響く怒声。
割れる食器。
殺伐を極める食卓。
麻井家の――食卓。
× × ×
逃げるようにしてアタシは自室に閉じこもる。
どうにもならないから、
ふさぎこんで、
後ろ向きになって、
「どうしてこうなってしまったのか」を延々と考えてしまう。
× × ×
この前、家族の目を盗んで、昔のアルバムを開いてみた。
そしたら――写真のなかの両親も、兄も、アタシも、みんな笑っていて、
うっすらと涙が浮かんできた。
家族にさとられるのが怖くて、ゴシゴシと眼の涙を拭った。
その写真は、家族旅行に出かけたときの写真で。
旅行の思い出が、ぶり返してきてしまって……。
まだ正常だったころの家族を想ったら、どうしようもなく悲しくて、
さみしくって。
両親が旅行好きで、いろんなところに連れて行ってもらった。
連れて行ってくれた場所の風景写真が、アルバムにはたくさん挟まっていた。
けれど――その風景が、必要以上に、色褪せて見えて、
辛くなって、乱暴にアルバムを閉じた。
× × ×
歯車が狂う前の、
おかしくなる前の、兄の写真を、
アタシは大切にスマホに保存してある。
『お兄さん、はやく本当のお兄さんに戻って』
――そんな祈りを込めて。
――さっきみたいに、食卓で喚いて暴れるみたいな兄が、本当の兄だとは絶対に思いたくない。
戻って、
戻って。
――、
「戻ってよっ、お兄さん!!」
部屋の外に声が漏れないように、ベッドのなかでアタシは怒鳴った。
戻して、なんて――、
時間を戻して、なんて、言いたくない。
どこか、遠いところに行きたい。
家族も、だれも、追いかけてこないような場所。
だれも知ってる人間が、いないような場所。
「…絵空事か、しょせん」
わざと声に出して、つぶやいた。
× × ×
たとえば、アタシがもし、家出したら――。
アタシの周囲は、どうなっちゃうんだろう?
大事(おおごと)になるに決まってるんだけど。
具体的に、家出したら何が起こるのか――想像力が欠乏していて、思い浮かばない。
どうなっちゃうんだろうなぁ。
お父さんとお母さん、怒るのかな。
怒るより先に、心配してくれるかな?
ただ、
『家出したい』という衝動が、アタシの意識のなかで、日に日にくっきりとした輪郭を帯びるようになってきていて、
だれにも言えないけど……、
こっそりと、荷物をまとめ始めている。
× × ×
不意にスマホが震えた。
羽田がLINEメッセージを送ってきた。
『夜分遅くにすみません』
『夏休みだから夜ふかし?』
『いえ…そういうわけでは』
『用件を』
『はい。
スポーツニュース番組の映像、貸していただいてありがとうございました。
姉も喜んでおりました』
『――それだけ?』
『え、はい』
『どーいたしまして…』
そんなことのためだけにLINEよこしたのか。
羽田は、ほんとにもう……。
けれど。
アタシは、
さみしくって、
むなしくって、
かなしくって、
やりきれなくって、
羽田と、もう少し――やり取りがしたかった。
関わりたかった。
頼るんじゃない、すがるんじゃない。
羽田と関わって――それで、すさんだ現実から抜け出したかった…!
『羽田!』
『…なんですか?』
『……きかせてくれない?』
『…なにを、ですか??』
『……アンタが住んでる、家のことを。』
『どういう風の吹き回しで』
アンタのところに家出したい、
――なんて、
そんなメッセージ、送信できるわけ――ないよね。
『――興味があるからに決まってんでしょ』
『気になりますか』
『フクザツそうだから』
『そんなことないですよー、楽しいですよー』
『…居候なんでしょ? 姉ともども』
『あー、だから楽しいのかもしれませんね』
「アタシも…居候に、してくれないかな」
送信できるわけのないメッセージを、
震える声でつぶやく。
声だけじゃなく、スマホを持つ手も震えている。
アタシは、情けない存在で。
2つも学年が下の、ヒヨッコみたいな男子に、関わることで、じぶんをなぐさめて。
これが依存じゃなかったら、なんなんだろう。
でも、
依存させて、
させてよ、
もっと、
もっともっと、
羽田!!
アンタに一晩中、関わらせてよ!!!
× × ×
深夜2時。
「羽田……アタシあんたのとこに行きたい」
なんの通知もないスマホを見続けながら、
疲れ切った声で、アタシは言った。