【愛の◯◯】八重子の旅々

 

八木八重子の実家のマンションにやってきた。

いつもは、八重子のほうが、わたしの家に来てくれているので、たまには……というわけ。

 

「葉山、大丈夫?」

「体調のこと?」

「そう。移動で、体力、消耗してるんじゃないの?」

「心配症ねぇ。ここまで来るぐらい、どうってことないわよ」

「そっか……。たしかに、顔色、良さそうだもんね」

「安心してちょーだいよ」

「わかった。なにか、飲む? コーヒーとか紅茶とか。――あ、残念だけど、メロンソーダはないよ」

「飲みもの飲むより、八重子のお部屋に入ってみたいな」

「え、いきなり」

「ダメ?」

「……まあ、綺麗な状態にはなってると、思うけど」

「じゃあ入らせてよ」

「……漁らないでよ」

「漁らないから。だいじょーぶだから」

「……信用していいのかな」

 

× × ×

 

久々に八重子のお部屋に入った。

CDと本が、増えている。

 

「八重子って、こんなにCD、持ってなかったよね、前は」

「大学入ってから増えた」

「『MINT JAMS』に入会したから?」

『MINT JAMS』は、八重子の大学の音楽鑑賞サークル。

戸部くんもいる。

「そうだね。サークルの影響、大」

カシオペアっていうバンドのアルバムで、『MINT JAMS』っていうのがあるんだけど」

「よく知ってたね葉山。それがウチらのサークル名の由来だよ」

「それぐらい、わかるから」

わたしはニッコリと笑う。

 

ニッコリ笑いながら、本棚をつぶさに見る。

なるほど。

いまの八重子は、こういう趣味か。

「――なかなかじゃないの」

「なにが、なかなか、なの?」

「本棚の、取り揃え」

「……自慢なんてできないよ。どうせ、葉山には、負けるから」

「負けて当たり前じゃないの」

「またまたぁ……口が悪いんだから」

「わたしの本棚査定は厳しいの」

 

新書を、ずいぶん読んでるのね……と言おうとしたら、

「葉山」

「んっ?」

「あんたの本棚査定ってさ」

「……うん」

「キョウくんの本棚に対しても、厳しいの?」

 

思わず、八重子に振り向く。

八重子は最高にニヤニヤな顔になっている。

 

とつぜんキョウくんの名前を出されて、混乱と焦り。

――ほんの少しばかりの憤りでもって、

「わたしとキョウくんの関係を、からかってこないでよ」

「からかってるつもりは、ない」

 

ウソでしょ、ウソ。

ぜったい、『どこまで進展したの?』とか言ってくるつもりだったでしょ。

 

まぁ……許してあげちゃう。

小さなため息をついて、八重子のからかいを許容し、

「彼の本棚は、特別なのよ」

「好きだから、特別なの?」

「それもあるし……いろんな鉄道雑誌が詰め込まれてて、わたしの手には負えないから」

「査定できないんだ」

「できない」

「さすが、葉山の唯一無二の幼なじみ」

 

「テンション高いね、八重子……」と言いながら、再度、彼女の本棚に眼を転じる。

下のほうに、ずいぶん、旅行ガイドブックが並んでいることに気づく。

何年か前の『るるぶ』が、まとめてあったりも。

 

「……旅行に行きたいの?」

八重子に問うてみる。

「行ってみたいな。できるだけ、近いうちに」

八重子は答える。

「ホラ、人生って、旅に似てるでしょ。旅することが人生……というより、人生そのものが、旅である気がして」

「……どうしてとつぜんにカッコつけたこと言ったわけ」

微笑の八重子。

うんともすんとも言わない。

 

しばらくしてから――なにゆえか、遠い目をして、八重子はふたたび口を開く。

「憶えてない? 葉山。高3のときの――『温泉逃避行事件』」

「――憶えてる。卒業間際に、センター試験で失敗してやけっぱちになった八重子が、小泉を連れて、北関東の温泉に逃げ込んだ事件」

「あんたやっぱ、頭いいんだ。記憶力、冴え渡ってる」

「忘れるわけないでしょう。ずいぶん騒ぎになったんだもの。……だけど、そのことが、どうかしたの?」

「や、あの温泉逃避行は――楽しかったなぁ、って。楽しかったし、いい経験になったなぁ、って」

「……美化されてるわね」

「初めて、じぶんの意志で旅行したから、美化されてるのかな」

「旅行というより、家出まがいでしょ、アレは」

「――わたしのお父さんは、怒らなかったよ?」

「……。それで、八重子の言いたいことは?」

「急かすね」

「焦らすからでしょ」

「もういちど、記憶に残る、旅がしたい。……あの、温泉逃避行を上回るような、得がたい経験を、旅することで――」

 

八重子の眼は、キラキラ。

 

仕方がないったら、ありゃしないんだから。

 

「――長旅なら、八重子のご自由に、なんだけれども」

「? 葉山?」

「……都内某スーパー銭湯の無料チケットが、かばんのなかに入ってるのを、思い出したわ」

「えっ、そんなもの入ってたの」

「八重子。長旅に出る前に――わたしといっしょに、お風呂に入らない?」

「あんたと、いっしょに、入浴!?」

「なによ、のけぞらなくたって、いいじゃないの」

「だって、だって、葉山……美人だし」

「わたしが美人なのと、入浴を遠慮することに、因果関係があるっていうわけ?」

「……ある。」

「……」