「会津くん、やっぱり浴衣着て来なかったね。やる気が感じられないよ」
日高ヒナにたしなめられた。
既視感を覚える。
水谷ソラがボクの左横にひょいっ、と出てきて、
「ホントにそーだよね、消極的」
と日高に同調したあとで、
「だけど、これはもはや、会津くんの『個性』なんだよ」
と言った。
「んーっ……そうかな」
と日高。
「そうだよ」
と水谷は言って、
「ヒナちゃんも、尊重してあげて?」
とも言う。
『なぜ今日という日に限って、ボクを立てるのか』
そう言いかけた。
が、しかし、藍色の浴衣を着た水谷は、ボクに背中を見せて露店の立ち並ぶところへと歩いていってしまう。
水谷がスニーカーを履いていることに気がついた。
せっかく浴衣なのに、スニーカーかよ。
× × ×
案の定、日高に食い物の代金を払わされた。
あれか。
ボクは、財布かATMかなんかか。
「食い過ぎだぞ、日高っ」
怒るのだが、
「気前悪いねー、会津くんも」
と、罪の意識の欠片(かけら)も感じられない態度で、日高は言ってくる。
「面倒見切れん!」
『会津銀行』を閉店させて、日高に背を向け、歩き出そうとする。
だが、真正面に水谷が立ちはだかっていた。
「金欠?」
そう言って、団扇(うちわ)で自分の顔をパタパタあおぐ水谷。
「お子様ランチな部長のおかげで予算が尽きそうだ」
「ヒナちゃんを『お子様ランチな部長』だとか。ヒドいねえ、会津くんも」
水谷の苦笑い。
「――予算が尽きるなら」
団扇を動かす手を止めて、水谷が、
「飲み物ぐらいなら、恵んであげるよ」
と。
「あそこでラムネを売ってるじゃない? わたしが買ってあげるよ」
「……すまないな」
「……買ってあげるから、さ」
「ん?」
「ラムネを売ってるところに……わたしと、来て」
「なぜだ」
「来てよ」
「だから、なぜ……」
「来てよ!」
ハウリングしたような大声を、水谷がいきなり出した。
他の祭り客が一瞬、注目する。
水谷はラムネ売り場まで駆け出す。
ボクは……慌てて追いかけていた。
水谷はラムネを2本買っていた。
追いついたボクに、黙って1本を差し出す。
受け取りつつも、
「日高には、買ってやらんのか」
と訊く。
すると、コクン、と首を縦に振るではないか。
「日高が可哀想だぞ、いま置いてけぼり状態になってる、もう1本ラムネを買って日高のところに――」
「うるさいよ。ラムネが温(ぬる)くなっちゃう」
「君は日高とケンカ状態なのか? 違うよな? 今日もいままで普通に話していて――」
「それ以上べらべら喋るのなら、会津くんの口にラムネ瓶を押し込む」
「な、なんだそれ」
「ホンキで押し込むよ」
なんなんだ、水谷は。
飲み始めるしかないというのか。
追い詰められる。
『今日の水谷の勢いだと、本当にラムネ瓶を口に押し込められるかもしれん』
そう思い、押し込められるのは流石に勘弁なので、折れて、ボクは飲み始めた。
半分以上飲んで、いったん瓶を口から離す。
上空が葡萄(ぶどう)色に染まっていることに気がついた。
花火が揚がるまで、あとどのくらいか。
「ちょっと、全部飲んじゃいなさいよ」
水谷が催促してくる。
ボクは、
「飲んだら、日高と合流して、花火を待つ流れだよな?」
と訊く。
しかし、
「『流れ』なんか、どうでもいいよ」
と、眼を逸らして不満そうに水谷が言ってくるから、ココロがざわめき始めてくる。
まさか。
強引にラムネ売り場まで引っ張って来させた、意図は。
「まさか。水谷、君は」
「……なに」
「ボクと……2人になりたかったのか」
斜め下目線の水谷の頬(ほほ)に、赤みがさした……気がした。
「……会津くんは。会津くんは、今日のわたしがヘンだと思う?」
「……ああ。そう思う。もっとも、『部活引退宣言』のあとからは、ずっと様子がヘンであるように見えていたが」
「……」
「お、おい水谷」
「……。ありがと」
『ありがと』??
「なぜこのタイミングで、感謝を??」
ボクは言うが、水谷は口をつぐむ。
「や、やはり、君がおかしくなり過ぎる前に、日高のもとに戻るべきでは」
焦るボクは言った。
しかし。
言った直後に。
「――うるさい。」
という罵倒を添え、水谷が、ボクの右腕を握ってきたのだ……!!
× × ×
引っ張られた。
強く引っ張られた。
水谷は、ボクを離したくないかのようだった。
「――よし。この辺りまで来れば、たぶんだれにも見られない」
意味不明瞭なことを言う水谷。
藍色の背中。
暗くても光っている浴衣の帯。
しばらく彼女は立ち尽くす。
花火が揚がり始めるのは、何時(いつ)か。
水谷の信じられない行動のせいで、その時刻を忘却してしまう。
「会津くん。ごめんね」
今度は唐突な「ごめんね」かよ。
「わたし、野球帽もかぶってないし、髪留めとかもつけてない。お祭りで、せっかくのハレの日なのに、身だしなみがいい加減で、ごめん」
「……気にし過ぎだろ。100%」
「女の子は気にするんだよ。気にしちゃうんだよ」
む……。
「ねえ、会津くん。身だしなみがいい加減になっちゃった原因、分かる?」
分からない。
だから、「……」と沈黙するしかない。
「分かんないよね。分かるほうがコワいよね」
ゆっくり、緩やかに、水谷がボクのほうに振り向いた。
それから、スニーカーの足をゆっくりと動かし、ボクとの距離を詰め始める。
それからそれから、いわゆる社会的な距離よりも近いような地点まで来て、ボクの私的(プライベート)な領域(ゾーン)を侵し始める。
つまり……ボクが腕を伸ばせばすぐに彼女の肩まで届くような、そんな間近な地点まで、水谷ソラはやって来ている……。
まっすぐ水谷はボクの顔を見つめる。
ボクのほうがかなり背は高いから、見上げる形だ。
ドクドクドンドンと、心拍数が上がる。
声が出てこない、コトバが出てこない。
「身だしなみがいい加減になっちゃった原因、言う代わりに」
「……代わりに?」
「『言語』とは違う『言語』で、わたしの気持ちを伝えたい」
「……意味不明瞭だぞ」
「もうっ。この期に及んで――うるさいんだから。」
顔を近づけて。
両腕をゆっくりと前に出して。
「会津くん。
あのね。
『恥ずい』って自覚は、もちろんあるよ?
なんだけど……だけど。
……抱きつかせて」