【愛の◯◯】3人寄ればバッティングセンターはとっても楽しい

 

日曜午前10時。都内某バッティングセンター。おれと愛は侑(ゆう)ちゃんと合流する。

「アツマさん。今日はよろしくお願いします」

礼儀正しい挨拶。おれの横に立っているどこの誰かさんと違って、とても清々(すがすが)しいキモチにしてくれる。横に立つどこの誰かの愛さんも見習って欲しいモノだ。

右横の愛さんが、左人差し指でおれの右腕をちょんちょんと突き、

「ねぇ、アツマくん。侑なんだけどね、『かっ飛ばしたいモノ』がいろいろあるそうよ?」

と言う。綺麗な顔面には不敵な笑み。ただし、難のある性格が滲み出ているような笑みだ。おまえ、ちょっとは侑ちゃんに学んだらどうなんだ。おれたちの前に立つ彼女のように、清く正しいモノを、もう少し身に付けてだな……!

「そんなに無いわよ、『かっ飛ばしたいモノ』なんて」

爽やかに笑って侑ちゃんが愛に言う。愛よ。おまえにはこういう爽やかさを学んでもらいたい。よく見てみろ。彼女の笑顔には裏が無い。下心みたいなモノが微塵も無いんだ。

 

× × ×

 

3人分の代金がおれの財布から出ていった。出費は痛いが出費の分だけ『かっ飛ばしてやる』コトにしよう。元は取るのだ。やる気いっぱいに、おれはバッターボックスへと歩を進める。

「待ちなさいアツマくん。どうやら、『レディファースト』ってコトバを知らないようね。最初は侑に打たせてあげるのよ。3人の中でいちばん『かっ飛ばしたいモノ』があるのは、侑なんだから。譲ってあげなさいよ」

背後から愛に叱られる。いきなり叱られてゲンナリだが、コトバに筋は通っている。バッターボックスを素直に明け渡すコトにして、侑ちゃんのもとに歩み寄っていき、バットを渡してあげる。

「ありがとうございます」

清く正しく感謝されておれは嬉しい。侑ちゃんがヘルメットを被(かぶ)り、右打席へとまっすぐ進む。そしてバッターの構えになり、向こうからボールが射出されてくるのを待つ。なんだか落合さんちの博満くんみたいな構え方だ。きみ、2000年代産まれだよね? 落合が中日の監督やってたのをギリギリ見てた世代だよね?

侑ちゃんは結構なパワーヒッターだった。なるほど、愛が『わたしが投げた渾身のストレートをホームランにされちゃったコトもあるの』と言っていたのも頷ける。「プルヒッター」と言うのだろうか、試合を観るのも好きだがそれ以上に自分で打ったり投げたりするのが好きなおれには専門用語はよく分からんが、左翼方向への打球が約7割を占めていた。華奢な体型の子なのだ。愛と体格はほぼ変わらないはずだ。ウチの愛にしたって、160.5センチの華奢なカラダでホームラン性の打球を量産するのだが、なかなかどうして……。侑ちゃんの方も負けてないじゃないか。

「交代しましょう。アツマさん、打ちますか?」

申し出に対して、

「おれよりも先に愛に打たせてやるよ。愛の言う通り、レディファーストだ」

と答える。

「愛。アツマさんがあなたに譲ってあげるそうよ? こんなに優しくて素敵な彼氏さんが居てくれるなんて、あなたはとってもとっても幸せ者ね。自覚し過ぎてもし過ぎじゃないと思うわ」

照れて少しうつむく愛の前に侑ちゃんが立ち、バットを渡してあげる。目線を上げ切れないながらも、愛はバットを受け取る。頬に赤みがあるような気がした。ヘルメットを装着し、例によって右利きのくせに左打席に入ろうとする。

おれの右横に侑ちゃんが立ったから、良い機会だと思い、

「侑ちゃんさ、身長は何センチなの」

「愛とほとんど一緒です」

「だったら、160.5センチとか?」

「それはどーでしょうか?」

あれ。

具体的な数値、開示してくれないの。

まあそれもアリか。アニメ化されてから10年以上経っても未だにキャラクターのパーソナルデータが伏せられているようなライトノベルもあるからな。もっとも、本ブログは、書いてるヒトの主義かどうか知らないが、ほとんどの登場人物の身長を開示してるんだが。……そうか。侑ちゃんの身長開示は、まだなのか。ま、愛と同程度なのは間違いが無いんだから、非開示でも問題は起こらんだろう。

こんなふうな余計ごとを考えていたおれの耳を、愛の鮮烈な打球音が震わせる。射出されてくる球を愛は1球も打ち漏らさない。右翼方向に引っ張るだけではなく、左翼方向にも打ち分ける。左翼への流し打ちの方が目立っているぐらいだ。これ、漢字4文字で、何て言うんだっけ……。「広角打法」だったか? 確か、某パワフルなプロ野球ゲームで、そういう名前のステータスがあったよな。

「愛ってスゴい。やっぱりスゴい。右に引っ張るだけじゃなくて、左に飛ばすコトもできるなんて」

侑ちゃんが感嘆している。興奮の度合いも上昇しているようだ。立ちながらも愛の打席の方に前のめり。

一方、おれは冷静に、

「いつも通りだよ。それ以上でもそれ以下でもない。いつもより好調でも不調でもない」

「そうなんですかー?」

侑ちゃんが顔を寄せて興味津々に訊いてきた。顔寄せは不測の事態だったのでビビってしまう。ヤバいな、彼女、おれに対する距離感、近いんだな……。初めてマンションで対面した時に『弟子入り』を志願してきた娘(こ)なんだ。おれを師匠と思うがゆえに、距離は短くなる。情け無いのはおれの方。接近されると、上手な対応ができない……!

「ず、ずいぶん興味津々なんだね。きみ、そんなに顔を近づけてきて」

ハッ!! となった侑ちゃんが後(あと)ずさる。顔に赤みが薄く滲む。

「……すみませんでしたっ。勢いが余ってしまい過ぎて、度を越してしまいましたっ」

「いいんだよ、いいんだよ」

縮こまるのを見てしまうのも何だか気まずい。だから、落ち着かせるような声のトーンで話してあげると共に、右手をヒラヒラと振って微笑みかける。

それから、

「おぉーい、愛っ。おれとそろそろ代わってくれんかー」

と要求。

愛は名残惜しそうにフィールドの方を眺めたが、すぐに左打席を出て、バットを右手に携えつつおれの方に向かってきてくれる。素直で宜しいねえ。

「どうして侑が恥ずかしそうになってるの? あなた、ヘンなことしてないわよね?」

詰問までがテンプレート……か。素直な態度に問い詰めが伴う。おれのパートナーは本当に難儀だ。

「違うの、愛。ヘンなことしちゃったのは、わたしの方なの」

おれに優しい侑ちゃんの声は弱っていた。

「ふうん。ホントかしら」

おれに厳しい愛の声にはとんがったモノが感じられた。

「アツマくん」

おれの真っ正面から愛は、

レコードブレイカーになるのよ」

レコードブレイカー?」

「このバッセンの飛距離の記録を更新するの。それが、本日のあなたの使命」

「難しいぞよ、なかなかに」

「なにを言ってるの。あなただったら余裕よ。……ほらっ、侑が、いまだにあんなに縮こまってるじゃないの。大飛球飛ばして、侑を本来の侑に戻してあげるのよ。できないなんて、言わせない!」

「承知した」

「それなら一刻も早くバッターボックスに行きなさい」

「うむ」

「は・や・く」

バットを受け取る。右打席に向かって動き出す。

しかし、右打席の手前でいったん立ち止まり、

「なあ、愛さん? キミは横浜DeNAベイスターズ信者だから、もちろん知っているよなぁ?」

「い……いきなりなに!? 一刻も早く打席に……」

「遥か昔の話。横浜大洋ホエールズから横浜ベイスターズになったばかりの頃の話だが。ブラッグスっていう助っ人外国人バッター、居ただろ?」

「も、もちろん知ってるわよ、ブラッグスのコトなら。わたしが産まれる前の助っ人外国人だけど、年度別打撃成績だって暗唱できるわ。で、でも……どうして、ものすごく唐突に、そんなコトを……」

おれは愛の方に振り返ってやらない。

愛のベイスターズ愛を再認識できたがゆえに、笑いをこらえ切れないだけだ。