【愛の◯◯】とある大井町さんの新人賞

 

 

漫研ときどきソフトボールの会』のサークル部屋に来ている。

来ているのは俺1人ではない。大井町侑(おおいまち ゆう)さんも居る。週刊少年マガジン週刊少年サンデーを精読していたら彼女が入室してきた。俺はいつもの席に座っていた。彼女もいつもの席に座った。入り口から見て右サイドに俺、左サイドに大井町さん。2人きりの向かい合いだ。

大井町さんの入室から現在時刻に至るまで、他のサークル員が誰も来なかったので、2人きりの向かい合いゆえの緊張感が、俺の中で持続している。『こういう時は日常系美少女ギャグ漫画だ』と思い、おびただしい量の漫画単行本が敷き詰められた背後の本棚から、『ガヴリールドロップアウト』の単行本を取り出す。読み始めた途端にキャラクターの声が脳内再生される。富田美憂大西沙織大空直美花澤香菜。TVアニメ放映時、俺は中学2年の3学期だったはずだが、オタクという名のぬるま湯に既にズップリと浸かってしまっていた。

『そう言えば、『けものフレンズ』と同じ時期にアニメ版は放映されてたんだよな……』と思い返す、のだが、

「ずいぶんと楽しそうに『ガヴリールドロップアウト』を読んでるわね、新田くん」

と、大井町さんが指摘の矢を放ってきた。

いや、読んでるというより、単行本を見つめて感慨に耽ってたという方が正しいんだけどな。もしかしたら、自覚の無いままに笑みをこぼしてしまってたんだろうか。だとしたら、気持ち悪いヲタクと化しています状態になってしまってて……。

「あなたはドロップアウトしないでよね、新田くん。卒業要件の単位をちゃんと取って、卒業論文もちゃんと提出するのよ?」

んんっ。

気にかけてくれてる……って認識でいいのか?

『このままだとドロップアウトしちゃうわよ!?』みたいな警告。もっと酷ければ、『あなたのドロップアウトを祈念(きねん)しているわ』みたいな挑発めいた煽り。彼女と俺の4年間を振り返ってみれば、警告され煽られる方が普通のはずだった。俺が彼女にコトバで攻撃されるのは、一種のパターンと化していたのに。ドロップアウト『しないでよね』と今言われた。優しいニュアンス。予想外の配慮。

『ガブリールドロップアウト』の単行本第4巻を閉じ、第3巻の上に重ね、

「ありがとう。俺の将来を気にかけてくれて」

と、黒髪ストレートの彼女の前髪辺りに視線を当てながら言う。

ムスーッとした眼つきで、彼女が少し顔を逸らした。なぜだ。

数分間にわたり、顔を逸らしたまま、何かを考えているような様子だった。

彼女の横顔から「あどけなさ」のようなモノを読み取ってしまう俺がいた。俺と比べて精神的に成熟している彼女の顔には、精神的な成熟が常に浮かび上がっていて、隙(スキ)を見せるコトがほとんど無かった。だけど、今現在の横顔からは、高校2年生ぐらいの子供っぽさが滲み出ていた。俺に「ありがとう」と言われて、照れたからか? 女子高校生に逆戻りしたかのような大井町さんが、隙を見せている……。

やがて、大井町さんは俺に向き直った。向き直る時、彼女のストレートの黒髪が少し揺れた。

「……ドロップアウトしちゃいけないのは、大前提として」

普段とは違う妙に柔らかい声で、

「頑張らなきゃいけないコトが、まだあるでしょ、あなたには」

と彼女は。

彼女の柔らかさと幼さに戸惑いながらも、

「創作活動?」

と俺は答える。

「そう。創作」

答え返した彼女は、頬杖。ブレない目線を俺に伸ばしてくる。やはり、本来の大井町さんとなって、攻撃性を濃厚に帯びたコトバをぶつけてくるのか。

「新田くん。誰かがお部屋に入ってくるまでに、伝えておくわ」

伝える?

何をだ?

2人だけの空間で無くなる前に、俺にわざわざ伝えたいコトって……。

「とある児童文学の新人賞があるのよ。創作絵本で投稿できる部門もあるの。とっくに締め切りは過ぎて、きっと今は選考してる段階」

俺は察した。

どこまでも頭が悪いというワケではない。大井町さんが何を言わんとしているのかぐらい察せる。

大井町さんは絵本作家志望であるのだから、新人賞の存在を提示したのは、つまりは。

「応募したのか、きみ」

彼女はすぐに、

「したわよ。したのを報告するために、もったいぶった前置きをしたの。入選すれば、絵本作家への道が一気に開ける」

「それは……きみを応援しなきゃだな」

俺からコトバは自然とこぼれていた。『応援しなきゃ』。夢への進捗状況という点で彼女と比較して焦っていくよりも、背中を押したいキモチの方が勝(まさ)った。

大井町侑さんは眼を丸くして俺を見つめていた。

「あどけない驚き」というのが相応しいと思った。そんな表情だった。