【愛の◯◯】握りこぶしと握りこぶし

 

居間のソファで雑誌を読んでいたら、流さんが現れた。

「くつろいでるね」

「ハイ」

「暑さを感じさせないくつろぎかただ」

「エッ」

斬新な言葉づかいだ。

 

「愛ちゃん、アイスコーヒー、飲む?」

「飲みます飲みます」

「ボトルコーヒーでいい?」

「いいですよ」

「無糖だよね」

「無糖で!」

 

× × ×

 

アイスコーヒーを持ってきてくれた流さんは、わたしにグラスを渡すと、ソファに程近いテーブルの椅子に腰掛けた。

 

「…流さん、きょう見た夢の話、していいですか」

「面白い夢でも見たの?」

「はい」

「どんな?」

三島由紀夫が出てきました

「ハハ…それは…すごい夢だな」

その三島由紀夫が、やがて谷崎潤一郎に変化していったんです

「そ、それは……とんでもない夢だなぁ」

 

 

「ところで」

「ところで、?」

「麻井さん、だったよね……利比古くんの先輩の娘。家出するつもりでうちに来てたみたいだけど、ひと晩でほかの所に行っちゃって。あのあと大丈夫だったんだろうか」

「収拾はついたみたいで」

「そうか…」

「根本的な解決には至ってないみたいですけど」

「そりゃ、一朝一夕(いっちょういっせき)にはねぇ……。いろいろと抱え込んでるんだろう」

「優しいですね、流さん」

「そう言ってくれるとうれしいよ」

「あれから何回か、りっちゃんとは連絡をとったんです」

「『りっちゃん』、?」

「あー、あの子下の名前が『律』なので」

「なるほど。――仲良くなったんだね」

「はい! 案外素直でいい子ですよ」

 

 

それからわたしは連休中にオープンキャンパスに行った話をした。

「感触は?」と、流さんは訊(たず)ねる。

「――第一志望は、やっぱりここだな、って思いました」

「それはよかったね。――しょうじき、きみは、いろいろ迷ってる感じがしたから」

「迷ったり、悩んだ時間も、無駄じゃなかったと思います。でも――この先、迷うことはないと思う」

「確信があるんだね」

「いろいろスッキリして。視界がひらけて」

「何よりだよ、それが」

微笑む流さん。

わたしも、微笑み返して。

「カリキュラム的にも、あの大学が、わたしのやりたいことがいちばんできそうです。学生さんたちにも、『熱気』があって。図書館もステキだった――図書館はポイント、高いですね」

「図書館は大事だね」

「大学ですもんね」

「大学だもんね」

 

 

× × ×

 

テーブルの流さんをまっすぐ見て、

わたしは言う。

流さん。

 お互い、がんばりましょう

流さんも、わたしをまっすぐ見つめ返す。

 

わたしはソファから立ち上がっていた。

それに呼応するように、流さんも立ち上がる。

流さんにわたしは歩み寄る。

少しだけはにかんで、

「約束――しませんか」

「どんな約束?」

「こんなです」

わたしは右手で『グー』の握りこぶしを作っていた。

その握りこぶしを、そっと流さんの前に差し出す。

ああそういうことか――と覚(さと)った流さんも、同じように『グー』を作る。

そして握りこぶしを、すっ、と差し出すのだ。

お互いの握りこぶしが、今にも触れ合いそうで。

約束。

 

――がんばろう、愛ちゃん

――流さんもですよ。

 

コツン、とぶつかる、握りこぶしと握りこぶし。

 

激励の証だ。

 

 

 

目指す先まで――、

もう、一本道。