ソフトバンクホークスがリーグ優勝する一方で、内川聖一が退団。
――ま、いっか。
× × ×
ある少女が、列車に乗って、ひとり旅に出る。
その列車のなかで、少女は4人の女性に出会う――。
ロードムービー的っていうのかしら。
これ映画じゃなくて、演劇だけど。
主人公の少女が出会う4人の女性。
そのうちの1人がさやかなんだけど、ほかの3人について、いまだ触れていなかった。
・種田さん
・里美さん
・内田さん
この3人。
主演の八洲野(やすの)さんとさやかを含めて、キャストは計5名である。
4人の女性の出番は、
第1幕 種田さん
第2幕 里美さん
第3幕 さやか
第4幕 内田さん
こんな流れ。
ひと幕ごとに、ひとりの女性と、八洲野さん演じる旅の少女は出会っていく。
その出会いが少女になにをもたらすのか、
少女の旅がどんな結末を迎えるのか、
それは……まだ伏せておく。
文化の日の本番までの、お楽しみである。
× × ×
『羽田さん、羽田さん』
いっしょに稽古を見学している松若さんが、わたしに耳打ちする。
『きょうの八洲野さん……なんだか、ご機嫌斜めに見えない?』
わたしも、主に水無瀬さんに聞かれないように、コソコソと小声で、
『松若さんもそう思う?』
『なんだか様子がおかしいよ』
『そうね……。なにごともないといいんだけど』
相変わらず、水無瀬さんのスパルタ指導は続いている。
八洲野さんに対して特に厳しいのも、いつもどおり。
独(ひと)り相撲(ずもう)になる水無瀬さんを本気モードで注意したり、会議室で1対1でお話ししたり、演出家の暴走を止めるべく、わたしとしても精一杯努力したつもりだけど。
昨日の今日で――丸くなるわけがない。
水無瀬さんのカドが取れるなんて、そういう期待は、甘かった。
水無瀬さんの熱血ぶりに変化なし。
松若さんの意見を取り入れたり――「他人(ひと)の話を聴いてくれる」ようになったのが、救いではある。
ただ、他人(ひと)の話を聴いてくれるっていうのは、演者以外に対してのこと。
舞台上の人間に対しては――ひたすら容赦ない。
「違う違う違う」
ほら、また八洲野さんに癇癪(かんしゃく)を起こした。
不満を、全身でアピールする。
演劇部では、みずから役者となって演じている、水無瀬さん。
役者らしい挙措動作(きょそどうさ)……いまは、演出家だけど。
現・演劇部が、旧・演劇部を、キッと睨みつける。
これには、旧・演劇部の八洲野さんも、ひとたまりもない――、
と思って、八洲野さんの顔を見たら、
あれれ?
なんだか――苦虫を噛み潰すような顔になってる。
まるで、水無瀬さんの不満に、不満をもって対抗するように――。
むしろ、八洲野さんのほうが、ピリピリしてる――?
『不穏だよ』
また、松若さんが耳打ち。
『わかる。八洲野さん、怒ってるかも』
ささやき返すわたし、であったが、
今度は水無瀬さんが、キツい眼で、わたしたちのほうに振り向く。
ひそひそ話、気付かれた?
聞こえてたらヤバいな。
ヤバいので――ニッコリ顔を作りあげて、水無瀬さんをなだめようとする。
わたしのニッコリ顔がわざとらしかったのか、フンっ……と口をとんがらせる水無瀬さん。
ふたりの脚本担当を咎(とが)めるでもなく、あっさりと舞台に向き直ったかと思うと、即座に八洲野さんに、もう一度演じるよう促(うなが)す。
演じ直す八洲野さんだったが――どこか動きが、ぎこちない。
「ちょっと!! どこが変わってるってんのよ!!」
たまらず大声を出す水無瀬さん。
怒ってる怒ってる。
持っていたメガホンを床に叩きつけて、ドシドシと足を踏み鳴らして舞台ぎわに接近する。
稽古場にいる全員の注目が、水無瀬さんに集まる。
冷酷な声で、水無瀬さんが語り始める。
「……なんにも考えて来なかったんだね。
時間はあり余ってたはずなんだよ?
稽古が、終わったあと!!
反省する時間、あったはずだよ!?
自己反省。
じぶんでじぶんのどこがいけないのか、
考える時間!!
見なよ。
あんた以外は、みんな考えてるよ。
ちゃんと。
種田さん里美さん青島さん内田さん、
あんたよりずっと反省してるよ、
自分自身で演技を見直してるよ。
なのに。
ヤスノさぁ……どうしてそんなにだらしないの?
ヤスノあんたなんなわけ?
『経験値』だったら、あんたがいちばん持ってるはずでしょ、だって。
そんなあんたが、なんにも学んでない、
学ぼうとしない。
……終わりだね。
なんにもできないまま、あんたはここを卒業していくんだ。
なんにも成し遂げられずに終わる。
一生続くよ。
なんにもしないくせに、成功者をうらやむだけの人生。
負け組の、負け犬の人生。
――『敗残者』ってことば、知ってるかなぁ?
あんたの行く末のことだよ。
…終わりだ、終わり」
途中から、演技、関係なくなって、
人生論みたいな話になってる。
それにしても、『敗残者』って!
脅迫してるみたいじゃないの、八洲野さんを。
度を越してる。
さすがに、ここは――八洲野さんを庇(かば)う場面じゃないかと思って、水無瀬さんに声を掛けようと、決意した瞬間、
「降りて!
もう降りて、そこから、舞台から」
水無瀬さんの脅(おど)し文句に、遮(さえぎ)られてしまう。
ヒンヤリと、冷たい静寂が、訪れる。
時間も空間も凍りついていく。
だれも皆(みな)――なにも言えず、動けない。
「――わかった。降りるよ」
その空気を破ったのは、
八洲野さんだった。
「降りればいいんでしょ、
降りれば!!」
言うが早いか、八洲野さんはダッと駆け出し、舞台からジャンプして飛び降りる。
スカートがふわり、となって――見事に着地成功する八洲野さん。
拳を握りしめ、どんどんどんどん水無瀬さんに詰め寄っていく。
まさに逆ギレだった。
八洲野さんの思わぬ逆ギレにうろたえ、どんどんどんどん水無瀬さんは後ずさりしていく。
「ともかちゃんが演(や)ればいいじゃない!! いっそのこと」
下の名前呼びで、水無瀬さんに向かって絶叫。
床に転がっていたメガホンを、やにわに掴(つか)み取る。
そして、獰猛(どうもう)な犬が噛(か)み付くようにして、水無瀬さんに急接近し、黄色いメガホンを振りかざす。
――まずい。
瞬時にわたしの身体(からだ)は動いていた。
すんでのところで、八洲野さんの暴力を押しとどめる。
水無瀬さんの前に立って、彼女をメガホンで殴打しようとする八洲野さんに抱きかかって、勢いを止める。
全身で八洲野さんを抑(おさ)える。
「ダメよ。八洲野さん、それはダメ」
良かった――わたしのちからのほうが、強くって。
こんな場面で――日ごろ鍛えている成果が、出るなんてね。
逆ギレ八洲野さんを、なんとか抑えつけられている。
「落ち着いて」
気持ちはわかる、わかるよ。
でもメガホンは、ダメ絶対。
腰を抜かすみたいに青ざめて、座り込む水無瀬さん。
ようやく、メガホンを持つ手が下がる。
「そうよ。落ち着くのよ八洲野さん」
必死の声掛け。
わたしだってテンパってる。
だらり、と両手を下げ、うつむいて、復讐の八洲野さんは静止する。
でもメガホンは右手に持ったまま。
不意に、
メガホンを床に叩き落とし、蹴り飛ばす。
「こ、コラっ」
黄色いメガホンは果てしなく転がっていく。
「もう知らない」
はっきりと聞こえた。
八洲野さんが、すべてを投げ出す声。
そして――八洲野さんは、
信じられない速さで走り出し、
稽古場から……消えていってしまった。
追いかけなきゃ。
わたしはひとりでに走り出していた。
水無瀬さんがダメになった今、わたしが八洲野さんをなんとかしなきゃ。
八洲野さんの言い分(ぶん)を訊かなきゃ。
いま、主演女優を失うわけにはいかないから。
もったいないどころじゃない。
劇が……瓦解(がかい)するのは、あんまりにもあんまりだから。
八洲野さん――もったいないどころじゃないよ。
あなた……せっかく、美人なんだから……。