サークル部屋の奥のいわゆる『幹事長席』に座っている。右斜め前には侑(ゆう)、左斜め前には新田くん。侑と新田くんが向かい合ういつもの構図だ。
わたしは手塚治虫の漫画の文庫本を読んでいた。
新田くんが、
「羽田さんは流石にお目が高い。手塚漫画でもその作品を読むなんて」
「え、そう?」
サークル部屋の棚から適当に抜き出したなんて言えなくなっちゃった。
新田くんは何故か腕を組み始め、
「手塚治虫といえば『漫画の神様』という称号で知られてるけど」
「……うん」
「でもね」
「……でも?」
「『漫画の神様』は2人いる!! って言う人もいるんだよ」
「もう1人の『神様』は、誰なの??」
彼は何故か不敵な笑みで、
「水木しげるだよ」
妖怪。
ゲゲゲの女房の旦那さん。
水木しげるが『神様』となる理由を訊きたくもあったが、
「水木センセイの地元の鳥取県境港市に記念館があるんだけど。リニューアルされたばっかりなんだよ」
と情報提供に新田くんは移行する。
「水木しげるロードも含めていつか行ってみたいんだよな……」
遠い目でウットリの新田くん。
「ねえ新田くん。OBの久保山(くぼやま)センパイの地元は境港のすぐ近くでしょ? 久保山センパイは詳しいんじゃないの」
と言うわたしに、
「もちろん久保山センパイは良くご存知だよ。『距離が近過ぎて、距離感が分かんなくなっちまった』ともおっしゃってたけど」
と新田くん。
「『名探偵コナン』の青山剛昌も鳥取県出身だったわよね? 『コナン』にしても、地元の人は距離が近過ぎるがゆえに、距離感が分かりにくくなるのかもしれないわね」
わたしの発言に、
「それはいえる」
と新田くんが深く頷く。
それから、
「実はね、米子空港の愛称は『鬼太郎空港』、鳥取空港の愛称は『コナン空港』なんだよ」
へーーっ。
やっぱり新田くんは漫画に関しては知識が「無尽蔵」なのね。
× × ×
鬼太郎のみならず、『悪魔くん』や『河童の三平』についても新田くんは熱く語った。
博識ぶりがスゴい。
この博識ぶりを何かに活かせないものかしら。
『マンガ博士』なんて職業は存在しないけど……。
ついに新田くんの語りがアニメ版の『悪魔くん』に及んだ、のだが、
「相変わらず口『だけ』は達者なのね」
と、それまで沈黙を貫いていた侑が横槍を入れた。
あちゃー。侑が新田くんにキツく当たるいつものパターン。
「いくら鬼太郎の映画が最近公開されたからって、はしゃぎ過ぎなんじゃないの!?」
「ぐぐ……」
新田くんが呻(うめ)く。
「新田くんってひとたび漫画を語り出すとノンストップよね。停車駅の極端に少ない私鉄の特急みたい」
ひねった比喩を用いる侑。
苦しくなる新田くん。
「わたしみたいに歯止めをかけるコトのできる存在が居る時は良いけど。わたしが在室してなかったら収拾がつかなくてどうしようも無くなる」
縮んでいくように小さくなる新田くん。
「そ・れ・と」
侑は新田くんを厳しく見据え、
「あなた、誰がどう見たって、ここでお喋りしてる場合じゃないでしょ。『就職活動』の漢字4文字はどこに行ったの!?」
侑には既に何社も内定が出ている。
一方、新田くんは……。
「あなたの就活への取り組みは一体どーなってるのっ」
お説教モード。
侑は新田くんに厳しい。でも、新田くんのコトを心配していなければ、お説教モードになんか突入しないはずで。
そこが微笑ましいし、面白い。
わたしは右斜め前の侑の方にジットリと目線を向けた。
「な、なによ、愛」
侑が驚く。
「なんでもないわよ」
わたしは言う。
そして、
「基本的になんでもないんだけど。1つ、感じるコトがある。侑、あなたは新田くんに厳しい。でも、その厳しさを裏返したら、何になると思う?」
「厳しさを裏返す……?」
「これ、宿題。夏休みの宿題にしても良いわ」
侑に動揺が兆しているのがすぐに伝わる。
わたしに視線を寄せている。
だけど、やがて視線を外し、今度は俯き気味になり、机の上で両手の指を組み始め、指を解(ほど)いた途端に顔を上昇させ、さっきよりも柔らかい眼つきで新田くんを見やる。
30秒ぐらい新田くんを見て、それから微妙に顔を逸らす。
それからそれから、
「新田くん。」
とナヨナヨとした声を発し、
「わたし……あなたの進路や将来のコト、あまり構わないようにするわ」
「構わない? 構わないって、どういう……」
侑の異変を察知した新田くんに戸惑いが兆す。
そんな彼に対し、
「わたしそれなりにデリケートだし、あなただってそれなりにデリケートでしょ? あなたを突っつき過ぎたら、あなたを壊しちゃうかもしれないし。……そこまでは、したくないから」
と、トゲの取れた口調で、侑が「お気持ち」を表明する。