『6年劇』の開幕の幕が上がる。
第1幕。
八洲野(やすの)さん演じる主人公の少女が、ロングシートのような列車の席に座っている。
『始発駅。
もう少しで、わたしを連れていく列車が動き出す。』
アフレコした八洲野さんの語りが流れる。
『書を捨てて、旅に出ようと思っていた。
でも、けっきょく捨てきれなかった。
中途半端なところまで読み進めた本を、
中途半端に何冊か、かばんに入れて、
旅の列車に乗り込んだ。』
八洲野さんにスポットライトが当たっている。
バックでは、影絵のような、秋をイメージした美術。
秋のなかでも、ちょうど今ごろ――文化の日前後の季節、のような雰囲気に包まれた、始発駅という設定だった。
その設定を汲んだ、照明や美術に、なっている。
もちろん、水無瀬さんの演出手腕の、見せどころである。
『金ピカみたいな輝きは、通り過ぎていった。
翳(かげ)りのある季節が、やって来ようとしていた。
いつのまにか、この街の空気は、透きとおるようにヒンヤリとなっていた。
だから、いてもたってもいられず、
わたしは――旅の列車に乗り込んだ。』
× × ×
脚本担当のふたりだけで、語り合ったときのことを、思い出す。
松若さんはこう言っていた。
「ラストから逆算したんだよね」
「つまり、出だしの部分では――」
「そう。真逆、とはいかなくても……ラストとは対照的なイメージを、最初の幕では表現したかった」
「それが――『文化の日みたいな秋』」
「『文化の日みたいな秋みたいな、始発駅』」
「あくまで、秋の季節だとか、11月だとか、具体的な時期は、指定せずに」
「あえて、ぼかしてみる」
「場所もぼかしてるよね。どんな地方の始発駅なのか、いったい列車はどんな目的地に向かっているのか」
「5W1H、無視しちゃった」
松若さんは、明るく苦笑い。
「――起承転結もさ。いちおう、起承転結つけたつもりなんだけど、わりと平坦というかなんというか……抑揚(よくよう)がないように、観られちゃうかもしれない。大きな事件が劇中で起こるわけじゃないし」
「それもまた、この作品の個性であり、美点だと思うよ」
「高校生が書いた脚本なのに、老成(ろうせい)しすぎてるんじゃないかって、不安になったりもするの」
「不安になる必要ないよ。これ、コンテストでもなんでもないんだし」
「――大人びている、って印象持たれるなら、まだいいんだけど…」
「観客を意識するのも――まぁ、大事だけどさ、
松若さん、松若さんが、この劇で、だれかを『変えられる』としたら――いちばん『変えたい』のは、だれ?」
あっ、となにかに気づいたような顔になる松若さん。
わたしは続けて、
「――あなた自身でしょ。
自分で自分を変えたいって、言ってくれたじゃない……力強く。
松若さん、自信持って!
周りの眼を気にしすぎないで。
あなたが――原作者なんだよ」
松若さんの手を、握っていた。
励ましたくって。
「わたしには、オリジナルな物語を創(つく)り出すなんて、できない。
なんにもないところから、なにかを創造するなんて、わたしには無理。
発想できること自体が――もう、才能なんだよ。
松若さんは、わたしには絶対持てないモノ、持ってるんだから!
まるで、最高に天気がいい秋の日みたいな輝きが、あなたには……」
「……輝かせてくれたのは、羽田さんだよ。
羽田さんが、光を当ててくれなかったら、
あたしのインスピレーションもイマジネーションも、
ぜんぶ影に隠れていた。
影に隠れたまま、冬が来て、春になって、季節はめぐり続けるけれど、あたしは暗闇のなかをずっとさまよい続けるだけで、やがてぜんぶ消え失せてしまっていく。
羽田さんは――暗闇のなかから、あたしを救い出してくれたんだ」
× × ×
ゴトゴトッ、と、列車が動き出すのを示す効果音が鳴る。
八洲野さんは、横目で窓の外の風景を見やるような仕草。
と、そこに、第1幕のゲストである種田さんが登場し、スポットライトが当てられる。
種田さんは、5人の演者のなかで、いちばん身長が高い。
スラリとした脚の長さに、ジーンズがぴったりと良く似合っている。
八洲野さんと比べると、ラフな格好。
彼女もまた旅人なのか。
<30を少し過ぎたぐらいの女性>と、脚本には書いていた。
登場人物中、最高齢だ。
『ここ、いい?』
気さくに、種田さんは八洲野さんに、隣に座っていいか、声をかける。
一瞬間(ま)があって、八洲野さんは種田さんの顔を見ずに、
『いいですよ。』
と承諾する。
列車の軋(きし)む音。
『――乗り心地、いいってわけじゃ、ないみたい』
『あの――』
『なになに?』
『あなたも、旅に出るんですか? そんな、大人、なのに……』
『たしかに、珍しいかもね。
でもね。
あなたは、あたしのこと『大人』って言うけど、
あたし、自分のこと、今まで一度も――『大人』だって思ったこと、ないんだ』
八洲野さんは正面を向いたまま、
『……そうですか。』
『ヤングアダルトって、いうのかな。
それとも、子供のまま、歳を重ねたのかな』
『ピーターパンみたい。』
少し笑い出しながら、八洲野さんが言う。
『でも、からだは正直だよね――顔だって、正直。ザンコクだよ、肌のシワってやつは』
やれやれ……とおどけてみせる種田さん。
× × ×
「『肌のシワ』なんて、伊吹先生、怒り出さないかなぁ」
たまらないといった感じで、舞台上を映すモニターに向かいながら、松若さんが苦笑いする。
「大丈夫大丈夫。伊吹先生、なんにも知らないんだから」
「でもさ、『伊吹先生をイメージして演じてみて』って言っちゃったんだから、観ていて気づいちゃうかもねぇ」
「――伊吹先生、いま、劇観てるのかしら?」
「文芸部顧問だよ!? 脚本書いたのが『身内』のあたしと羽田さんなんだし――」
「いや。あやしい」
「なんで羽田さん、あやしんでんの」
「松若さん――『花より団子』ってことわざ知ってる?」
「知ってるけど。」
「今年は――美味しい屋台、いつにもまして多そうだから」
「あー。食いしん坊バンザイ!! って感じだよね、先生」
「そういうことよ。……先生には、絶対ナイショのナイショ話ね」
「羽田さんがいちばん先生に容赦ないよね」
「でもね……、伊吹先生、食べるのも好きなんだけど、作るのも得意なの」
「羽田さん、伊吹先生の作る料理食べたこと、あるの!?」
――この際だから、言っちゃってもいいか。
伊吹先生のお宅にお邪魔して、ご馳走(ちそう)を振る舞われて、お泊まりまでしたってこと。
松若さんに言っても――あまり不都合出てきそうにないけど、
でも、本番中だし、
「……ナイショ。
ナイショのナイショの、ナイショ話」
そして、わたしはモニターを覗き込んで、
「メイクも決まってるね――種田さんは。
<30を少し過ぎたぐらいの女性>っていう、脚本通り」
× × ×
『食べない? おいしいよ』
種田さんが差し出したのは、ポケットサイズのお菓子の箱。
『チョコボール、ですか?』
『ちょこっと違うんだな~。チョコの中にグミが入ってるの』
すると、なにかを思い出したようなリアクションを見せる、八洲野さん。
『どしたっ? チョコ苦手か? それともグミが』
『いいえ――違うんです。
むかし――こんなお菓子が好きだったこと、すっかり忘れてて。
『チョコの中にグミが入ってるなんて、なんてぜいたくなんだろう!』って、幼いながらに思っていて、好きでした。
だけど、近ごろ、お店で見かけなくなっていたから』
『けど、忘れてしまってたってのは、あなたが大人になったから、ってことなのかな』
『どうでしょうか……。わたしは、わたしが、イマイチわからなくって。
……いったい、わたしはどこまで子供なのか、どこまで大人なのか』
『だれだってわかんないよ。
そうなんだけど――あなたぐらいの年頃だと、そういう疑問がいちばん沸き起こる時期で――疑問に、ひたすら振り回されてしまう』
八洲野さんはグミ入りチョコを受け取り、ひと口食べる。
照明が暗くなり、列車の音が大きく鳴り響く。
トンネルに入ったのだ。
『このトンネルを出たら』
不意に八洲野さんが言う。
『このトンネルを出たら、疑問の答え、見えてくるでしょうか?
子供と大人の境界線、ハッキリしてくるでしょうか?
もちろん、わたしの考えてることって、そんなことだけじゃないんですけど。
それでも……わたしが、『揺れている』、のは、事実です』
それを聴いて、種田さんは、
『『揺れる』よね。
――青春、ってことば、あたしはあんまり使いたくないんだけど、
ほら、『青春』なんて、青春が過ぎ去った人間が言い出すんだし。
あたしだって、過ぎ去った側の人間だってことは、わかってる、つもり。
でもね、
あなたとは、違った意味で、まだ――『揺れ続けてる』』
トンネルの列車音はどんどん高まっていく。
『――もうすぐ、海が見えてくるよ。
船に乗るんだ、あたし』
『船……船で、どこに行くんですか』
『違う言語で出来てる世界。
そして、違う論理で…出来てる世界』