おれは桜子が好きだ。
いつから好きなのか?
それは伏せておく。
なぜ好きなのか?
それも伏せておく。
「桜子が好きだ」と打ち明けたのは、ただひとり、あすかさんだけだ。
あの夏祭りの夜、
花火が打ち上がるなかで。
あすかさんは、ひょっとしたら今でも、おれの激白に幻滅し続けているのかもしれない。
表向きは、スポーツ新聞部で、何もなかったように振る舞っているあすかさん。
おれのために、そういうふうに、振る舞ってくれているのか――。
本心は……。
× × ×
おれは桜子のことが好きだ。
けれども、桜子は、たぶん――。
桜子は、瀬戸のことを――。
桜子は瀬戸を見ている。
おれが桜子を見ていても、桜子は瀬戸のほうを見ている。
ときおり、夢中になっているように、桜子は瀬戸を見る。
「求愛」ということばは――最近まで知らなかった。
「桜子の、瀬戸への『求愛』」、というような使い方をするのだろう。
ただ、いくら桜子が瀬戸を求めても、瀬戸の意識は、桜子じゃない方向に向いている。
瀬戸はいつも校内プールに向かっている。
水泳部の神岡恵那が、そこにいる。
岡崎(おれ)→桜子→瀬戸→神岡
――そんな図式を、頭の中のノートに書いてみた。
清々しいぐらいに、一方通行である。
× × ×
おれは桜子を、一方的に見ているのだ。
・岡崎(おれ)→桜子
この矢印が、
・岡崎(おれ)⇔桜子
この矢印に成り代わらないだろうか、なんて、妄想と願望に過ぎないのだが、
だが。
もうすぐ――具体的にはあと5ヶ月で、この高校生活の終わりが来る。
つまりは――この関係性も、もうすぐ終わりを迎える。
このままでいいのか――? 岡崎竹通。
おい。
このままでいいのかよ。
いろいろと、空回りの連続で、卑屈になることが多い。
そんな駄目な自分を乗り越えるには、もっと積極的にならなければならない。
積極的に、動かなければならない。
関係を動かすんだ。
この関係を。
時間は、限られている。
『鉄は熱いうちに打て』ということわざを、不意に思い出した。
ハンマーを下ろすならば、具体的にどうするべきなのか。
おれは……、
おれは……。
……おれは、桜子を、振り向かせたい。
――それが、
ささやかな、欲求で、欲望で、意志だ。
× × ×
ラグビー部の練習風景を見ながら、考える。
素直になれない、自分を変えたい。
最近の、ギクシャクとした桜子との関係を、変えたい。
『岡崎くん、取材?』
桜子の声ではなかった。
顧問の椛島先生の声だ。
おれは椛島先生のほうに向きなおる。
桜子と話すより――気は楽だ。
「いちおうは取材です」
「『いちおう』、か」
微笑する椛島先生。
考え事がグルグルめぐっていたせいか、その先生の表情に、意味深なものが入り混じっているような錯覚を覚える。
「『いちおう』、なんです。眺めてるだけなんで」
そうだ。
ほんとうに、眺めているだけで。
いや、ちょっと違う。
正確には――練習を眺めているフリをして、おれはおれ自身を眺めているんだ。
――椛島先生が石段に腰掛けた。
かなりの至近距離だ。
両手で頬杖をつきながら、先生が言う。
「物思いでもあるの――? 岡崎くん」
予定調和だった。
椛島先生にそう訊かれる準備は、前もって、できていた。
だから、少しも動揺しなかった。
「あります」
「――相談に乗って欲しい?」
「その必要はありません」
おれはキッパリと答えた。
「先生、おれは、ほんとはラグビー部の取材なんかしてません」
「……なるほど。」
あなたの言いたいことは、わかるよ……、そんなことを言いたそうな、椛島先生の口ぶりだった。
「おれは、自分のこころに取材しているんです」
「そっか……なるほどね」
また、微笑んでいる。
国語教師だから、文章だけでなく、人間の行間や文脈を読むのも得意なのかもしれないと、少し思った。
「……その『取材』は、ほどほどにね、岡崎くん」
わかってます。
「なにごとも、ほどほどによ。
それから――焦っちゃダメ」
わかってます、十二分にわかってます。
時間は限られている。
だからこそ、焦るな。
そうだ。
焦らず、しかも着実に、桜子に歩み寄り、振り向かせるんだ。
一歩一歩、踏みしめていくんだ――、
おれたちの関係性に、ケリをつけるために。