さやかの家に来た時、20時を過ぎていた。夕ご飯はもう食べていたから、お風呂をいただいて寝るだけ。ご両親に挨拶した後、荷物を持ってさやかの部屋に行く。さやかはさやかの部屋でわたしを待ち構えている。
「今夜と明日はよろしくお願いするわね」
多めの荷物を床に置き、その場で腰を下ろし、両膝を床にペッタリ付け、さやかにそう告げた。さやかはベッド座りだった。わたしはジットリとした微笑みでさやかを見つめてあげる。さやかは照れ顔ながらもわたしに視線を伸ばしてきてくれる。
「よろしくお願いするのは、こっちの方だよ」
ほーっ。
「ありがたいコトを言ってくれるのねえ」
「だってあんた、わざわざ、誕生日の前日の夜から、わたしん家(ち)に乗り込んできてくれて……」
「『乗り込んできてくれて』って何よー。おかしな表現ねぇ」
「泊まりがけで来てくれたのが嬉しいんだよっ!!」
「ありがとう」
なぜかツンツン混じりのデレデレめいたさやかが、CDラジカセが置いてある丸テーブルの方に顔を向け、
「お風呂入る前に、音楽でも聴く? アルバム1枚分」
と言うが、
「ねえねえねえ。お風呂のコトなんだけどね」
とわたしは『音楽を聴くか聴かないか』を無視して言い、
「お風呂には、『おひとりさま』で入るの? それとも……」
と我ながら下心の混じった声の色で問いかける。
さやかは少したじろぎ、少し仰け反り、
「いったい何を考えてるのかなっ、愛はっ」
と想定通りのリアクションを見せてくれる。
「青島家のお風呂場、そんな大きくないんだよ? あんただって解るでしょ、何度も泊まりに来てるんだから」
くすぐったく笑うのを堪(こら)え切れないわたしは、
「解ってる。解ってるからこそ、半分冗談で言っちゃった」
「……なにそれ」
「スネないでよ」
「あんたのせいなんだよ、自覚してよ」
「自覚する」
ほんの少しの不機嫌さを見せた後で、
「音楽の件を有耶無耶にさせないでよ。聴いてから入浴するの? 入浴してから聴くの? 二者択一だよ」
「わたしは入浴前に聴きたいわ」
そう言いつつ、多くのCDが敷き詰められたさやか御自慢の棚に熱い視線を送り、
「あなたが所持してるCDは全部、わたしの頭の中にインプットされてるから」
「記憶力自慢でもしたいワケ」
「しないわよ。でも、わたしの方からリクエストさせてほしいな。さやかのコレクションの中からわたしがピックアップして、そのCDを流した後で、念願のお風呂を」
「いや、『念願のお風呂』ってなんなのかな」
「ひとこと多かった」
「コラッ」
× × ×
「『まったくもう……』って誰でも言いたくなると思うよ。あんたは美しい見た目とは裏腹に、中身は結構悪い子なんだからさ。もう少し、難のある性格を改善していこうよ」
「さやか〜」
「コラッ!! わたしの話に耳を傾ける気が無いみたいな笑い方はしないでよっ!!」
「良いわよね、あなたは」
「なっ、なにがっ」
「髪が短めだから、乾かすのが短時間で済む。わたしの方は超ロングな髪だから、乾かすのには手間がかかる」
「……手間がかかるのなら、余計なコト喋ってないで、乾かしに集中したら? わたしの話を聴きつつ、タオルで拭いたりドライヤーをかけたりして、濡れたままの部分を無くすように」
「あなた、どれだけわたしにお説教がしたいのよ。お説教し続けたい気満々って感じじゃないの」
「お説教とはちょっと違うよ。幾つかアドバイスをしたいってだけ」
「さやかバースデー前日の、さやかによるお説教大会?」
「あんた絶対わざとボケてるんでしょ!? お説教とは違う!! なんで同じコト2回も言わせるのかなぁ!?」
「――あっ。わかった。わたし、わかっちゃった」
「えっ……」
「さやか。あなたたぶん、『あの出来事』に話が及ぶのを避けたいのね?」
× × ×
わたしのせいで機嫌を損ねてしまったらしく、さやかが眼を逸らしっぱなし状態になってしまった。アドバイスを言う気も失せちゃったみたい。申し訳無さを感じる一方で、微笑ましさを感じちゃうのも否定できない。不機嫌かつ無言なさやかを眺めつつ、わたしは髪を乾かし続ける。
さやかはパジャマに身を包んでいる。スウェットを着て寝る方が多いさやかなんだけど、今日は水色の地に水玉模様の可愛らしいパジャマ。絶対、お誕生日の前夜だからだ。すらーっ、とした体型で、とりわけ脚の流さが目立つ。そんな163センチのさやか。可愛らしいパジャマとは不釣り合いなのかもしれないけど、その不釣り合いもわたしには面白い。
丸テーブルの置き時計を見た。22時53分。わたしが髪を乾かすのに時間をかけ過ぎたせいで、『あの出来事』に未だ触れられぬまま、8月7日に突入しようとしている。つまり、さやかが22歳になるまで、あと1時間と少し。
とりあえず、
「あなたに謝らなきゃいけないわよね」
と、姿勢を正し、
「こんな性悪(しょうわる)でゴメンナサイ」
「……性悪って」
トゲトゲしい口調ながらも、さやかはわたしの方に視線を向け直してくれた。
「愛? 共感してくれるって、思ってるんだけど」
さやかは若干頰(ほほ)を赤らめながら、
「『あの出来事』に話が及びそうになると、わたし、自分が自分で無くなっちゃうんだ」
「荒木先生絡みの出来事だったんだもんね」
「……」とさやかは下向き目線に移行。
「女子校時代から慕ってた音楽の先生。慕ってたというより、恋してた。いろいろあった結果、卒業間際に想いは伝えられたんだけど、必然的に距離は離れた」
軽く息継ぎをしてから、わたしは喋りを続ける。
「このまま離れ通しだったら、失恋の2文字の方に近付いていってしまう。あなたはそれが不安だった。だけど、年賀状が来たり、下北沢で偶然出会ったりで、荒木先生との繋がりは持続した」
また息継ぎをして、うろたえ兆しのさやかの顔にジワリジワリ眼を寄せながら、
「そして、それから、先月……! なんと、あなたは、都内某所で、荒木先生と邂逅(かいこう)した!」
右手をぎゅっと握るさやか。
ゴメンね。わたしが喋り終えたら、好きなだけ怒っていいからね。
「チャンスを逃したくなかった。この邂逅だけで終わらせたくなかった。だからあなたは、勇気を出して『約束』を取り付けた」
ベッド座りのさやかに躙(にじ)り寄る。パジャマに包まれたさやかの左膝に右手を優しく置く。左膝に右手を置く必要性云々は別の話で、わたしがとにかく今言いたかったのは、
「立派だと思うわ。さやかはわたしなんかよりも何倍も立派よ。『約束』をしたら不安定なキモチになっちゃうのは分かってるのに、勇気を出せたんだもの。きっと今、あの日のコトを思い出すだけで動揺しちゃうのよね。……もし、動揺が繰り返すのならば、わたしたちに頼ってほしい。気の置けない人間に、心置きなく頼ってほしい。手始めに、今夜、わたしに寄りかかってほしい。思う存分寄りかかってほしい。親友として、受け止められる自信、有り有りなんだから」