幸拳矢(みゆき けんや)くん。
声優ファンで名高い後輩の男の子。
彼がサークル室に高校3年生の女の子を連れてきた。
母校の後輩らしい。
拳矢くん。
あなたこの前も、母校の後輩である高校3年生を連れてきたわよね。あのときは、男の子だったけど。
今回は、女の子ですかー。
顔、広いのね。
入沢(いりざわ)さんという女の子。
「高校3年ってことは、受験シーズン真っ只中じゃないの」
わたしが言うと、拳矢くんは、
「ハイ。是非とも羽田センパイに、『臨時特別講師』になってもらいたくて」
「あら。指名されちゃったのね、わたし」
「あのっ!」
入沢さんが唐突に声を上げ、
「拳矢センパイが……『とっても頭が良くてとっても美人な女性(ひと)がサークルに居るから』って。それで……!」
すかさずわたしは、ジトーーッとした目線を拳矢くんに送り届ける。
拳矢くんはうろたえながらも、
「そ、そのっ、できれば、彼女には、日本史をレクチャーしてあげてほしいんですけども……大丈夫ですかね??」
「大丈夫よ」
「……ありがとうございます」
× × ×
90分ぐらいレクチャーしてあげた。
「どう? 分かりやすかったかしら? 入沢さん」
即座に入沢さんは首を縦に振り、
「はい。とっても」
と言ってから、
「偏差値が一気に5上がった気がします」
それはなにより。
ここで、サークル室に来ていた新田くんが、
「羽田さんって、世界史だけじゃなくて、日本史も教え上手なんだな」
と言って、
「たまげたよ」
と付け加える。
「ですよね新田センパイ。もし羽田センパイが高校の社会科教師になったりしたら、まさに万能の――」
言いかける拳矢くんにわたしは、
「拳矢くーーん」
「えっ? なんですか??」
「あなた、よっぽど高校生に戻りたいみたいね」
「……どういうことですか」
わたしはニコニコと入沢さんに微笑みかけつつ、ボールペンをくるくると回す。
拳矢くんには構ってあげない。
× × ×
帰る方向が同じだったので、入沢さんと一緒に歩いている。
「羽田さんって、女子校出身なんですよね? 突き抜けて偏差値の高い、名門の」
「入沢さん。『愛さん』って呼んでくれていいのよ」
「あ、はい。……愛さん」
「そーね。中学高校は、某名門女子校」
「だけど、男子への接しかたが、とってもお上手というか」
「身近にずっと男の子が居たからだと思う」
「もしかして、今、マンションで『ふたり暮らし』してるって男性(ひと)ですか」
ぐぐっ。
「……どこで知ったの」
「拳矢センパイに」
へえーーーっ。
「春になったら、拳矢くんには、千本ノックね」
「えっ!? 厳しいんですね」
「『千本』は、言い過ぎだったかも」
そう言ってから、わたしは、
「アツマくん、っていうんだけど、今日は、彼のほうが先に帰ってるから、晩ごはんとかいろいろ準備してくれてる」
「完全に未来のダンナさんじゃないですか」
……火照(ほて)りつつも、話題を換えたくて、
「入沢さん、あなた、拳矢くんにはどんな印象を持ってるの?」
「好きでした」
わたしの歩みが……完全停止。
「ほ、ホント!? それって。拳矢くんに、恋心を……!?」
「でも、過去形です」
たしかに。
好き『でした』と彼女は言った。
「過去形ってことは、好きじゃなくなった、なにかが?」
「そういうワケではないです」
彼女は、
「あきらめたんです」
と、朗(ほが)らかに。
困惑しつつ、
「あきらめたなんて……どんな、理由が」
彼女はニコニコと、
「ゴメンナサイ。胸にしまっておきたくて」
× × ×
『大学に合格したら、髪を切ってショートにします』
明るく元気よく入沢さんは言った。
× × ×
「――アツマくん」
「んーっ?」
「バッティングセンターで猛特訓させたい男子が、また1人増えたわ」
「だれ? その男子って」
「拳矢くん」
「あーっ。おまえのサークルの後輩クンか。でも、なんで」
「あなたも知ってるわよね? 拳矢くんが重度の声優オタクだって」
「知ってるが」
「好きな声優の数だけバッセンで打たせるのよ」
「……相当多そうだな」
「多ければ多いだけ、鍛え甲斐がある」
「愛」
「なによ」
「殺気立ってるぞ」
ムカッ。