『漫研ときどきソフトボールの会』の幹事長席は部屋のいちばん奥である。わたくし羽田愛は幹事長なのだから、幹事長席に座る権利を唯一持っている。「権利を唯一持っている」は大げさかもしれないけど、慣習が積み重なればやがてルールになるというワケ。今年度になってから、わたし以外の誰もこの席に座ったコトが無い。
さて現在は午前10時半を過ぎた辺り、長期休暇中なれどサークル部屋にやって来たわたしは、幹事長の指定席にて、飲み切ったブラックコーヒーの缶をもてあそんだりして、無為なれども楽しいひと時を過ごしている。
これがわたし独りきりの状況だったら楽しくない。わたしの他に在室者が2名。すなわち、大井町侑(おおいまち ゆう)と新田俊昭(にった としあき)くんである。2人ともわたしと同じく4年生。同期トリオがこの空間を占めているのだ。
わたしから見て右サイドに侑、左サイドに新田くん。2人とも、100回中98回は今のお席についていると思われる。侑と新田くんが向かい合うのが常だ。向かい合いが発展して「睨み合い」になるのもしばしば。いや、「睨み合い」というか、侑の方から新田くんへと攻撃的な視線が伸びていくのがほとんどだとは思うんだけど。「睨み合い」じゃないとしたら、どう言えば良いんだろう。侑の「睨み通し」?
さてさて、新田くんに対してよくサディスティックになってしまう侑なのだが、今日は驚くべきコトに、いつものジーンズではなく、スカートを穿いてきている。セルリアンブルーで、膝下が少し隠れるぐらいの丈。いろいろ意見はあるだろうが、今日の侑は女子力20パーセントアップである。
侑が侑じゃないぐらい可愛らしい。漫画を読むでもなく、侑を観察するコトのみに集中力を傾けていたわたし。侑がとうとうわたしの不埒な目線に気付いて、
「……どうしてそんな眼で見てくるのよ、愛? 頬杖までついて」
「観察よ☆」
もてあそびレベル5(ファイブ)でわたしは答える。『なんですかレベル5って』というツッコミは無用だが、それはそうと侑が完全なる呆れ顔になって、わたしの不埒に構ってられない的な勢いでスケッチブックを机上に出す。
スケッチブックを開く侑に対して、新田くんが、
「最近は主に何をスケッチしてるの? 大井町さん」
と訊く。
『あなたには関係ないわよ!』と言って突っぱねる可能性は十二分にあった。しかしながら、意外や意外、こめかみを微塵もピクピクさせずに、侑は落ち着き払って、
「花火よ。花火を描(か)いてるの。この時期、いろんな場所で花火が揚がっているし」
と回答。
「へえー。良いね。色鉛筆とかクレヨンとか使ってるんじゃない? 花火には色がつかないとねぇ」
そう言って侑の花火スケッチに食いつく新田くん。
「そうね、いろいろ色はつけているわ。花火はやっぱり、色づいていないと……」
「『色づく世界の花火こそ』、か」
「何よそれ、新田くん。もしかして、アニメとかの捩(もじ)り?」
「バレたか」
心当たりのあったわたしは、
「ねえねえ、新田くん、あなた今、『色づく世界の明日から』っていうアニメのタイトルを捩ったんじゃないの?」
「ウオオッ、知ってたのか羽田さん」
「偶然知ってた」
一気に、新田くんが、遠くの景色を見るような眼になり、
「2018年放映のアニメで……俺は高校1年生だったんだ。あのアニメに出てくるのも高校生で、まさに青春真っ盛り! な青春群像劇だった……。俺にはあんな青春、夢のまた夢だったからさ。眩しすぎたんだけども、何というか、綺麗なアニメ作品だったな」
アニメ作品を存分に語っちゃうぜモードに新田くんが突入してしまったので、いつものパターンの如く、侑が顔をしかめていく。
一方、わたしは新田くんのアニメ語りの波に乗っかり、
「確か、ピーエーワークスっていう会社が制作したんじゃないの?」
「おおぉ、よく知ってるね羽田さん。そうだよ、ピーエーワークスだよ」
「わたし、ピーエーワークスが初めて制作したテレビアニメの『true tears』のブルーレイBOXを持ってるの」
「エエエッ、マジで!?!?」
ものすごい叫び声を新田くんが上げた。
すかさずわたしは、向かって右サイドの侑の方を見て、彼女の反応を確かめる。新田くんに暴走の兆しがあるから、結局ピクピクピリピリしていってしまうのは避けられないと予測していた。そして、予測通りだった。鉛筆を持つ侑の右手。鉛筆を握るチカラが際限無しに強くなっていく。もう少しで鉛筆が砕けちゃいそう。
「口達者なだけじゃダメっていつもいつもわたし説教してるでしょ、新田くん……。控えめとは真反対のアニメ語りに加え、突拍子も無く大声出して……!」
型通り怒る侑。
なんだけど、本日は例外的にセルリアンブルーの可愛らしいスカートを穿いているので、何だかちょっぴり怒りが緩和されているみたい。
「いやぁーゴメンゴメン。大井町さんが怒っちゃうのも無理無いよな。俺もスケブ出して、手を動かすよ」
「さっさと動かしなさいよ。手を動かさない時間が積み重なるごとに、あなたの夢が成就する可能性が減っていくのよ」
「カンペキにきみの言う通りだ。いつもながら、正論しか言わないよな、きみ。一貫してて、スゴイよ」
「……褒めコトバのつもりで言ってるの!? わたし少しも嬉しくないっ」
たじろぐコト無く、侑に構わずといった感じで、新田くんは鉛筆を持った手を動かし始め、
「何を描(か)こうかな。ピーエーワークス作品の歴代ヒロインから選んで描いてみようか。そーだっ、大井町さん、きみ、ピーエーワークスの作ったアニメ、何か観てる? 観てるんならば……」
「わたしはあなたみたいに主な構成要素がアニメなワケじゃないのよっ!!」
侑は、叫ぶように、怒る。
でも、なんだか……この怒り方は、いつもとは違う怒り方。
そうねえ……。喩えるならば、反抗期の持続している高校1年か2年の女の子みたいな?
とすると、新田くんは、ムスメの反抗を受け止める、お父さん的な立場に?
奇妙な構図だけど、面白い構図。