放課後。
相談室で、スポーツ新聞部部長の日高ヒナさんと1対1。
『話したいことがあるんです』と言ってきたのは日高さんのほうだった。『なあに?』とわたしが問うと、『それは、相談室に行ったあとで……』と。日高さんは切羽詰まってそうな様子でお願いしてきた。休み時間が終わって彼女が職員室を去ったあと、授業が入っていなかったわたしは、ココロの準備と『これまでのこと』の整理整頓のために、仕事をするふりをしてノートにいろいろと書き留めた。
さて、1対1の「サシ向かい」なわけだ。眼前(がんぜん)で日高さんが緊張しながらボロいソファに座っている。切り出すのは、わたしから。切り込んで、「さぐり」を入れたい。
息を軽く吸って、「進路のことなのかな」ととりあえず訊いてみる。日高さんはブルブル首を横に振る。
「そっか」とわたし。「受験に向けては、ここまで順調なんだもんね。こないだの模試の成績も良かったみたいだし」
「ハイ」と日高さん。「受験に関しては、あんまり悩んでないです」
「じゃあなにに悩んでるの?」
間髪を入れないわたし。イジワルなようだけど、日高さんの領域に食い込んでいくしかない。なぜなら、教え子として可愛いし、顧問をしている部活の部長なので、ひときわ可愛いから。
比較的小柄な日高さんが、もうひとまわり小さく見える。
壁時計がチクタク鳴り続けた。
悩んでいることを、なかなか晒してくれない。なかなか打ち明けてくれない。きっと、とっても勇気が要ることなんだ。
スカートで覆われた膝上にグッと両腕を押し付けている。視線を上げてくれない。
「『話したいことがある』って言ったのは日高さんのほうよね? あなたのほうから話してくれないと、わたしちょっと困っちゃうかなー」
1分、2分、3分……と、時は経っていく。
『もしかして、あのこと?』と振ってみたくなる。
おそらく、彼女が抱えていることは、人間関係絡みのこと。でも人間関係に関することだから、デリケートだから、やっぱり彼女の口から話してくれるのを待つしかなくなる。
日高さんはさらに膝上にググッと両腕を押し付けた。それが、意を決したサインみたいになって、
「あたし、とっても胸が痛くって」
というコトバが、ついに出てきた。
「いつから?」とわたし。
「2学期から」と日高さん。
わたしは軽く苦笑いして、ほんの少し溜め息をついて、
「煩(わずら)ってるのね」
と言っていく。
わたしの指摘がダイレクトに食い込んで、うろたえる。うろたえ過ぎてなんにも言えなくなっちゃったら、いよいよ困ってくるけれど、日高さんは膝上に腕を押し付けるのをやめて、お腹のあたりで指を組んで、
「煩ってるんです。男の子のことで」
すかさず、
「会津くんでしょ」
と、決定的な名前を、日高さんに向かって提示してみる。
動揺したのか、また数分間固まる。インスタントラーメンが出来上がってしまうぐらい固まり続けて、それから、
「そうです」
と彼女は言って、
「会津くんです。好きになっちゃったんです、あたし」
と、弱く打ち明ける。
「好きになっちゃった。なっちゃった。恋をしちゃった。しちゃって、だけど……2学期が過ぎてゆく中で、だんだん敗色濃厚になって」
「敗れそうになったのね」
だれに敗れそうになったのか。もちろん知っているけれど、わたしの口からは言わないでおく。日高さんに思いっきり吐き出してもらいたかった。
「敗れそうになったというか……負けました」
ハッキリと日高さんは伝えてきた。
「会津くん、ソラちゃんと、くっつく。というか、もうくっついてる。事実上」
『ソラちゃん』。水谷ソラさん。日高さんと一緒に3年間、部活動に取り組んできた。ふたりは、仲良し。女子の親友同士、手を取り合って、絆を結び続けて。そうしてここまで頑張ってきた。
でも、3年間一緒に打ち込んだのは、水谷さんと、だけではなかった。
会津くん。
しかも、会津くんと日高さんの性別は違ったし、当然、会津くんと水谷さんの性別も違った……。
日高さんは、さめざめと泣き始めていた。
「椛島先生。あたし、会津くんと踊ったの。文化祭のとき踊ったの。後夜祭。フリーダンス。踊って、あきらめた。あのとき既に、会津くんとソラちゃん、お互いのことを認め合って、分かり合って、受け容れ合って。互いに引き付けられ合って。だから……文化祭の最中も、ふたりだけで一緒に行動してて。たぶん、手だって繋いでたんだと思う」
語る日高さんのコトバに、ところどころ、涙顔(なみだがお)特有のモノが混じっていた。
「あきらめたから、失恋した。引きずりながら、部活の活動教室で接し続けた。だけど『終わったこと』を引きずり続けたから、部活が終わって下校したあとで、毎日毎晩、胸を掻きむしられるような感覚が襲ってきて」
わたしは、ボロいソファから立って、日高さん側のボロいソファに行って、座って、寄り添った。
「つらいから、椛島先生に、吐き出したかったの。ごめんなさい。あたし今、世界でいちばんワガママな女子」
「わかるわ。わかるわよ、日高さん。あなたのキモチ、とってもとっても」
泣きじゃくりながら肩を寄せてくる彼女に、
「偉いと思う。ちゃんと教師を頼ってくれたこと」
と言い、
「失恋は、つらいし、痛い。たぶんわたし、あなたの数倍、痛い思いをしてきた。もっとも、数の比較って問題じゃないんだけどね……」
日高さんはワンワン泣いている。
『もっと感情を共有してあげなきゃ』と、彼女の隣で、真剣に思った。