文芸部の木幡(こわた)たまきさんが、本を読んでいる。
なにを読んでいるかというと…。
「…パンの作り方の本ですか。」
「そうだよ羽田さん」
「…相変わらず、文芸書以外の本を読んでるのね」
「でも、文学にもパンって出てくるでしょ?」
「そりゃ、パンはいろんな要素で出てくると思うけど」
「文学作品で有名なパンの描写ってないの?」
「ええと……新約聖書。ほら、最後の晩餐」
たまきさんから答えにくい質問がマシンガン打線のように飛んでくる。
「『おまえは今までに何枚のパンを食べてきたんだ?』ってやつ?」
「え、イエスはそんなこと言ってないって」
「うん。
わざとまちがえた」
絡みづらい……。
悩ましい。
「今週はパンの作り方だけどさ、羽田さん、わたしが今月読んでた本、ぜんぶ思い出せるでしょ?」
「……えっ」
あわて気味にたまきさんが、「ほっほら、2月だっけ、憶えてたじゃん羽田さん、わたしが読んでた本をみんな――」
「……思い出せない」
思い出せない。
たまきさんが、最近読んでた本。
「ご、ごめんね、前は憶えられたんだけどなー。
たぶん、ほかのことで頭がいっぱいだったんだ」
「どんなこと?」
ドキン。
「――な~んてね。
訊かないよ、わたし。
そっとしとく。
羽田さんにも、いろいろあるんだよね」
「た、たまきさんは、悩んだりあんまりしないんだね」
「そう見える?」
「マイペースだなーって」
「たしかにね」と楽天的に笑うたまきさん。
パンのレシピ本を閉じて、
「パンでも食べて元気出しなよ、羽田さん」
なぐさめられたんだろうか…。
たまきさんが読んでた本を思い出せなかったってことは、そんなことを気にする余裕もなかったってことで。
なにか別のことで、あたまが埋まっているのだ。
……たまきさんは進路のことでナーバスになってる様子が微塵(みじん)もなく、うらやましいと思ったりする。
他人と比較することで、焦る。
GWに流さんに進路のことで痛いところを突かれた。
流さんとは「より」を戻せたけれど、わたしの進路選択問題は宙ぶらりんになったままだった。
模擬試験で、志望校と学部を書かなければならない。
わたしの模擬試験の志望欄は、二転三転していた。
固まらない。
また、模試が来る。
やばい。
× × ×
夕食後。
自分の部屋で、机に向かって、『学部・学科ガイド』的な分厚い本を読んでいる。
理系に転じる予定はまったくない。
ということは、文系。
「文学が好きなら、文学部の文学系専攻~」とは、素朴に考えられない。
文学部の外から文学を見てみたい気持ちもある(これは、流さんにも話した)。
たわむれに某早稲田大学の学部名をつぶやいてみる。
進路は、ルーレットで決められるようなものでは、断じてない。
わたしは自分の専攻をできるだけ絞り込みたいと思っている。
「どの大学に入りたいか」ではなく、「大学でどう学びたいか」が大事なのだ。
意識……高すぎ??
「大学受験はゲームではない」という前提が、
わたしをがんじがらめに締め付けている。
真剣に悩むごとに、結論から遠ざかっていってる――。
× × ×
アツマくんの部屋をノックした。
「なんだ、深刻そうな顔して」
「やっぱりわかるの…?」
「わかるさ」
ぽふ、とアツマくんの胸に身を投げ出す。
いつの間にか部屋に入っていた。
アツマくんの上半身に身を任せたまま、立ち尽くす。
「――こんがらがっちゃった、わたし」
「どういうふうに?」
「わたしの未来のビジョンがこんがらがっちゃった。1年後のわたしの姿が、なんにもイメージできない」
「進路か…」
「もうすぐ模試があるの。こんなんじゃ不安で模試なんか受けられない」
「弱ってんな」
「だから、弱音を吐く相手がほしかった」
弱々しくアツマくんのベッドに座った。
足を浮かして、壁にもたれかかった。
大きな溜め息をついた。
「模試は、受けたほうがいいと思うぞ」
「わたしもそう思う」
「受けたくないんじゃなかったんか」
しょうがねーなぁ、と言いたそうに。
「でも――抱えこんでて、いろいろ」
「だな。」
「抱えこんでる荷物を、できるだけ下ろして、少しでも楽になりたい。
そうなったら、模試も受けられる、前に進んでいける」
ベッドから立ち上がって、床に正座。
椅子に座っているアツマくんの顔を見上げる。
「人生相談がしたい」
「人生相談か……思ってもみないこと言うかもしれんぞおれ。それでおまえがますます弱ったら、大困りになっちまうが」
「話をあなたに聞いてもらうだけでも、荷物が下りるから」
「荷物、って、抱えこんでるもの…か」
「そう、だから、これ以上弱ることなんてないから。
人生相談が大げさだったら、わたしの話だけでも聞いてよ」
「お安い御用だ。」と椅子から降りて、わたしの正面に向かい、彼は正座する。
「――正座する必要あったの」と、少し笑う。
少しだけでも、笑える余裕、できた。
「『抱えこんでるものがあったら、できるだけおれを頼ってくれ』って、アツマくんが言ってたから」
「ああ、言った気がする。
『頼ってくれ』とまでは、言わなかった気もするけど」
「でも今は頼らせてもらうから」
「どうぞお頼りください」
「じゃあ頼らせてください。
よろしくおねがいします、アツマくん。」
「こちらこそ、よろしく。
でもその前に、足を崩してみませんか。
お互い正座は堅苦しいと思うのですが」
「わたしもちょっと前からそう思っていました」
そういって、正座をやめて、
ふたりで笑いあった。
ほんと、どうしようもないや、わたし。
どうしようもないぐらい――アツマくんが好きなんだ。