放送部室近くの廊下を歩いていたら、福良万都(ふくら まつ)さんと出会った。
福良さんは放送部員の2年生だ。
肩より少し下までおろした、まっすぐな黒髪。
そんな彼女からは今日も、おっとりとマイペースであるといった印象を受ける。
「急ぐこと」や「焦ること」を知らなさそうな表情が、わたしの眼に入ってくる。
彼女はゆるやかな声で、
「小泉先生は、今日は部活に来られないんですか?」
「ごめんね、福良さん。やらなきゃいけない仕事があるの」
やらなきゃいけない「仕事」がなんなのか、を問おうとすることもなく、微笑みながら、
「忙しくて、大変なんですね」
「教員だからね……。顧問なんだから、できる限り、放送部の子たちには指導してあげたいって思ってるんだけどさ」
「ご苦労さまです」
おっとりとした笑顔を持続させ、
「素敵ですね。熱意があって」
と言ってくれる。
ホメられちゃった。
福良さんにホメられた嬉しさで、もう少しその場に留まっていたい気持ちもあったんだけど、
「ありがとう、福良さん」
と感謝しつつも、
「明日の放課後は、部に顔を出せると思うから」
と言うやいなや、職員室に急ごうと、速足でわたしは歩き始める。
「がんばってくださ~い」
福良さんの応援の声。
「転ばないように、気をつけてくださ~い」
注意喚起の声すらも……彼女は、ゆったり。
× × ×
かなり長めの半身浴をして、疲れを癒やした。
今週も、まだ水曜日が終わったばっかり。
木曜日と金曜日が残っている。
社会人慣れするのには、時間かかりそうだな……と思いつつ、くたびれた背中を座椅子に引っ付ける。
無線マウスを動かして、ビデオ通話サービスのアイコンをダブルクリックする。
羽田利比古くんがモニターに映っている。
彼は、ただ映っているんじゃなくて、「映(は)えている」。
思わず、『またイケメンレベルが上がったんじゃないの?』って言いたくなってしまうけど、我慢して、
「大学はどう? 慣れた? わたしはまだお仕事に慣れてなくって、大変だよ」
彼は、
「お疲れさまです、小泉さん。学校の先生は大変ですよね」
「どんな仕事でも、大変なんだと思うけどね」
「確かに。
……ぼくのほうは、大学、だいぶ慣れてきてて。この調子なら、5月病を発症せずに済みそうです」
「すごいなあ。ゴールデンウィーク明けの辛さも、余裕で乗り越えられるって感じ?」
「乗り越えられそうですね」
「あのさ」
イタズラをしたくなって、
「注目、浴びてるんじゃないの」
「……注目?」
「にぶーい。周囲からの注目だよ、周囲からの」
「しゅ、しゅういって」
「利比古くんがキャンパスに居ると、四方八方から、女子の注目の目線が……」
「!!」
おぉー。
利比古くん、ビクッとなって、背筋が伸びちゃった。
こんなリアクションするってことは、図星?
彼からのコトバを待っていると、
「あ、あんまりからかわないでくださいっ。誇張表現が好き過ぎですよっ、小泉さんも」
「悪い悪い、誇張が好きで」
誇張(こちょう)でコチョコチョ……だな。
「……あと10分したら、姉にバトンタッチしますね」
「『逃げるが勝ち』を選んじゃったか~」
「か、からかいにからかいを、重ねないでっ」
× × ×
「――最後のほうは、テンパりが極まってたよ、利比古くん」
バトンを渡された羽田愛さんに報告する。
「確かに、利比古、すばしっこいウサギみたいな速さで、階下(した)に下りて行きましたねえ」
笑いながら言う羽田さん。
わたしの顔面が敵(かな)うわけもないキレイな笑い顔だ。
案外彼女って、メイクとかには無頓着そうだし、そういうところも、妬(や)けちゃうかも……。
じゃなくってっ。
わたしはPCモニターに向かって前のめり気味になって、
「今日は戸部くんと一緒に、お邸(やしき)に『プチ帰省』してる羽田さんなわけだけど」
「はい」
「普段の、『暮らし』は??」
「マンションでの『ふたり暮らし』のことですね」
「そう、そうそう」
「楽しいです」
即答。
本当に楽しそうなのが、伝わってくる。
「そっか。楽しいか」
「『ふたり』は良いですよ、小泉さん」
「戸部くんと、ラブラブなんだな」
「もーっ、『ラブラブ』とか、古い言い回し使わないでくださいよー」
と彼女は冗談めかして言ってから、
「アツマくんと、いろいろしてるのは、事実ですけど」
おっ。
「わたしも彼にいろいろしてあげるし、彼もわたしにいろいろしてくれるし」
オーッ。
「――するんだね。あんなことや、こんなことを」
思わず、『いじくる』ようにして、羽田さんに言ってしまう。
今、夜の何時だっけ――。
PCの時刻表示を見たら、羽田さんがすかさず、
「いろいろ、してほしいんじゃないんですか?? 小泉さんも」
エッ。
「し、してほしい?? だれに……」
普段のわたしじゃないトーンの声で、訊き返す。
戸惑って、『普段着のわたし』を、見失いそうになる。
そんなわたしに……、
「見つけましょうよぉ。しかるべき男性(ひと)を。男性(パートナー)を」
と……彼女から、痛烈な一撃。