【愛の◯◯】こわれたスイマーの願い

 

瀬戸宏(せと こう)。

高校3年男子。

スポーツ新聞部、副部長。

 

中学までやっていたスポーツは、競泳――。

 

× × ×

 

桜子の部長権限により、自己紹介文を書かされることになった新入生の加賀真裕(かが まさひろ)、約束通りきょう月曜の放課後、自己紹介文を書いてきて持ってきたのだが、とてもそのままで掲載できるような代物(しろもの)の文章ではなく、顧問の椛島先生含め上級生総出で加賀の文章を直すはめになった。

 

疲れた……。

 

「大丈夫っすか?」と加賀に声をかけられた。

おまえのせいだよ。

 

× × ×

 

岡崎とあすかさんが、野球の話をしている。

岡崎さすが、おれより消耗してない。

岡崎の鍛えかたが違うのか、おれのブランクが長すぎるからか。

 

あすかさんにしても、加賀の文章を直す過程でテンションが上がっていったみたいに、声が弾(はず)んでいる。

消耗を感じさせない。

元気だ。

 

あすかさんは、おれや岡崎と違って、運動部経験がないと言っていた。

それなのに、凄いバイタリティだ。

 

「…あすかさんは、疲れてないの?」

彼女に訊(き)いてみる。

「どうしたんですか瀬戸さん、そんなグロッキー状態になって」

「げ、元気だね……、体力、意外にあるんだね」

「?」

「??」

「そんなに体力使うこと、きょうやってない気がしますけど」

「いや…、加賀の文章直すの、大変だったじゃん?」

たのしかったじゃないですか

 

強い、あすかさん強いよ。

そして、容赦がないというか、なんというか。

 

あすかさんと岡崎さんはなおも野球談義を続ける。

フランチャイズ・プレイヤー」という概念について。

要するにそのチームひと筋! という選手のことで、MLBヤンキースならば、ジーターとかリベラとかポサダとかのことをいうらしい。

MLBの世界でジーターみたいに20年一貫してヤンキースでプレー、というのは、たしかに難しいことだろう。

勉強になった。

 

 

× × ×

 

 

勉強にはなったが、気分転換も兼ねて、活動教室からいったん退散させてもらって、校内プールに足を運ぶ。

 

岡崎とあすかさんの会話は、よく弾む。

相性がいいのか。

呼吸も合うのか。

 

今年の1月の終わり――だったっけな、センバツの出場校紹介記事をめぐって、岡崎とあすかさんがケンカしてたことがあった。

仲直りの過程は――「雨降って地固まる」ということわざのようで。

「どうやってあすかさんと和解したんだ?」と岡崎に訊いてみると、

コービー・ブライアントのおかげだよ」という、妙な返事が返ってきた。

 

 

たとえば、

岡崎とあすかさんと。

もしくは、

岡崎と桜子と。

 

――どちらが、よりお似合いかなぁ? という、変なことを、考えてしまうときがあって。

 

もちろん、ほかのスポーツ新聞部の人間には、口が裂けても、言えない。

 

 

岡崎とあすかさん。

呼吸が合っていて、おれには良いコンビに見える。

岡崎と桜子。

こちらは呼吸がまったく合ってない、凸凹(でこぼこ)コンビだ、でもおれにはその凸凹(でこぼこ)が味わい深い。

 

どちらの関係も、捨てがたい。

ただ、こういう妄想は…他人の色恋沙汰(いろこいざた)を値踏(ねぶ)みしているみたいで、妄想している自分が嫌になってくるから、ホドホドにしておくことにしているんだけれども。

 

 

――いけない、いけない。

色恋沙汰とか、大げさだ。

スポーツ新聞部を、ラブコメ漫画の舞台に見立ててるみたいじゃねーか、

ダメだぞ、瀬戸宏よ。

副部長という、責任ある立場なのだ。

他人の関係を、必要以上に吟味(ぎんみ)するのはやめるんだ、おれ!

 

 

 

× × ×

 

プールには、神岡恵那(かみおか えな)。

おれの姿を見た途端、ムスッとした顔になる。

ここに来るあいだ変な妄想にふけっていたから、気持ち悪く見えてしまったのかもしれない。

 

「やってるなあ、恵那」

「きょうは一段とマスゴミだね」

 

え………。

 

「ひ、ひどいよ恵那。そんなに気色悪かったか? おれの雰囲気が――」

「キショくはないよ。

 ただ、マスゴミだなぁって、感じただけ。」

「――じゃあ、名前の代わりに『マスゴミ』呼ばわりはやめてくれ」

「――あんたの下の名前、なんだっけ」

ひ、ひでえ。

こんな腐れ縁なのに、わざと下の名前を知らないふりして。

「宏(こう)だよ。

 ……親は、『有名な水泳選手から、1文字もらった』って言ってたっけ」

「ふ~~~~~~ん」

その恵那の表情は、興味がないようにも見えたし、「なるほど」と納得しているみたいにも見えた。

「素(す)で忘れたとか?」

なにも言わないで、彼女はスタート台に立つ。

スタートの体勢になって、水面に向かって飛び、水に潜り込んでいく。

しなやかにプールに飛び込んでいく、恵那の身体。

流線形(りゅうせんけい)を描(えが)いているみたいに、恵那は跳ぶ。

 

ここまでどれだけ努力を重ねたのだろうか。

 

故障したおれの身体が、すこし恨(うら)めしくなるけれど、恵那ががんばっているのが実感できると、さっきまでの疲れが、少しづつ、抜けていっているのがわかるのだ。

 

 

 

おまえはスイマーだよ、恵那

 

あっという間に50メートルプールを往復して戻ってきた恵那に、おれの決めゼリフみたいなカッコつかない言葉は、聞こえていない、届いていない。

金網サイドで佇(たたず)むおれの顔を、プールから恵那が見上げている。

眼が合う。

 

「――大学生みたいで嫌い、きょうのあんた」

 

――とうとうおれの苗字も名前も口にせず、プイッと顔をそらして、やがて恵那は自主練習に戻っていく。

 

 

加賀のほうが、よっぽど素直だ。

 

 

 

 

 

 

恵那……。

無事に行ってくれ。