どうも読者の皆さん、こんにちは。
え、
わたしが誰か、って?
蜜柑です。
アカ子さんの家のメイド(…?)の蜜柑でございます。
あ、
わたし、とうぜん苗字もあるんですけど、
フルネームだと【永井 蜜柑(ながい みかん)】っていうんですけど、
実のところ、あんまり関係ないんですね、苗字は。
なんでかっていうと、わたしは親に捨てられたんです。
そんでもって、この家に引き取られて、アカ子さんとそのご両親の家族同然に育ったわけですから。
この家から、
小学校に通って、
中学校に通って、
高校に通って、
大きくなるとともに、この家全体の家事を取り仕切ることの比重が大きくなっていって、
それでいま、いちおうの肩書きは、メイドさん、なわけです。
ーー、
高校よりも上の学校に、
行こうと思えば、行けたんですけど、ね。
”お父さん”と”お母さん”からも、学費の心配はないからと、進学を薦められたりもしたんですが、わたしは家事を任せられることのほうにやりがいがあって、これ以上勉強を続けていこうとは思いませんでした。
成績が悪いわけでは決してなかったと思います。
でも、勉強より家のことをやるほうが楽しかったし、わたしはこの家にいることで幸せでしたから。
わたしを拾ってくれたお父さんとお母さんに対する、「恩返し」の気持ちもありましたし。
学校に通うの自体は楽しかったですよ。
とくに高校。
男女共学でしたからね、
お嬢さま(←アカ子さん)と違ってw
……そう、男女共学の高校でした。
「……男の子がいたから、
それで失敗もあったんだけど、さ。」
……、
おっと、
今のはひとりごとですw
家事の手を休めて(ティータイムですからね!!)、2階の窓際でお茶を飲みながら、外の景色を眺めていたら、つい……ね。
ところでお嬢さまーーアカ子さんは猛烈に読書をなさるタイプですが、わたしは読書、どちらかというと苦手、というより、はっきりと苦手なほうだと思います。
途中で本を投げ出してしまったり、読み切ったとしても読み切るのにすご~く月日がかかったりするのです。
だけど。
一冊だけ、すごく忘れられない小説があって。
はじめて読んだのは高校時代でした。
それ以来、わたしの唯一の愛読書ーーと言っていいんですかね?
わたしの自室の机には、つねに立てかけてあるんですが……、
そう、↑の本です。
フィ(ッ)ツジェラルドの、『グレート・ギャツビー』。
現在では村上春樹の翻訳のほうがポピュラーなのか、大学の講義のテキストでも春樹訳バージョンを使わせる、とか風の噂を聴いたりするんですが、
しか知りません。
もう少しだけ、昔話に付き合わせてくださいね。
さっき言ったとおり、高校生だったときです。
ある日、 掃除をしていたら、偶然、↑の本が出てきたんです。
で、手にとってみたら、文庫本の手ざわりがよくって、ヘンな話ですけど、「第六感」みたいなものを感じたわけです。
その夜から、何気なしにわたしはその『グレート・ギャツビー』を机に向かって読み始めました。
高校でも、つまらない先生の授業のとき、コッソリ隠れて読んだりしていました。
ただ、さすがに翻訳が古めかしかったんでーーそれも「味」だと思うんですけどーー読むのには骨が折れました。
なにを云ってるのかわからない文に出くわしたり、なにをやってるのかわからない描写に出くわしたり!
当時お嬢さま、アカ子さんは、中等部の2年生だったと思いますが、早熟な彼女はすでにこの作品を読んでいたので、わたしが読んでいてよくわからない所があったら、
『この部分はどう理解すればいいんですか?』
と、ことあるごとに質問していました。
アカ子さんはわたしの質問に対し、肝心なところをはぐらかして自分で考えさせるように仕向けたことも多かったのですが、アカ子さんの指導によって、どうにか『グレート・ギャツビー』を読み通すことができました。
アカ子さんの教え方が良かったんです。
彼女が、
- 英語が堪能だったこと
- 自動車メーカーのお嬢さまだったこと
が、今にして思えば、いいほうに影響していたんだなあ…と。
(とくに2.の「自動車」は重要ですね)
それでわたしは、今度は自分のちからだけで、『グレート・ギャツビー』を読み返すことにしました。
それも高校時代です。
ただ、
最初に読んだときから、
月日は流れ、
人間関係が変化し、
その変化…によって、
感じかた…も、変化していて、
一字一句、漏らすまいと、あたまにことばの音を響かせるように読み返し、ページをめくっていったら、
小説の佳境になって、
なぜだか、
ふしぎと、自然に、
涙、
が出てきたんです。
わたしは泣きながら残りのページを読み進めました。
読み終わって、あふれた涙も拭かずに机に突っ伏していると、
『お風呂入らないの? 蜜柑』
と、少し開いていたドアの隙間から、アカ子さんの声が聞こえてきました。
『どうしたの!? ボロ泣きしちゃって』
とうぜん、眼を丸くして驚いたアカ子さんでしたが、いましがた読み終えた文庫本がわたしの机に置いてあるのを見ると、何ごとかを悟ってくれたのか、椅子に力なく座り込んでいたわたしの泣きはらした眼を、ハンカチで拭いてくれました。
その日その時から、新潮文庫『グレート・ギャツビー』は、わたしの唯一無二の愛読書になったのです。