「ふぅー、終わった終わった」
思わず、声に出てしまった。
――それにしても、葉山ちゃんの部屋は、掃除のし甲斐(がい)のある部屋だ。
本人の前でそんなこと言ったらかわいそうだから、言わないけど。
「ま、どっかの幼なじみのギンと違って、あたしはキレイにするのは得意だし」
またもや、ひとりごと。
葉山ちゃんの本棚を、軽く物色してみる。
とくに、マンガ本。
へえ……。こんなマンガも、あるんだな。
あたしの知らない世界が、彼女の本棚には、詰まっている。
『ルミナさん』
声がした。
部屋の前にやってきた葉山ちゃん。
「昼ごはん、もうすぐできますよ」
「わかった。
掃除、完了したよ」
「ありがとうございます。いつもながら」
彼女は少し、うつむいて、
「散らかさないように、普段からわたしも気をつけたい、って思ってるんですけど……」
ん~、
気負いがあるかな。
「無理しなくて、いいんだよ」
「でも」
「4月からも来てあげるから、さ」
「でもルミナさん、社会人に……」
「心配ご無用」
彼女の左肩に、ぽん、と軽く右手を置いて、
「不安は……葉山ちゃん、あなたの大敵(たいてき)だと思ってるから」
「……はい」
「あたしがついてるからね。あたしだけじゃないけど」
「……はい。」
「みんな、ついてるから」
葉山ちゃんは目線を上げて、
「――食べましょうか、お昼」
「そだね」
× × ×
「ルミナさん」
「うん?」
「音楽を――流しながら食べても、いいですか」
「えんりょしないで~」
「では」
スマホをスタンドに置いて、アプリで音楽を再生しようとする葉山ちゃん。
「葉山ちゃんご自慢の、プレイリストか」
「それほどでも」
「楽しみ」
「ルミナさんが知ってる曲、あるのかなあ…」
とにかく、
『いただきます』
とふたりで言い、
料理を味わいながら、音楽も味わうことにする。
ミートソーススパゲッティ。
「うわ~、おいしい」
「おいしいですか?」
「おいしいよ♫」
「実は――父は、わたしよりもっとおいしいスパゲッティが作れるんです」
「あなたのお父さんが!?」
「滅多に自分では作らないんですけど…」
「…スゴいお父さんね」
朗らかな笑顔で彼女は、
「はい。」
いいなー、父娘(おやこ)愛。
あたしの父は……スパゲッティの茹でかたも知らないんじゃなかろうか。
冴えない父親を持ってしまったもんだ……。
「――泣けてくるよ」
「えっ?」
「たぶん、ウチの父親のほうは、ペペロンチーノがどんなパスタかも知らないよ」
「…ペペロンチーノを知らなくても、不都合はないと思いますけど」
「だよね。ペペロンチーノ知らなくたって、生きていけるんだよね。
でも…ちょっと、頼りないかなって」
「ルミナさんのお父さんが、ですか?」
「冴えない父親よ」
「辛口……ですね」
「あたしは、あたしの家族と幼なじみには、タバスコみたく辛口なの」
「……ルミナさんの喩(たと)え、面白い」
× × ×
「あ、この曲、いい曲だよねー」
「ご存知だったんですか!?」
「けっこうあたしも知ってる曲、流れてた」
「ルミナさん……詳しいんですね」
「ギンの受け売り」
「――幼なじみのかた、ですよね?」
「そだよー。
葉山ちゃんにとっての、キョウくんみたいなもの」
「……」
「ご、ごめん、キョウくん引き合いに出しちゃって。
でも……そんな感じの関係、だから」
「……、
ギンさんも、春から、社会人なんですか?」
「留年。悲しいことに」
「あー、それは、悲しい……」
「サークルはもう、一線引く、とか言ってたけど」
「戸部くんも会員なんですよね、そのサークル」
「だよー」
「そして、八重子も――」
「八重子?」
「あ、八木八重子です」
「そうかそうか、下の名前、八重子だったね」
「――なんでも、戸部くんをサークルの中心に据(す)える目論見(もくろみ)らしいよ、ギンは」
「え~っ、戸部くんに、務まるんでしょうか?」
「未知数。ゆるめのサークルでは、あるけれど」
「シンパイだな~~、わたし」
「あたしも~~」
「…そういえば、戸部くんの顔、しばらく見てない」
「あたしも。キャンパスまで行かないし」
「きょうあたり…『リュクサンブール』でバイト中じゃないですか? 彼」
「突撃してみる? 『リュクサンブール』に」
「いいですねぇ! すごくいいと思います、突撃!!」
不敵に笑う、葉山ちゃんだった。
決まりだな。
× × ×
「いると思った」
「しばらく来てないと思ったら、なんのアポもなく、ルミナさん連れで……」
「なに言ってんのよぉ戸部くん。来店するのにアポなんて必要ないでしょっ」
「――正直、葉山が入ってくるのを見たとき、ビクッとした」
「怖がっちゃイヤよ」
「怖かねーけど、さ」
「もっと信頼、置いてよ」
「信頼ってなんだ……」
「わたしは、きょう戸部くんのシフトが絶対入ってるって、信じてたよ?」
「信じるのと、信頼するのとは、微妙に……」
「わかってないなー。そんなんじゃ単位、ボロボロこぼしちゃうよ」
「葉山に言われたかねぇっ」
「単位は大事だよ、戸部くん」
「るっルミナさん」
「あなたの愛ちゃんにも伝えといて、単位は大事、って」
「そっそれはそうと、お、おれっ、オーダーとんないと……」
「焦ってるね。あたしと葉山ちゃんの2方面から攻められてるからか」
「おっおれは早くオーダーを」
「……手が震えてない? 大丈夫??」
× × ×
「キョドってたね」
「キョドってました」
そうやって、あたしに同意しつつも、
葉山ちゃんは、遠のいていく戸部くんの姿を眺めて――、
「だけど、戸部くんの、背中――」
「どーかしたの? 背中が」
「彼の背中――、
ずいぶん、サマになってると思います」
「…なってるかなぁ」
「…なってますって」
感慨深そうに、葉山ちゃんは、
働いている戸部くんの姿を、しばらく眼で追っていた。