【愛の◯◯】「おまえはおまえだよ、桜子」

 

部活を早退して、邸(いえ)でスカパーのドラフト中継を観ていた。

もちろん、校内スポーツ新聞に、ドラフト関連記事を載っけるためだ。

え?

『なぜ校内新聞なのに、プロ野球の話題も載っけるのか』って?

――これは、創部以来の伝統です。

わがスポーツ新聞部には、校内スポーツのほかに、『世の中スポーツ』という概念があって。

たとえば――格闘技だったら、大相撲やプロボクシング。陸上や水泳の、大きな国内大会や、国際大会。球技ではもちろん、NPBMLBJリーグに海外サッカー……ほかにも、たくさん。

要するに、学校の外で行われているスポーツも、概(おおむ)ねカバーしていますよ……ということで。

わたくし戸部あすかは部内で球技担当なので、ドラフト会議を見届けるのは重大な使命なのです。

 

× × ×

 

『横浜DeNAベイスターズ、選択終了』

 

ベイスターズは、いいドラフトだったんじゃないでしょうか、おねーさん」

おねーさんも、隣に座って、ドラフト中継を観ていた。

「そうね。今年も1位指名が一本釣りだったし。それに、中央大の牧くんを2位で獲(と)れたのも大きいわね」

ゴキゲン、といった様子である。

「おねーさん」

「どした?」

「……ここで、ちょっと『取材』をしてもよろしいですか」

「え、わたしに」

「ちょっとしたインタビューというか、なんというか。『取材』というほどでもないのかもしれませんが…」

ベイスターズ関連?」

「はい」

「あー。ラミレス監督退任とか、そのあたり?」

「そのへんです。ベイスターズファンとして、お気持ちを……」

「ラミレスねぇ」

「今年は采配について、特に賛否両論あったと思うんですけど」

「……思うところあれど、やっぱり、やめちゃったらやめちゃったで、寂しい気持ちはあるよね。3年前は、クライマックスシリーズを勝ち抜いてくれた。ベイスターズ日本シリーズを観るの、わたしは生まれてはじめてだったし――負けちゃったけどさ」

「おねーさんは、ラミレスのこと、結構悪く言っていたような気も……」

「たしかに。『中畑のほうが良かった!』とか、口走っちゃったり。半分、若気の至りだった」

「おねーさんって、野球に関して、結構過激なこと言ったりしますもんね」

「……でも、選手時代から、20年間も日本野球に定着し続けていて。わたしが生まれる前には、もう日本に来てたんだもんね。2000本安打打って、選手だけでなく監督も務めて――ずいぶん日本野球に貢献してくれたのは、否定できない」

「そこは全力で肯定してあげましょうよー」

「そだね。いろいろあったけど、なんだかんだでラミレスには感謝してる」

「よくわかりました。――ところで、ラミレスの後任監督については……」

「まだ確定ではないけど――番長か。」

三浦大輔

「番長ね」

「そこは譲れないんだ、おねーさん」

「番長は番長だもん」

ベイスターズの生え抜きですね」

「大ちゃん以来か」

「大ちゃん?」

「山下のほうの大輔。山下大ちゃん」

「どれくらい前でしたっけ?」

「わたしが赤ん坊のころよ」

「そのころってたしか、ほとんどBクラス…」

「ずっと……暗黒のベイスターズと育ってきたっていう、『自負』はある」

「でもいまは全然暗黒じゃないですよね」

「…考えてみれば、ラミレスが監督になってから、成績上向いたのよね。

 必要以上に、愚痴を言うこともなかったのかも……。

 辞めるってときになって、ようやく気づくものだけど」

「で、三浦新体制への期待は?」

「楽しみよ、そりゃあ。もっと上を目指してほしいよね」

 

 

× × ×

 

 

本人の許可もちゃんともらって、おねーさんの『談話』も、記事に盛り込めることになった。

お邸(やしき)の面々に、もっと取材するのもアリかもしれないな。

流さんとか、意外と食いついてきそう。

反面、お兄ちゃんは取材を嫌がりそうだ。

スポーツ新聞部と、距離を取りたいような雰囲気充満してるし。

でも母校でしょ?

母校の取材に応じてくれれば、喜ぶ人は多いだろうに。

母校では、今でもお兄ちゃんは人気者なんだよ?

――かえって、そこが気が引けるのか。

なんだかなあ。

 

 

そんなことを考えながら、火曜の放課後、ノートPCで、ひたすら記事を書いていた。

「がんばるね、あすかちゃん」

桜子部長がそっと、ホット紅茶のミニペットボトルを置いてくれる。

「あっ、ありがとうございます」

「わたしのサービス」

「桜子さん、すみません、ドラフト速報、明日の号に間に合わないかもしれない」

「致し方ないじゃない。ドラフトは昨日の夜終わったばかりよ」

「木曜の朝とかになったら、速報性がなくなっちゃいそうで――」

「でもその分、じっくりと考えて書いた記事を提示できるでしょう?」

「――まぁ、一般のスポーツ新聞と、同じようには、できませんもんね」

「けれども、限界があると同時に、高校生には高校生なりのオリジナリティがある」

「オリジナリティですか。」

「たとえば……高校生らしい、『思考の柔軟性』」

「なるほどー」

 

「『思考の柔軟性』って、具体的には?」

 

岡崎さんが、茶々(ちゃちゃ)を入れてきた。

わたしは岡崎さんをムッとした眼で見る。

 

岡崎さんの茶々に対し――桜子さんはスッ、と眼をそむけて、うつむくばかり。

昔の桜子さんだったら――即座に岡崎さんに突っぱねて、『具体的にはこういうことよ!』って、岡崎さんを黙らせる勢いを見せてくれた、はずなのに。

 

ハルさんの試合に関する一連の流れで、わたしの岡崎さんに対する評価は上昇カーブを描(えが)いていた。

今なら、桜子さんとも打ち解けてくれるだろうって、思っていたのに。

まだギクシャクしてる、岡崎さんと桜子さん。

いい加減、打ち解けてくれないと…こっちまで居心地が悪くなる。

せっかく、信頼できると思ったのに。

裏切らないでよ、信頼。

岡崎さん!

 

 

「……岡崎くん」

 

ボショリ、と口を開いたのは桜子さんだった。

 

「岡崎くん。わたし、部長の務め、果たせてるのかな……?」

 

本質を貫くような問いに、岡崎さんがたじろぐ。

 

わたしは、中村センパイみたいには、なれなかったのかな……

 

 

× × × 

 

中村前部長から、日曜の夕方、グループLINEに、唐突に投稿があった。

 

コントレイル、コントレイル、コントレイル!!!

 

――それがなにを意味しているか、わたしたちは理解できた。

 

菊花賞を勝ったコントレイルは、オルフェーヴル以来9年ぶりの牡馬(ぼば)クラシック三冠馬の栄誉に輝いた。

無敗での三冠達成は、コントレイルの父であるディープインパクト以来15年ぶり、史上3頭目の快挙である。

 

――中村前部長がいなかったら、こんな知識、持たなかっただろう。

当然、未成年で馬券は買えないんだし、コントレイルの快挙は紙面の片隅にとどまった。

でも――中村前部長が興奮するのも、無理はない。

競技として、スポーツとして、コントレイルの偉業に沸き立っているのが、グループLINEの字面(じづら)から、ありありと伝わってきた。

『コントレイル、コントレイル、コントレイル』って3回繰り返すのは、三冠馬だから。

『!』が3つなのも、三冠だから。

そういう彼の意図も――読み取れる。

 

 

コントレイルの偉業の興奮冷めやらぬうちに、わたしは中村前部長と少し通話をした。

 

テレビ西日本で観ていたよ。僅差だったけど、勝った馬が強いんだ』

コントレイルの経歴その他についてまくし立てる中村前部長。

「ほんとうに好きなんですねぇ」

『スポーツとして楽しんでるんだ』

「馬券は20歳になってから、ですもんね」

『ハタチになったら、適度に、だな』

 

「ところで。この前『笹島飯店』に行ったんです」

マオさんと会ったことを、話しておかなくてはと思った。

「マオさん言ってましたよ。『わたしがいちばんソースケのこと、わかってる』って……そんなことを」

『……』

「恥ずかしいですか? でもわたし、聞いちゃったんで」

『……いや、純粋に嬉しいんだよ』

「それはよかったです……マオさん、中村部長がどこにいたって、中村部長のことが大事なんです」

やっぱり、中村「部長」と呼んじゃうクセが、直らない。

『おれだってそうだよ』

「マオさんが、大事。」

『ああ……大事さ』

「中村部長!」

『……??』

尊敬してます!!

『……!!』

 

 

 

× × ×

 

……わたし中村さん尊敬してるの。ほんとうに、規格外の部長だった。目くじら立てる先生もいたみたいだけど

 

弱々しい語り口で、中村前部長への思いを表明し続ける桜子さん。

 

わたしは……中村さんの域には、届かなかったみたい

 

そんなことないです、と桜子さんを庇(かば)おうとして、それでもことばを言いあぐねていたら――、

 

岡崎さんが、

桜子さんの正面に立って。

それから、中腰になって、

桜子さんと同じ目線になって。

 

そして彼は、あっけらかんと笑いながら、

おまえにいいこと教えてやる。たったひとつの、事実をな。

 

えっ……、と、思わず桜子さんは、岡崎さんの顔を、まっすぐ見る。

 

「事実……?」

「そうだ。

 おまえは中村さんじゃない。おまえはおまえだ

 

 

「――岡崎くん――」

 

桜子さんは岡崎さんの眼にクギ付けになっている。

 

「それとさ――」

少しだけ、はにかみ気味に、桜子さんと同じ目線を保ったまま、

おれだって、中村さんも尊敬してるけど、

 桜子だって、尊敬してるんだぞ。

 もちろん、スポーツ新聞部の、部長としてな。

 

 

 

 

やっぱり、裏切らないでくれた。

疑った自分が、バカだった。

 

桜子さんが、岡崎さんを見つめ続ける。

岡崎さんは、桜子さんと同じ目線を、保ち続けてあげている。

 

わたしが出会ってから、最高の――岡崎さんの、優しい顔だった。