【愛の◯◯】大井町さんの過剰反応が◯◯

 

8月に入った。大学はとっくに長期休暇になっている。それなのに、諸事情によって、キャンパスに来る羽目になった。諸事情が何なのかは特に説明しない。説明したところで何になるんだろうと思う。面白くもなんともない事情だ。

無事に諸事情を片付けられた俺は、文学部キャンパスの階段を下り、生協の書籍コーナーへと向かった。長期休暇ゆえの短縮営業なのだが、営業してくれるだけありがたい。なぜなら、俺の大学の生協の中で、文学部キャンパスの生協が飛び抜けて漫画の品揃えが充実しているからだ。まるで、文学部キャンパスに最も漫画オタクが集まるのを想定しているかのようだ。リアル店舗で入手するのが難しいとまで言われている某・漫画雑誌など、漫画オタクにとって痒いトコロに手が届くような品揃えを誇っていて素晴らしい。

まだメディアミックスがなされていない将来有望な漫画作品の単行本を何冊か購入して生協を出る。出た途端に、モワァッ、とした熱っぽい空気と苛酷な陽射しが俺を襲う。まさに夏の盛りである。『とりあえず水分補給だ……!』と思い、自動販売機が密集している場所へと歩を進めていこうとする。地球温暖化ってどうやって食い止めれば良いの。

自動販売機密集コーナーに行く途中で、建物の壁に背中をくっつけるようにして雑誌のようなモノを読んでいる女学生が眼に飛び込んできた。

潔さすら感じられる黒髪ストレート。ぴっちりとしたジーンズ。

大井町侑(おおいまち ゆう)さんで間違い無かった。

様々なる軋轢(あつれき)を繰り返しながらも同じサークルで4年間関わり続けてきた大井町さん。今、彼女は、真剣に雑誌のようなモノを読んでいる。キリリとした眼でもって、雑誌だと思われるモノに視線を注いでいる。

俺は、自動販売機密集コーナーへのルートから逸れ、少しだけ大井町さんとの距離を詰めてみる。まだ距離が遠いので大井町さんは気付かない。雑誌だと思われるモノはやはり雑誌だった。児童文学の専門誌だと思われる。俺だって第一文学部に4年間も通っているのだ。児童文学の専門誌だと把握できる能力ぐらいはある。

第二文学部の大井町さんは絵本作家志望を公言している。俺と違って有言実行タイプの彼女は、先日、『新人賞に応募した』と俺に告げてきていた。俺とは比較にならないぐらいキチンとしている彼女ならば、結構良いトコロまで行かない方がおかしいのかもしれない。自称漫画家志望の俺は、漫画雑誌の新人賞に投稿する目処すら立っていない……。

彼女には熱意とモチベーションがある。こうやって児童文学専門誌を読み耽る姿が画になる。なぜ、こんな場所で立ったまま雑誌に眼を通しているのかは分からないが。炎天下とはいえ、彼女の立っている場所は日陰になってはいるのだが。

俺はもう少しだけ距離を詰めた。声を掛けずにはいられないキモチだった。無視して通り過ぎてしまうのは何か違うと思ったのだ。ココロのどこかに、彼女のコトを放っておけないキモチがある。そういうキモチが確かにあるのだ。仲間意識というか何というか……。どういう意識かはハッキリ定義できないが、児童文学専門誌立ち読みの彼女へと、俺の足は進んでいく。

「おーい、大井町さーん」

微妙な距離感であったが呼び掛けた。

彼女はすぐに雑誌から顔を上げた。それから俺に顔を向けてきた。

そこからの反応が予想外だった。予想外というレベルではない。……そう断言してしまっても良いと思う。ひとことで言って、これまでに見せたコトの無い反応を彼女が見せてきたのだ。

顔を向け、俺の存在を察知した瞬間に、彼女の眼はとんでもなく大きく見開かれた。眼だけではない。口もあんぐりと大開きになったのである。まさに唖然呆然であった。そして彼女は何歩か後ずさり、読んでいた雑誌をすごい勢いで閉じ、その雑誌を慌ててバッグにしまい込んだかと思うと、

「新田くん!?」

と、ほとんど悲鳴と言っても過言ではない大声を上げたのである。

もし漫画であったならば、「新田くん!?」というセリフの文字が巨大なサイズになり、太い書体で強調されていたコトだろう。悲鳴めいた絶叫……。はるか上方にある講義棟や事務所の辺りまで響き渡るかのように。もし、このキャンパスが長期休暇中のキャンパスで無かったのなら、通行人が何人も居るのだから、注目を浴びまくっているだろう。

いったいどうしたんだ大井町さん。なんでそんなに絶叫するんだ。のけぞらなくたって良いじゃないか。きみが読んでた雑誌はちゃんとした児童文学専門誌なんだろう? いかがわしい書物とかでは無いんだろう? なのに、目撃されるのを心底恐れていたみたいに、驚きまくって……。

『怖がらなくたって良いじゃないか。そんな反応見せられたら、心配しちまうよ……』

胸の内で自然とそう呟いていた。

彼女は、大井町さんは、青ざめているとしか形容できないような表情を、俺に見せていた。

幼い顔。

大井町さん史上類を見ないかのような幼さ。それが、顔面に満ち溢れていく。

16歳の女子高校生に戻ってしまったかのような顔つき。

俺の直感では、今の彼女は、16歳だった。

『うろたえている状態の』16歳だった。普段の凛々しい眼つきが、どこかに消えていってしまっているのだから。