【愛の◯◯】赤い電車でひとっとびのストレンジャーにこんにちは

 

大学の後期が始まっている。

1浪して入った大学、最初の前期はフル単だった。

奨学金もらってるんだから、頑張らないとね。

後期も単位は、落とさない。

 

わたし、八木八重子は、「MINT JAMS」という音楽鑑賞サークルの会員になった。

大学に入るまで、ポップスとロック以外の音楽を知らなかった。

このサークルに来て、眼を見開かれる思いだった。

世界は広い。音楽の世界も広い。

いろいろな表現の形があるんだな――って。

ファンクだったり、ジャズだったり、ほかにも両手で数え切れないほどの音楽のスタイルを、現在進行形で吸収している。

上級生のギンさんや鳴海さんのおかげ、彼らのおかげで――視界が広がった。

 

× × ×

 

「ギンさん」

サークル室のPCの前でぼーっとしているギンさんに声をかけた。

「なんだろう八木さん」

「この前聴かせてもらった、ジェイムス・ブラウンのライブアルバム…またいつか、聴かせてください」

「ああ……あの音源は確かに、一発で気に入るよね」

「あと、スライ……なんでしたっけ、スライなんとかファミリーストーンっていうグループ」

「スライ&ザ・ファミリー・ストーン」

「そうですそれです」

「覚えづらいよね……致し方ない。スライも好きなの?」

「気に入ったので、また聴かせてくださいね」

「現在(いま)じゃなくていいの?」

「いいんです」

「なんで?」

だって……わたしはもっと、新しい音楽を知りたいから

「好奇心旺盛で素晴らしいね、きみは」

「それほどでも」

謙遜してみたが、

「旺盛な好奇心だったら、少なくとも戸部くんには負けません」

「ハハ……」

 

× × ×

 

「あ、この曲好きなんです」

スピーカーから流れてきた歌は、とある日本の超有名バンドの、比較的マイナーなシングル曲だった。

「どうしてかっていうと、世界観があって」

「『世界観があって』か。センスいいね、八木さんは」

「えっ!? センスいいって、なんのセンスですか」

「言語感覚――ってやつ?」

 

『世界観があって』って、わたしは何気なく言ったつもりなのに。

ことばの表現を、誰かに褒められたのは、初めてだと思う。

 

わたしの言語センスを賞賛したギンさんは、

「さてと、」

と独(ひと)りごちたかと思うと、カバンから教科書か参考書のようなものを取り出した。

「勉強されるんですか?」

「さすがに、動き出さないと――ちょっとね」

「たいへんですね、卒業前に」

「いや、卒業は、まだやってこないんだ……」

 

「すみません……ギンさん、失礼で」

「いやいや」

ずいぶん分厚い本で勉強するんだな――、いったいなんの勉強するんだろうな――、と思った。

表紙を覗き見たりは、しないでおこう。

黙ってギンさんが頑張ってるのを応援しよう。

 

× × ×

 

約2時間頑張り続けたギンさんが、分厚い本を閉じた。

「きょうはこのへんにしといてやろう」

「お疲れさまです」

「『これ』に加え大学の講義にも出なくちゃならないから、疲れるね」

「ギンさんの学部って、社会学部でしたっけ?」

産業社会学部」

「――どんなことするんですか?」

「さぁ……イマイチわかんないね、わかんないまま、ここまで来てしまったんだよ」

「でも自分で産業社会学部を選んだんですよね」

「内部進学だけどね……動機だけはちゃんとあった」

 

あー。

 

ひらがな3文字のバンドの、漢字3文字のボーカルに憧れていたんですね?

「よくわかったねぇ! 八木さん」

これくらいの知識はある。

「おれは――高校生の頃は、日本語ロックしか頭になくてさ」

「へぇ~」

「京浜の『赤い電車』に乗って、旅に出たりした」

「…ストレンジャーですね」

「…ストレンジャーだったよ、ほんと」