早く起きて、ベッドから出る。
少しだけ寝不足。
ジャージのままキッチンに向かう。トーストを焼いて、サラダを盛り付ける。牛乳をコップに注(そそ)いで、ヨーグルトを添えたら、朝食の出来上がり。
食べたあとで着替える。まだ7時過ぎ。だけど、アルバイトに行かなければならない。
× × ×
『高校時代に男の子とつきあったことは無いの?』
そんなふうに愛に訊かれて、
『3年間で、2回』
と本当のことを答えた。
愛に答えてしまったことが尾を引いていて、高1のときと高3のときの苦い経験をふとした弾みで思い出してしまうときがあって、つらかった。
愛を責めるつもりは無い。あの娘(こ)に悪気は無かったんだから。
アルバイトが終わって乗り込んだ電車の中で、
『今でも、『踏み込む』のが怖い。この先、異性に対して『踏み込む』ことはあるんだろうか?』
と思った。
× × ×
第二文学部の講義開始まではまだ時間があるから、学生会館に入った。
5階のサークル室のドアを開けた。
男子が2人来ていた。
わたしと同じく3年生の新田くんと、2年生の拳矢(けんや)くんだ。
いつもの席につく。
新田くんもいつもの席だから、わたしは彼と向き合う形になる。
わたしから見て新田くんの右に拳矢くんが座っている。
「ずいぶん仲良し男子ね、あなたたち」
わたしの指摘に拳矢くんは恥じらうけれど、
「隣同士でなきゃできない話もあるんだよ、大井町(おおいまち)さん」
と、新田くんのほうは動じない。
「どんな話題なのよ、隣同士じゃないとできないって」
「それはもう声優トークさ」
と新田くん。
わたしは不審を抱(いだ)き、
「隣同士じゃなくてもできるんじゃないの? それ」
しかし、
「ちっちっち。分かってないなー、大井町さんは」
と新田くんは。フザケてるの?
「最近は声優の結婚ラッシュだったからさ。やはりその方面の話題をするなら、拳矢とは距離を近づけるべきだと思ったんだ」
わたしは、
「そんなに一気に声優さんが結婚したのね」
と言ったあとで、
「でもそのことがどうして拳矢くんと距離を近づける理由になるの」
と付け加える。
すると、
「楽しいから」
と新田くんは言った……。
「あのねえ新田くんっ」
と怒ろうとするわたしを遮り、
「いや、とにかく楽しいんだな、コレが」
……やっぱり。
やっぱりあなたフザケてるのね、新田くん。
ムカムカして、
「まだ新年気分でいるんじゃないの!? もう1月も後半なのよ!?」
とフザケた同学年男子にキレるけれど、
「あのぉ」
と、今度は後輩男子・拳矢くんのコトバがやって来て、
「せっかくなので、年始の声優結婚ラッシュの詳細について、大井町センパイにも報告したいです」
「……ご自由にどうぞ。聞き流してあげるから」
わたしはとうとうスケッチブックを持った。
× × ×
「――内田雄馬さんと結婚した日高里菜さんは、ぼくが幼稚園児の頃からアニメに出てるんですが、まだ若いんです」
それって現年齢何歳なの、と訊く意欲も湧かない。
ふと腕時計を見ると、4限目の開始時刻が迫っている。
「伊藤かな恵さんも、『ようやく』と言ったら失礼ですが、結婚されて――」
「拳矢くん?」
眼と眼を合わせてわたしは、
「あなたは4限に遅刻する気で満々なのね」
ハッとなる拳矢くん。
「時間を忘れられるのは良(い)いことだけど、遅刻は悪いことだと思うわよ?」
彼は慌てて退室する準備をしながら、
「どうして大井町センパイは、今日ぼくに4限の講義があることを把握してたんですか」
「バカねえ」
「!?!?」
微笑ましくなりつつも、
「ごめんなさい。いきなり『バカねえ』って言っちゃうとか、わたし悪い子よね」
と謝る。
× × ×
それでもって――新田くんと、2人きり。
「拳矢のヤツもだいぶ『おもしろキャラ』になりつつあるよな。大井町さんもそう思うでしょ?」
「漫画雑誌を読みながらおしゃべりしようとするなんて、ずいぶんと器用ね」
「うっ」
わたしのツッコミを食らって漫画雑誌から顔を上げた彼は、
「き、き、きみだって、スケッチブックにお絵描きしながらしゃべってるじゃんか」
「わたしが主観的にも客観的にもあなたより器用なのは明白だから」
「……なにを、スケブに??」
「あなたの似顔絵」
硬直する新田くん。
硬直などお構いなく、
「嘘よ。あなたの似顔絵なんか描(か)かないわよ」
「だ、だよな。俺みたいな冴えない顔のヤツの似顔絵なんて、描く気も起こんないよな」
「すぐに自己否定しないで。イライラしちゃうじゃないの」
「俺の……態度が?」
「あなたの態度が」
スケブになにを描いていたのかは伏せておく。
秘密のスケブをぱたんと閉じ、左腕で頬杖をつく。
ちょっと試してみたいことがあった。
個人的な、実験。
じーーーっと新田くんに向かって視線のレーザービームを伸ばしていくのである。
無言でひたすらに新田くんの眼を見る。
何秒間新田くんが耐えられるのかが知りたかった。
10秒間ぐらいで眼を逸らされてしまうというのが、わたしの見積もりだった。
実際は――だいたい20秒ぐらいは、耐えられていた。
でもそこでギブアップ。
窓に向かって眼を逸らす。
それから、彼は、
「俺で……遊ばないでくれよ、あんまり」
というコトバを漏らす。
意外に真面目な口調だった。