ、あなたのおかげで、わたしは救われたのよ」

一旦、コトバを切った。

当然ながら、アカちゃんは、茫然。

愛の告白みたいなモノと似通ってる打ち明け話だったんだもの……こうなってしまうわよね。

「どうして、このタイミングで、そんなコトを、打ち明けたの、愛ちゃん……??」

「んー」

茫然のアカちゃんとは対極のわたしは、

ジョン・キーツの詩集が引き金になった、ってコトにしておいて」

と、満面の微笑みでもって、答える。

蜜柑ちゃんは、きっとダイニング・キッチンで、美味しい晩ごはんを作っているだろう。

今は、アカちゃんのつぶらな瞳を――わたしが、独り占め。