【愛の◯◯】鳴海さんが、あと僅かで

 

帰宅した。お父さんはまだ帰っていない。

自分の部屋に入り、カーテンを開ける。明るい。日が高い。夕暮れまでは時間がありそうだ。

本棚の前にとりあえず腰を下ろす。『るるぶ』『まっぷる』を適当に抜き出して、ページを意味もなくパラパラめくる。それから、『地球の歩き方』にも手を伸ばし、抜き出して、ページを意味もなくパラパラ。

実を言うと、自分のココロに落ち着きがなくて……だから、こういう意味のない作業で気を紛らせているのだ。

ココロに落ち着きがない。それは何故かというと。

 

× × ×

 

9月卒業……ですか!?

『そ。9月卒業』

『な、な、鳴海さんっ』

『どしたの、八木ちゃん』

『あのっ、もう一度確認させてくださいっ。鳴海さんが……9月で……大学を……』

『卒業するよ』

ドクンドクンという自分の体内の音が聞こえていた。

寝耳に水。

まさにそうだった。寝耳に水だった。

そういう制度が存在するのは知っていた。だけど、あまりにも急に告げられたから……。

恐る恐る、

『9月卒業に決めた理由は、なんですか』

と問うた。

『きっぱりしなきゃなー、と思ってね』

『きっぱり?』

『時が来た、って。そういう感じもあって』

何も言わず彼を見つめるわたしに、

『甘えていられないとも思ったんだ。他人にもそうなんだけど、他人以上に自分にこれ以上甘えていられない、ってね』

『でも、卒業したあとは……』

『なにをするのか、なにになるのかって問題?』

『……ハイ』

『それは未定』

言ってから、彼は苦笑いになって、

『半年ぐらい、旅にでも出よっかな』

 

× × ×

 

旅ならわたしも好きだ。

旅は好きだし。

それに……。

『わたしも旅に連れて行ってください!!』なんて言える勇気、全然なかったけど。

だけど、そんなふうな意志がココロの中で蠢(うごめ)くぐらい、わたしは鳴海さんのことが好きだ。

そうだ。わたし、あのヒトのことが好きなんだ。

 

だけれども、あのヒトはあと僅かでわたしの前から消えていく。

別れはいつも突然……なんて、ありふれたフレーズだけど。そういうありふれた状況に……なってしまったのだ。

 

× × ×

 

お父さんとふたりで夕飯を食べている。

わたしのご飯茶碗の左横には『地球の歩き方』。『地球の歩き方』を手元に置きながら食事するってお行儀悪いだろうか。

「八重子。なんで『地球の歩き方』なんて茶碗の横に置いてるんだ」

お父さんが訊く。咎めるような口調ではなかったけど、ギクリとする。

「ちょっと……塞ぎ込んでるから。だから、『地球の歩き方』みたいな本を読んで、広い世界を想像してみたくって」

わたしはいったん箸を置き、

「つまり、現実逃避だよ」

「フム……」

お父さんもいったん箸を置き、

「それは、八重子だけで解決できそうな問題なのか?」

わたしは黙って箸を見る。

数分が経過。

……夕飯が冷めきってしまう前に答えなきゃ、と思ったから。

「――できそうにない。

 できれば、お父さんに、わたしのカウンセラーになってほしい。

 100%のことを伝えるわけじゃない。秘密としてしまっておきたいことだってある。

 だけど――相談が、したい。

『人生相談』の範疇に入るのかな――これって」