むくりと起きた。
傍らでは、松若センパイが爆睡中。
寝相、悪い……。
羽田センパイの部屋。
わたしと松若センパイは、羽田センパイのベッドの横に布団を敷いて寝た。
松若センパイの寝相も怖いが、すぐそばにある高く積まれた本が崩れてきそうで、そっちも不安になる。
「積ん読タワーなの」って羽田センパイは言っていた。
わたしが起きてから程なくして、羽田センパイが目覚めた。
「ん~~」と伸びをする。
そしてカーテンを開けつつ、
「おはよう、川又さん」
「はい、おはようございます」
「松若さんしばらく起きないねぇ」
「そう思われます」
「しょうがないや…」と苦笑い。
「センパイ、ちょっと本棚を見させてもらってもいいですか?」
「うんいいよ、でも積ん読タワーを崩さないように気をつけてね」
「崩落したら大惨事ですからね…」
× × ×
うわ~。
羽田センパイの本棚、やっぱすごいや。
「背表紙を眺めてるだけで、何時間も過ぎちゃいそう」
「それは自分でも思う、川又さん」
「わたし――センパイのお邸(うち)に、また来たくなっちゃいました」
「また来なさいよ」
「ハイ」
「わたしのお邸(うち)じゃなくて――居候だけどね」
「この邸(いえ)は、アツマさんの――」
「そ。戸部一家の邸(いえ)」
「……。
わたし、アツマさんの亡くなられたお父さんの本を読んだことがあって」
「わたしは全部読破したよ」
「さすがです」
アツマさん。
あんなに強そうな人だけど、
お父さんがいなくて……つらいこともあるのかもしれない。
× × ×
「ところで。
なんで2年生のわたしまで、『6年劇』の脚本合宿に呼んだのか、やっぱり謎なんですけど」
「ん~、理由はねえ」
そうだねぇ、と、口元に左手の人差し指を当てて、
そして不意にクスッと笑ったかと思うと、
「川又さんに……コーヒーを淹れてほしかったから、じゃダメ?」
「りっ、理由になってますか!? それ」
「わたしコーヒー好きだから。川又さんの美味しいコーヒーを飲めば、脚本も、きっとはかどるから」
羽田センパイのコーヒー好きは事実だ。
熱くてブラックなコーヒーが好きらしい。
大人でも、ブラックは飲めないって言う人や、そもそもコーヒーが苦手って言う人も少なくないのに。
……でも、そんなところも、羽田センパイの魅力なんだ。
「じゃあ。
わたしが、朝のコーヒーを淹れてあげましょう」
「ありがとう川又さん! お願いするわ」
「キッチン、使えますか?」
「アツマくんが朝食当番だけど、気にしないで」
「えっ、アツマさんが、朝ごはんを作るんですか!?」
「あんまり料理上手じゃないけど、大目に見てやって」
× × ×
1階のキッチン。
アツマさんがほんとうに朝食を作っていた。
鍋でスープを作っているようだ。
足取りも緩やかに、わたしはキッチンに入っていく。
「あの…おはようございます、アツマさん」
「やあおはよう! 川又さん」
エプロンとかしないんだ。
「すみません、コーヒーって、もう準備してしまいましたか?」
「いや、まだだよ」
「じゃあ…わたしに、コーヒーを淹れさせてください」
「んっ? 愛のヤツに言われたんか。
後輩が可愛くないんか、アイツは……自分はなにもしないで」
「そうじゃ……ないですよっ」
後輩想いに決まってる。
「センパイは人一倍後輩想いです。わたしは自分の意志でコーヒーを淹れるんですっ」
「そうか…すまんかったな」
「ホラ、お鍋が焦げ付かないようにしないとっ」
「あっ悪い」
なんだか――アツマさんに対し攻撃的になってしまっている。
抑制したい。
わたしは、
自分と背丈が近い男の人のほうが、タイプだ。
アツマさんは――高身長だからな。
つまりは、そういうこと。
見上げないと、アツマさんの顔を見て話せない。
羽田センパイとは――男性に対する感性が、違うんだな。
あんまり、たくましすぎるのも、わたしは困るから。
――アツマさんが嫌いというわけではない。
スープの鍋から、いい匂いがする。
美味しそう。
「料理上手じゃないよ」、なんて、羽田センパイの基準だし。
家庭的な男の人は――いいと思う。
そんなことを思いながら、がりがりと豆を挽いていた。
いい豆が用意されていた。
センスがある。
だれが豆を買ってくるんだろう。
× × ×
羽田センパイがキッチンに下りてきた。
「コーヒーできますよ、センパイ」
「やったー!」
「コラ愛、やったー! じゃないだろぉ? こういうときはどう言うべきか――」
「ありがとう、川又さん!」
「――学習してんじゃねーか」
「学習しないわけないじゃないですか、アツマさん」
「か、川又さん……」
わたしが誇らしげにツッコミを入れたのが応えたのか、アツマさんは少し狼狽(ろうばい)する。
しかし、センパイと向かい合ったアツマさんは、なにかに気付いたかのように、
「学習して、『ありがとう』とすぐに言えるのはいいんだが」
「なに、わたしに不満でもあるのアツマくん」
「不満じゃないんだが、」
いきなり、センパイの頭に、アツマさんが手を置いた。
なにがしたいの、この人。
「な、なに!? アツマくん」
狼狽(うろた)えるのはセンパイのほう。
だがアツマさんは手を乗っけたまま、
「髪が、はねてる」
「えっ、わたしの髪が!?」
た……たしかにそういえば、そうだ。
わたしには気付かなかった。
アツマさんは、センパイの寝グセに、瞬時に気付いたんだ。
キッチンに来たセンパイをひと目見た瞬間に。
アツマさんが、いちばん……羽田センパイのことを、よくわかっている。
「洗面所行って、直してこいよ。川又さんのコーヒーはそれからだ」
そう言って、彼は、センパイの頭をポン、と軽く叩いた。
× × ×
「アツマさん……」
「川又さん?」
「わたし悔しいです」
「え…なにが悔しいの」
「悔しいんですけど……。
立派ですよね、アツマさんは」
「立派、か……照れるなあ、照れちゃうよ」
――せっかく褒めたんだから、
『ありがとう』のひとつくらい、言ってくれてもいいのに。
だからわたしは、
アツマさんを叱りたくなって、
「こういうときは――どう言えばいいと思いますか? アツマさん」
「あっ」
「『あ』で始まる言葉を」
「……ありがとうな。立派だ、って言ってくれて」
「よくできました、よくできました」
「川又さん……きみは、人間ができてるな」
ええっ。
いきなり――最上級の褒め言葉ですか?
アツマさんが、わかったようで――わからない部分も、まだ、ある。