【愛の◯◯】野鳥コラム書いてくれるよね!? ついでにわたしがギター弾いてるところも――

 

きょうから、6月!

――はい。

 

 

× × ×

 

まだ、本格的にジメジメしていない。

助かる。

セーラー服が、ジメッとした空気で、ジトッとしてくると、いろいろと困るよね。

 

さて。

火曜の放課後。

わたしはあえてスポーツ新聞部に直行するのではなく、中庭に歩いていった。

 

空を見上げているクラスメイトの男子がいる。

宮島くん――通称『ミヤジ』である。

 

「ミヤジ~~」

「う、うわっ、ビックリするじゃないか、あすか」

「――鳥が飛んでたの?」

「うぐ」

「――飛んでたんだよね、鳥が」

「――さっきまで」

「ずいぶん名残惜しそうに、空を見上げていたね」

「…そう見えたか?」

 

右手につかんだ双眼鏡を、わたしは見逃さなかった。

 

「ちょうどよかった」

「なにが」

「いいタイミングで、ミヤジ見つけられた」

「そんなこと言って…どうせ、放課後、僕が来る場所をあらかじめ知ってたんだろ」

「…なんでバレたんだろ」

「バレバレだ」

「くやしいなぁ」

「ほんとに悔しがってんのか?」

 

わたしも、鳥たちが飛び去っていった空を見上げながら、

 

「ここにわたしがやって来たのはワケがあるの」

「――野鳥コラムの執筆依頼」

「するどいね。どうしてそんなにするどいの」

「真っ先にそれを予想するだろ、ふつう」

「お見通し、か。

 …新入部員も入って、校内スポーツ新聞の紙面も、充実してきてるんだけど。

『アクセント』がさ、『アクセント』が、欲しくなってくるんだよねー」

「『アクセント』?」

「彩(いろど)りを添えてほしいの。ミヤジの、野鳥コラムで」

「――でも、僕が書いたって、どうせ『おまけ』にすぎない扱いなんだろ?」

「『おまけ』は大事だよ!」

「『おまけ』であることは、否定しないのな……」

「まさか、渋(しぶ)ってんの!? ミヤジ」

「『おまけ』扱いだと、モチベーションが……」

「だから、『おまけ』は大事だってば!!」

 

ミヤジの態度が頑(かたく)なだから、距離を詰めて、

 

どうしても……ダメ? わたし、キライになっちゃったの……? ミヤジ。断られたら、泣いちゃうよ

 

と、演技する。

 

うろたえてる、うろたえてる、ミヤジ。

効いてる、効いてるぞ~~。

 

それに……図書カードも、あげちゃうんだよ?

 

畳みかけのわたし。

 

『図書カード』という重要ワードが出た途端、ハッ! とするミヤジ。

 

「ミヤジ。鳥の図鑑、買いたいんでしょ? 図鑑買うなら、もうちょい図書カードを貯(た)めこまなきゃダメだよね」

「……」

「書いてよー、どんなに日本語が乱れてたっていいから、わたしがどうとでも修正するから」

「……。

 修正、してくれよな……?」

「お。

 ミヤジが、とうとう降伏した」

 

× × ×

 

「おまえと渡り合ってると疲れるよ」

 

ミヤジはベンチに弱々しく座っている。

屈服させた勢いで、わたしは立ち続け、余裕しゃくしゃくでミヤジを見下ろしている。

 

「はぁ」とミヤジのため息。

「体力ないね」とわたし。

「おまえがありすぎるんだろ」

「べつに、わたしは疲れるようなことしてないよ」

「体力というか……エネルギー、なのか」

「エネルギー?」

「僕を説得でコテンパンにするエネルギー」

「あー、そういう種類の」

「いったいどこから、そんなエネルギーが湧(わ)きだしてくるのか……」

「じぶんでも、わかんない」

「ひそかにスポーツで鍛えたり、してんじゃないのか?」

「スポーツなんか、してないよ」

「……じゃあ、バンドのギター、か」

 

驚いた。

 

「ミヤジ知ってたの!? わたしがバンドでギター弾いてるって」

「さすがに知ってるよ。去年の文化祭とかさ…ほら」

「観てたの? 去年の文化祭の演奏」

「観てはない」

「え。観てなかったら、どうして」

「演奏してた、ってことだけ――耳に入ってきてた」

 

少し、ミヤジは目線を上げ、

 

「僕……あすかがギター弾いてるとこなんて、想像もつかなくって」

「だったら、観てよ」

「観るっつったって」

「『百聞は一見にしかず』じゃん」

「えっ……なにそれ、どんな意味」

「『とにかく観てくれないと、なんにも始まんない』ってこと!!」

「……観せたいの? 僕に、ギターの演奏」

「観せたい」

「なんで」

「わたしたちの演奏聴いたら、ミヤジのモチベーションが上がる。ミヤジのモチベーションが上がったら、野鳥コラムを書くことに、もっと前向きになってくれる」

「……強引に、野鳥コラムに結びつけたな」

「――来る? ライブハウス」

「ええっ、いきなりな」

「近いうちに、演(や)る予定なんだ、ライブハウスで」

「文化祭のときでいいじゃないか」

「なにいってるの!?」

「な、なんだよっ、怒ってんのか!?」

「文化祭までだと、間(ま)が空(あ)きすぎるでしょーがっ!!!」

「…せっかちだな、おまえも」

「ぜんっぜんせっかちじゃないよっ。とにかくとにかく、1学期のうちに、わたしたちの演(や)ってるとこを、観てもらう」

「ライブハウスとか、どんな場所なのか、なんにもイメージできない…」

「そこは、教えてあげるから」

「…高校生が、入っていいとこなのか?」

「ぜーんぶ説明するから。ぜーんぶ」

「ぜーんぶ、ねぇ…」

 

わざとらしくわざとらしく、咳払いをして、

 

「あのね」

「ん?」

「これだけは、この場で『おことわり』しておくけど」

「なにを?」

「――このブログは、フィクションです。実在のうんたらかんたらとは、関係がございません。たぶん」

 

「お、おいあすか、気を確かに――」

「――確かだよ? 気」

 

 

 

 

【愛の◯◯】朝からズボラで損をする月曜日のわたし

 

洗った髪を乾かしつつ、葉山先輩に電話をかける。

 

――きのう。

 

シャフリヤールの、単勝1点勝負!

 

――こんなLINEを、葉山先輩、アツマくんに送ってきていて、

第88回日本ダービーのテレビ中継で、一部始終を見届けていた、わたしとアツマくんは、

写真判定の末、シャフリヤールが優勝したことがわかった瞬間から――しばらく、開いた口がふさがらなかった。

 

 

『おはよう、羽田さん』

「おはようございます、センパイ。センパイ、あの……あらためまして、おめでとうございます」

『アハハー、ありがとう』

「ハナ差の接戦で勝てたのも、センパイの神通力ですか」

『神通力~~?』

「だって、センパイの予想、なんだか神がかってるみたいで――」

『いっつも神がかってるわけじゃないよぉ』

「――でも、大勝負だったんですよね?」

『まぁ、なんといってもダービーだし』

「……いくら、買ったんですか? シャフリヤールの単勝

『……ふふっ』

「……教えられないくらい!?」

『うふふのふ』

「お、教えてくれてもいいじゃないですか、センパイとわたしの仲じゃないですか」

『羽田さぁん』

「……」

『こんど、美味しいもの、食べに行こーよ』

「美味しいもの、って。美味しいものにもレベルがあるでしょ。高級なお店に行くなら、わたしにもこころの準備ってものが…」

『羽田さんが焦る必要ないじゃーん』

「…どうしても、いくら買ったか教えてくれないんですね」

『今回はダービーだから特別にフンパツした、とだけ言っておく』

「…なんとなく、想像がつく気もしますけれど」

 

ちらつく、

福沢諭吉の、影……。

 

『ダービー祝勝会もいいんだけどさぁ』

「なんですか」

『5月も終わりじゃない? 2ヶ月通って、どんな感じ? 大学』

「順調ですよ」

『ま、あなたなら、5月病なんてないよね』

「ありません」

『サークルにも入ってるのよね』

「楽しいです、サークルも」

『……いいね』

「うらやましいですか? センパイも受ければいいじゃないですか、大学」

『……あのね。羽田さん』

「はい」

『受験シーズンは、まだ遠く先だし』

「はい」

『それに、受験勉強よりも、やってみたいことがあって、わたし』

「……?」

『受験勉強よりも、社会勉強――ってな感じかな』

「それって……アルバイト」

『うまいぐあいにコネがあるのよ』

「コネが…あるにしたって。センパイ、無理しちゃうと……」

『平気、平気』

「……こんど会ったとき、詳しく聴かせてください、バイトのこと」

『わかった。話してあげるね』

「約束ですよ」

『うん。約束、守る』

 

 

ほんとうに、大丈夫なんだろうか。

 

でも、センパイの声、明るかった。

 

センパイが、前向きに、決めたこと。

 

ならば、わたしも前向きに受け止めて、見守ってあげたい。

 

……心配しすぎるの、やめよう。

むやみにこっちが深刻ぶると、彼女までこころ苦(ぐる)しくなっちゃうから。

 

× × ×

 

――ところで、

まだ少しだけ、髪が湿っている。

 

リビングで、センパイと通話していた。

通話に夢中で、髪を乾かしきれなかった感じ。

 

明日美子さんはどうせ寝ているし、

アツマくんもあすかちゃんも利比古も、とっくに学校に行っている。

 

リビングにわたしひとり。

辺りはガラ~ンとしている。

だから、髪を乾かしながら葉山先輩とモーニングテレフォンする余裕もあったわけだが、

わたしがひとつだけ恐れているのは、

流(ながる)さんが――ひょっこりとこの場所にやってきて、わたしのだらしのない姿を目撃してしまう、ということだけ。

恐れている……といっても、

いまさら、髪を乾かしてるのを見られたって、それほどのダメージにはならないんだけど。

ちょっとだけ……気恥ずかしくなるだけ。

 

ドライヤーを、コンセントにつなぐ。

風を髪にあてようとして、

スイッチをつけた瞬間、

 

流さんが……こっちに向かって歩いてくるのが、視界に入ってきた。

 

流さんはリビングに近づいてくる。

近づいて、わたしを察知する。

いったんはわたしに注目するけど、バツが悪そうに、目線を逸(そ)らし気味にする。

 

流さんの『照れ』に構わず、わたしはドライヤーをかけ続けるけれど、

気恥ずかしくなるのは少しだけ、って思っていたけれど、

指で触れると、やっぱり髪はまだ濡れていて、

乾かしきれていない髪を、見られてしまったことが――、

予想以上に、恥ずかしく、

ドライヤーに……集中できなくなる。

 

…とりあえず、ドライヤーのスイッチを切り、膝もとに置く。

少し、呼吸を整え、

 

「…ズボラなところを、お見せしてしまいました」

 

と、立ったままの流さんに、謝る。

 

「……愛ちゃん」

 

「はい、なんでしょう、流さん…」

 

「髪は……さ」

 

「…はい。」

 

「乾かすのなら……早く、乾かしきったほうがいいよ」

 

「…そうですよね」

 

 

× × ×

 

油断、というか、

気の緩みが、災いしたのかな。

 

やっぱり、リビングは、髪を乾かす場所じゃ…ないのか。

 

もし、流さんじゃなくて、見られたのがアツマくんだったら。

どっちが、

ズボラなわたしを見られてしまったダメージが……より大きかっただろうか。

 

いまさらにいまさらにいまさらなことだけど、

男女共同の、共同生活には、

デリケートな部分も……多くある。

 

 

 

 

【愛の◯◯】徐々にデレていく日曜日のわたし

 

「葉山がLINEをよこしてきやがった。例によって、お馬さん関連だ」

アツマくんが言う。

「ダービーのことでしょ?」

「あー」

「センパイ、なんて送ってきたの、見せてよ」

 

 

シャフリヤールの、単勝1点勝負!

 

 

「……どういう意味かわかるか? 愛」

「1番人気や2番人気が本命じゃない、ってことはわかるけど……」

 

 

…とりあえず、お邸(やしき)でとっているスポーツ新聞で、

ダービーの出走馬について調べた。

なるほど、シャフリヤールは、これぐらいの人気なのね。

単勝って、1着じゃないと、当たらないのよね。

シャフリヤールが勝ったら――リターン、大きいな。

センパイ、大儲けじゃないの。

 

「葉山の狙い、無謀っぽくねーか?」

「そんなこと言わないの! 競馬中継観て、センパイの大勝負を見届けてあげようよ」

「見届けるって…」

「競馬っていえばダービー、なんだしさ」

「…わかったよ」

 

合意を形成したあとで、ふたりして野球面を読む。

「巨人はソフトバンクと、とことん相性が悪いんだなぁ。

 ベイスターズは…楽天と、引き分けか」

「引き分けだったけど、オースティンのホームラン出たし、わたしはポジティブよ」

「へぇ」

「きょうはなにがなんでも勝つから」

「…出た、愛の根拠のない自信」

「うるさい!」

「はいはい。」

ベイスターズの、必勝祈願も込めて…」

「?」

「キャッチボール、するわよ」

「?」

「『?』じゃないわよ。アツマくん、わたしがどんなサークルに入ってると思ってるの!?」

「……ああ、『ソフトボールときどき漫研』、だったっけ?」

「惜しいけど……逆。」

 

漫研ときどきソフトボールの会』ね。

 

 

× × ×

 

そんなこんなで、なしくずし的にキャッチボールを始めた。

お邸(やしき)のお庭でキャッチボールができるから、ありがたい。

 

「…どう? わたしの投球にも、磨きがかかったでしょ」

「たしかに。だが…」

ボールを投げ返すアツマくんは、

「磨かれてるけど、磨き切れてない。つまり、もっとよくなる」

「……辛口ね」

力を込めて、わたしは速球を投げる。

少しコントロールが悪く、アツマくんからボールが逸(そ)れ気味になるが、

そこは、彼の守備範囲の広さ……である。

「よっと」

軽快に、コントロール悪いわたしの速球を、キャッチする。

どれだけ反射神経がいいの。

彼は微笑(わら)って、

「球は速かったけど、コントロールが犠牲になってた。やっぱりまだまだだな」

「り、力(りき)んでたのっ」

強がるわたしに、山なりのゆるいボールを返してくるアツマくん。

「――アツマくんさ」

こちらも、ゆるいボールを投げ返しながら、

「たしか――変化球、投げれたよね」

ぽす、とわたしの送球をキャッチした彼は、

「変化球ってほどのもんじゃないよ」

「えー? 前に、投げてたじゃないの、スライダーとか」

「スライダーなんて、投げたか?」

おぼえてないのが、うらめしく、

「…なんでもいいから、変化球、投げてくれないかしら」

「…変化球モドキみたいなのでも、いいんか?」

「投げてよっ。とにかくっ」

「…ゴーインだなぁ、いくつになったって」

 

 

× × ×

 

「やっぱりスライダー、投げれたんじゃん」

「スライダーモドキにすぎんよ」

「もっとじぶんの持ち球(だま)に自信持って」

「持って、どーするんだ」

「……草野球チームとか、入る気ないの?」

「まったくない」

「『宝の持ち腐れ』ってことば、知ってる?」

はじめて知った

「……あのねえ」

 

「ま、いいや。

 アツマくんがスライダー投げてくれたんだし、

 お礼に…お昼ごはん、作ってあげるから」

「うおっ」

「テレビでも視(み)てて、待っててよ」

 

さっさとキッチンに向かうわたし、

だったのだが、

アツマくんが、背後から、

 

「おれも――手伝うの、ダメか?」

 

「え、えっ、どういう風の吹き回し」

 

「テレビ視てても退屈だし。

 足手まといに…ならなければ」

 

わたしがなんと言っていいかわからなくなっていると、

 

「『合作(がっさく)料理』とまではいかなくても――おれを、アシスタントにしてくれや」

「――なんできょうに限って、料理手伝う気まんまんなの」

「手を動かしたいんだ」

「なにか、きっかけが??」

「いや。なんとなく。手を……動かしたい気分」

 

……気まぐれな。

けれど……アシスタントになってくれると、助かるのは、事実。

 

「……あなたのエプロン、取ってくる」

「え!? おれ用のエプロン、作ってくれてたんか!!」

「秘密裏(ひみつり)に」

「ありがてぇ~」

「……」

 

 

× × ×

 

食後。

アツマくんが、料理の手を貸してくれたお礼に、

即席ピアノコンサートを開いているわたし。

もちろん、

アツマくんのためだけの……即席コンサート。

 

1曲弾き終えたわたしに、

「ずいぶんアクロバティックな演奏だったな。組曲、みたいなやつか?」

「……レッド・ツェッペリンの曲をごちゃまぜにして、適当にアレンジして、メドレー仕立てにしただけ」

「それを組曲っていうんじゃないのか」

「言わないでしょ、たぶん」

「そうなのか。…ま、どーでもいーや」

「…ホメてくれないの?」

「ホメるぞ。いくらでも」

 

彼は、イジワルな笑顔になって、

 

「どういうふうに、ホメてほしいか」

 

「ふっ、フツーに、さ、素晴らしかった~、とか、言ってくれたら、わたしはそれで…満足」

 

「素晴らしかった~、とは、おれは、言わない」

 

「じゃ、じゃあなんて言う気なのっ!?」

 

「聴いてるだけで、幸せだった。

 幸せな気分だった」

 

 

アツマくん……。

 

 

「なんだよー、愛。ビックリさせるようなこと、言ったつもりはないぞ?」

 

「……ビックリは、してない。

 でも、気恥ずかしく、なっちゃった」

 

「ええ~っ」

 

「むやみに言っちゃダメだよ、アツマくん……そういう、『決めゼリフ』は」

「そうかもな」

「!?!?」

「だが、言っちまったもんは、仕方ない」

「フツーにホメてくれるだけでいいのに、飛躍するんだから……」

「口下手で、ごめんな」

「……あなたのそういう、口下手なところ、」

「お?」

「わたしを、気恥ずかしくさせちゃうんだけど……、

 そんな口下手が、好きでもある」

「…好き、って」

「口下手だけど好き、というか。

 口下手だから好き、というか」

「…ふ~~ん」

「――『幸せだ』とか、そういうホメかたされたら、ますます好きになっちゃうじゃない。…大好きになっちゃう」

「『だれ』のことを?」

ひとりしか――いないでしょっ!!

 

 

 

 

【愛の◯◯】日本ダービーは男のロマン。遠距離電話は、わたしとソースケのロマン…

 

仕事がひと段落して、自分の部屋に戻る。

戻るなり、ソースケに電話をかける。

 

「もしもし」

『よぉマオ』

「……ちゃんと、起きてた? 土曜だからって、昼まで寝てたりとか……」

『まさか』

「ほんとぉ??」

『疑うな』

「……信じてるけど、疑うから」

『なんじゃいそりゃ。矛盾なことを』

 

あー、もうっ。

 

ベッドに、仰向けになりながら、

 

「矛盾だってどうだっていいでしょっ」

 

ソースケの笑い声が聞こえてくる。

わたしは思わず、寝返りを打つ。

 

「笑わないでっ」

『…マオ』

「なによっ」

『…面白いな、おまえ』

 

お、おもしろいのは、あんたのほうでしょっ

 

× × ×

 

それから、ソースケの大学生活の話になる。

壁新聞サークルを作ったこととか、

壁新聞の内容が基本カオスだとか、

相当カオスで過激な壁新聞を掲示してるはずなのに、『当局』から怒られたことは一度もないとか、そんな話。

どうやらソースケ、あっちでも、福岡でも――友だちができたみたいで、そこは少し、安心。

 

「ひとりぼっちじゃないんだね、ソースケ」

『ああ。仲間を作った』

「そういう才能が、あるのかな」

『あるかぁ??』

「……あんたが、気づいてないだけかもよ」

『……へへっ』

 

「ところで――」

『なんだ? 日曜の、日本ダービーのことか!?』

「どうしてそんなにカンがいいわけ!?」

『や、だって、そろそろ、ダービー関連の話題、振られるのかなー、って』

 

あっちのテンションが2段階も3段階も上がってるのを敏感に感じ取る。

 

「……4月、5月と、日曜の午後3時に競馬中継を観るのが、習慣化してきちゃって」

『うお~』

「……絶対、あんたのせいだよ」

『うおぉ~っ』

「なに勝手にひとりで盛り上がってんのっ」

『だって、ダービーだし。明日だぞ? 明日』

「そうだけど」

『いよいよクライマックスだ。中央競馬の、1年間の、『総決算』だ』

「――5月末なのに、総決算?」

橋口弘次郎って知ってるか?』

「知らないよ。いきなり言われたって」

『元・調教師でな。ワンアンドオンリーって馬で、ダービーを勝ったわけだが』

「それで?」

『『わたしの1年はダービーに始まり、ダービーに終わる』という名言を残してるんだ』

「へえ」

『つまり、ダービーを中心に、競馬界は回ってるんだな。季節がそうやって、一回転していくんだ』

「…今回、サトノレイナスちゃんっていう牝馬が出るよね」

『お、おいっ!! 唐突に話ぶった切るな』

「2番人気?」

『…おそらく』

「わたし、この馬応援する」

『8枠16番だけどな』

「知ってるよ。いま、スポーツ新聞手もとに持ってきてるし」

『逆に、断然人気のエフフォーリアは、1枠1番』

「だね。ダービーだと1枠有利なんだってね」

『そうは、『言われている』なぁ』

「…違うの?」

『フッフッフ』

「フッフッフ、じゃないよ。エフフォーリア、1着しかとってないじゃん。4戦無敗でしょ? 皐月賞圧勝したのもわたし観てたし、そういう馬が1枠1番ってことは、『鬼に金棒』みたいなもんじゃないの」

『どうかねぇ。1枠1番の馬が1番人気になって、8枠の馬が勝った年もあるし』

「ソースケ……『穴党』?」

『……あのな、マオ』

「ん…」

『1番人気のエフフォーリアは、関東馬。そしておまえ推しのサトノレイナスはおそらく2番人気で、これも関東馬だ』

「それがどうかしたの」

中央競馬って……基本、西高東低(せいこうとうてい)なんだよな。今回、関東馬に人気は偏(かたよ)り気味。おれにはそこがどーも、クエスチョンマークなんだ』

「…関西馬ねらい、ってわけ?」

シャフリヤールとかな。

 皐月賞上がり最速のヨーホーレイクも魅力だ。

 重要ステップの京都新聞杯を勝ったレッドジェネシスは、血統面も強調できる』

「……みんな、ディープインパクト産駒じゃん」

『お?? よく勉強してんな、マオ』

「いや勉強とかじゃないし。新聞にちゃんと書いてあるし」

『それでも、たいしたもんだ、その共通点に気づけたのは』

「ディープの子どもってさ……G1に、うじゃうじゃ出てくるよね」

『そういうもんだよ。最近ではキズナ産駒もよくがんばってる』

「サトノレイナスも、ディープっ子なのね。ディープって、すごいんだね」

『あたり前田幸治だろっ』

「……ダジャレなの?? ソースケ」

 

 

「――ふぅっ。なんだかわたしまで、競馬熱く語っちゃった気分だよ」

『おれは楽しかったぞー』

「なら、よかったんだけど」

 

…ふと、スポーツ新聞のダービー特集を眺めたところ、

エフフォーリアの騎手に関する記述が眼に留まり、

 

「ねえソースケ。横山武史くんって、若いのね」

『若いよ~』

「22歳だって」

『そーなのさ。エフフォーリアで勝てば、戦後最年少のダービージョッキーだ』

「――そんなにうまく、いくのかな」

『マオがそう思うのはわかる』

「サトノレイナスルメールって、強力じゃない?」

『そりゃそうだ』

「――なんだけど、」

『おっ?』

「横山武史くんが……重圧に打ち勝って、エフフォーリアを1着に導けたら、ロマンじゃん。シンデレラボーイってやつ? 古臭いけど」

『ロマン――か。』

「ソースケもさ、」

『…』

「横山武史くんと、あんまり歳が変わんないんだからさ、」

『…』

「見習わなきゃ、ダメだよ。」

『…どこを。どうやって』

「G1、勝とうよ」

『難解なたとえかたを……G1勝つ、って、いったい、なんのたとえで言ってるんかいな』

ソースケは…25歳までに、G1が勝てるって、わたし…信じてるよ

『……お~い、マオさ~ん???』

「変なこと言ってないし、わたし」

『おいおいっ』

 

 

 

 

 

【愛の◯◯】『久保山くんに名前で呼ばれて極度にテンパってしまいました事件』

 

わたしは、『漫研ときどきソフトボールの会』という、少々へんてこな名前のサークルの、副幹事長をしている。

副幹事長ということは、とうぜん上に「幹事長」がいるということであって、

幹事長は、だれかというと――久保山(くぼやま)くんという、同じ3年生の男子だ。

 

久保山くんは、

よく言えば恰幅(かっぷく)がよく、

悪く言えば…ぽっちゃりな体型、である。

 

メガネ。

メガネをかけてるのが、もったいないなー、って思う。

コンタクトレンズに苦手意識があるのかもしれないけど。

もし、

もし、久保山くんが、メガネかけずに、コンタクトにしたのなら、

質実剛健(しつじつごうけん)』な外見になって、

見栄えが、するというか、

幹事長としての、威厳も増すというか、

 

――もうちょっと、『いい男』に見えると思うのにな。

 

だって、

なんか、久保山くん、のぺ~っ、としてるし。

のぺ~っ、って、わたしながら変な表現だけれど、

もうちょっとだけ、カチっとしてほしいよね。

ソフトボールやるっていう性質上、けっこう大人数のサークルなんだから、

それを束ねる人間として……もうちょっとだけ。

 

「……せっかく、1年生、4人も入ってくれたんだから」

「え!? なんだなんだ、有楽(うらく)」

 

わたしのひとりごとにびっくりする久保山くん。

無理もない。

 

「ごめん……こっちの話。」

「ほんとかいな」

「考え事をしてたら、つい、口から……ってだけ」

「ビビった」

「ビビらせて、ごめんね」

「何度も謝らんでもいいが…」

 

サークル部屋にいる。

いまサークル部屋にいるのは、わたしと久保山くん、だけではない。

日暮真備(ひぐらし まきび)が……隅っこのソファに寝っ転んでいる。

入眠状態の真備。

こうなると、タダでは起きてこない。

 

そんな真備はほっておくとして、

「ねえ久保山くん」

「んっ」

「きょう金曜日じゃない」

「ああ」

「週末、どうするの」

「どうするって」

「決まってるでしょう。ソフトよ、ソフト」

ソフトボールが?」

「練習! 土日のどっちかで、練習やるんじゃなかったの?」

「あー」

「…あなた幹事長だよね。まさかのド忘れ!?」

「すまん…忘れてはなかったんだが、今の今まで、段取りを考えておらず…」

「それを『完全忘却』っていうと思うんですけど」

「うん。」

「ひとりで納得しないでよっ。土日のどっちに練習組むか決めてよ。いま、この場で」

「いま、ここで?」

「金曜日なんだよ!?」

「む。――じゃあ、土曜にしよう」

 

頼りない…。

 

「…久保山くんはもう少し、頼りがいがある幹事長だと思ってたのに」

「ごめんな。おっちょこちょいで」

「おっちょこちょいというか、なんというか…」

「ありがとう、有楽。有楽に言われなかったら、練習が、流れてたよ」

「ホントよ」

「有楽さまさまだったな」

 

…そう言って笑い、某漫画雑誌に手をつけ始める彼。

 

彼が、漫画モードに入る前に…、

ひとつだけ、訊いてみたいことがあった、わたし。

 

「――ね、久保山くん」

「んん? どうしたんだ、あらたまったみたいに」

「そんなにあらたまってる?」

「そう見える」

「――ま、それは、いいとして、ね。

 久保山くん、さ――」

「?」

「――久保山くんは、さ。

 真備のことは、『真備』って呼んで、

 風子のことは、『風子』って呼ぶよね」

「それが?」

 

カンが悪いわね…。

 

「わたしだけ、『有楽』じゃない。

 わたしだけ、名字呼びじゃない。

 真備と、風子……ほかの、3年女子ふたりは、名前呼び、なのに」

 

「そりゃ、つまりは、」

 

「……そうよ。

『どうして、わたしだけ、名字なの? どうして名前呼びじゃないわけ?』

 ってことが言いたかったのよ」

 

「うううん……」

 

「――どうしてなの?」

 

「……」

 

「こ、ここ、考え込むタイミング!?」

 

わたしは、思わず――、

 

「ねぇ久保山くん――、

 1回だけで、いいから、

 わたしを、『有楽』じゃなくて、『碧衣(あおい)』って呼んでみてよ」

 

すると。

拍子抜けなほど――そっけなく、

彼は、久保山くんは、

 

「…『碧衣』。」

 

と、わたしの名前を、呼んでくれた。

 

「…満足か? 『碧衣』。」

 

1回でいい、って言ったのに、2回。

『碧衣』って。

 

 

……。

 

わたしは……すぐに、久保山くんにことばを返せず、

それどころか、

『碧衣』と、名前で、呼ばれた――反動、なのか、

 

ちょっとだけ、ちょっとだけ、

胸の鼓動――、高く、なってきていて。

 

予想外に、焦っていて。

このまま黙り続けていたら、久保山くん、変に思っちゃうし、

わたしだって、気まずいし、焦りに焦りが重なっちゃうし。

 

微妙な空気の流れ。

どうしよう。

 

たとえば、

こういうとき、ソファの真備が、タイミングよく、起きてきてくれたら――、

助かるのに。

 

わたしは…真備に、すがるかのごとく、

「く、く、久保山くん…」

「どーしたよ?」

「わたし、真備、起こそうと思う」

「なぜに?」

「――さ、3人のほうが、盛り上がるでしょ!?」

「けど、無理に起こすのもなあ」

「むっ、無理にでもっ」

「…ふ~ん。」

 

 

立てかけてあった、バットを手に取り、

ソファに眠る真備の手前で、

トントンと、床を軽く二度三度叩く。

 

それを合図に、真備の眼がぱっ、と開き、

むく~~っ、と上体が起こされる。

 

寝顔もそうなのだが…起きてきた真備の顔も、やっぱりあどけない童顔だった。

 

さっきまでの久保山くんとのやり取りを、なにも知らない真備。

 

……なんにも知らないって、素晴らしいね、真備。

 

「真備、おはよう…」

とりあえず「おはよう」と言って、久保山くんに『碧衣』と呼ばれたショックを和らげる。

ショック、というか――『碧衣』と呼んで、ってお願いしたのは、わたしのほうから、なんだけれども、

細かいことは、全部なし。

「おはよーっ、碧衣」

屈託のない起き抜け顔の真備が、「おはよう」返しをしてくれる。

そんな、起き抜け真備で、

わたしは――『久保山くんに名前で呼ばれて極度にテンパってしまいました事件』のダメージを、癒やすのだ。

 

 

 

 

【愛の◯◯】必然の囲まれと偶然の出会い

 

泉学園。

 

教室を一室貸し切って、桐原高校と泉学園、双方の放送系クラブの『交流会』が行われている。

 

今回は、KHKも招待されていて、

『男の子がひとりはほしい』とかなんとかで……板東さんだけでなく、ぼくも出席させられるハメになった。

 

見事に、ぼく以外、みんな女子。

文化系クラブ活動にはありがちの、異常なまでの女子率の高さ。

 

泉学園放送部から、部長・副部長のふたり。

桐原の放送部から、部長の北崎さん。

われらKHKから、板東なぎさ会長。

 

女子の出席者が計4名、

つまり、

ぼくだけ男子、5名中4名が女子ということは、

女子率80%の空間ということになる。

つらい。

 

眼の前には、泉学園放送部のふたり、

そしてなぜかぼくを挟みこむかたちで、

右隣に北崎さん、左隣に板東さんが座っていて、

完全に、女子4名に囲まれていますよ状態。

…包囲網かなにかかな?

 

 

コーラとかサイダーとかが入った大きいサイズのペットボトル。

それに加え、数種のポテトチップスの袋。

これで――和気あいあいと交流会が進行していけば、言うことなしなのだが、

果たしてそう、うまく行くのか?

心もとない。

 

泉学園放送部の部長は春日(かすが)さん、

副部長は鮎川(あゆかわ)さんである。

 

「春日(かすが)だけど、『ハルヒ』って呼んで!」

「鮎川(あゆかわ)だけど、『アユ』って呼んで!」

 

そうお願いしてきたふたり。

 

ハルヒさんと、アユさんか……。

口には、出さないけど、

ハルヒさんが部長、アユさんが副部長なんだけれど、

アユさんのほうが部長っぽく、ハルヒさんのほうが副部長っぽい。

……ぼくの第一印象ってだけだが。

 

部長っぽいが、現実は副部長であるところのアユさんが、

右腕で頬杖をつきながら、品定めをするように、ぼくのほうを眺めてきて、

「羽田くん、」

とおもむろに言ってきて、

「……はい」

と、いくぶん警戒しつつ、返事をすると、

「きみ、ハンサムだね?」

と……上級生特有の余裕顔で言ってくるのだから、こっちはたまらない。

 

「あ、アユさん……そう言われましても、ぼくとしては……」

言いしれぬ緊張をおぼえながら、かろうじてことばを振り絞るのだが、

アユさんの隣のハルヒさんが、何度も何度もうなずいているのが、眼に入ってしまった。

 

「そうだね」

こんどは、右横から北崎さんが、

「羽田くんは、何度か放送部に来たことあるんだけど――、

 そのたび、『この顔で女子にモテないってわけないよね』って、思ってた」

 

そんなっ。

 

「たとえるなら――、

永遠の少年』?」

 

いや、『永遠の少年』って、北崎さんっ。

 

すり寄るように、距離を詰めてきて、

ちょうど空(から)になってしまっていたぼくの紙コップに、サイダーを注ぎ入れる。

北崎さん――なんですか、その積極性は!?

 

「サラちゃ~ん、羽田くんをそんなにもてなして、放送部に引き抜きでもしたいわけ?」

見かねた板東さんの挑発。

「心外ね、なぎさ。わたしがモーションかけてるみたいな、口ぶりで…」

北崎さんの反発に、

「モーションかけてるなんて言ってないじゃん! 誇大妄想じゃない!?」

おさえて、おさえて、板東さん。

「なにしようと羽田くんはあげないんだからね」

板東さんのその突っぱねに、

「ふん。…そんなに、羽田くん、手もとに置いておきたいんだ」

「あ・た・り・ま・え」

……そして、冷たい戦争みたいに、にらみ合いになるのだから、たまったものではない。

交流会どころか…これじゃあ、桐原高校の人間同士の、ぶつかり合いだ。

 

さすがにこの状況を見かねたのか、

「…羽田くん争奪戦もいいんだけどさぁ、もっとこう、交流会っぽいことをしようよ」とハルヒさんが言う。

「そうね。それぞれが作ってる番組のことだとか」とアユさん。

 

「ハンサム」だとか言って、口火を切ったのは…アユさんだったんですけどね…。

 

…そんなツッコミは無用! という勢いで、

「KHKの活動で、羽田くんがどんな役割を担っているかとかも、知りたいな」

ぼくをまっすぐに見ながら言う、アユさん。

どれだけぼくに関心があるっていうんですかっ。

 

みなさん…なんだか、

ぼくを振り回すのに、終始してませんか!?

『交流会』が、まるで、タテマエ……。

 

 

× × ×

 

それからも、ぼくは、イジられまくりのイジられ通(どお)しだった。

しかも、放送系クラブ関連とはかけ離れたことばっかり、訊かれ続けていて。

ぼくを祭り上げて、なんになるって言うんですか…。

こっちはクタクタである。

おだてられるたびに、疲労が増して――、

グダグダかつ、クタクタな、実りがあるとはとても言えない交流会だった。

占有率80%だった女子陣にとっては、有意義な時間だったのかもしれないけど。

それにしたって。

 

交流会は一度きりじゃないらしい。

また、女子に、包囲される運命…。

 

その運命を思うと、暗澹(あんたん)たる気持ちになって、

解散して、解放されて、ようやくじぶんひとりで帰り道を歩けるようになっても、

歩く目線は、上がらなかった。

 

 

くたびれて、うつむいて、トボトボと駅に向かう途中だった。

とある公園を横切っているわけだが、

そういえば、この公園、たしか近くに『児童文化センター』があるんだった。

姉が――足しげく通い、子どもたちと触れ合っているという、センターである。

ぼくは、かつて一度も、センターに足を踏み入れたことがなく……今後も踏み入れる可能性は薄いと思われるのだが、

場所ぐらいは、確認しておこうかな…と思いつき、好都合にも至近距離にあった案内板に歩み寄り、案内板の地図でセンターの場所を探した。

 

「……ここなのか」

 

極度にくたびれていた反動で、ひとりごとが出てしまった。

そんなじぶん自身が少しだけイヤになり、案内板から眼を逸(そ)らす。

 

…向こうから、制服を着た女子が、歩いてきている。

 

あの制服。

あの制服は――姉が通っていた女子校の制服じゃないか。

 

彼女はどんどんこっちに近づく。

近づくにつれ、彼女の容姿がどんどんハッキリしてくる。

 

あすかさんとほぼ同じ背丈。

短めの髪。

 

そして、姉の出身校の制服、

ということは、必然的に、姉の後輩、

しかも、ぼくが見知っている、姉の後輩――。

 

 

――川又さん。

 

 

声が出てこないわけがなかった。

間違いない。

姉のひとつ後輩――文芸部の部長も引き継いだ、

川又ほのかさんだ。

 

ピタリと、彼女は立ち止まった。

ぼくに気づいたのだ。

 

信じられないような偶然なので、

お互い、しばらく、言うことばを思いつけず、

立ちすくみながら、ただひたすらに、顔を見合っている。

 

 

「どうして……ここに??」

沈黙を破ったのは、ぼくだった。

川又さんは、まだ、戸惑い気味ながらも、

「文芸部で……児童文化センターの、お手伝いに、来ていて」

 

あっ……なるほど。

 

「……お手伝いが、ちょうど終わったところだったんですね」

「……はい。そのとおり、です」

 

『利比古くんは、なぜこんなところに?』

とは、川又さんは、言わなかった。

 

ぼくに、問いかける代わりに――、

「すごい、偶然……ですね」

と、驚きを示す、彼女。

「ぼくも……驚いてます」

 

 

「……」

「……」

 

 

再度、無言モードに……。

 

 

……膠着状態に陥(おちい)る寸前で、

 

「もしかして……駅、いっしょだったりします?」

 

川又さんが、口を開いてくれる。

 

ぼくは駅の名前を告げる。

 

彼女は無言でうなずいて、

「やっぱり、いっしょでしたか…」

「…はい。いっしょのようです」

「行きましょうか……電車が遅くなっても、いけませんし」

「ですね……川又さんの、言うとおりです」

 

ぎこちなくこわばったことばを交わしつつ、

やがて……距離をとりつつも、ふたり、横並びで、

同じ駅へと、

歩(ほ)を進めて……いったのだが、

 

いろんなことが、きょうの放課後は、起こりすぎで、

帰り道を歩いている…という、実感すらも、

フワフワと、宙に浮いているようで、

歩いているあいだ、川又さんの横顔を見る余裕なんか、一切なくって。

 

別々のホームだから、改札を通ったところで、ぎこちなさが持続したままに、お別れをして。

「それではまた」と、かろうじて挨拶はできたけれど、

ホームへと階段をのぼっているあいだ、

上を向いて歩くことが、

どうしても、できなくって――。

 

 

 

 

【愛の◯◯】音楽雑誌をめぐる◯◯

 

GRAPEVINE、この1曲

 

 

編集長「GRAPEVINEのベストアルバム『Best of GRAPEVINE 1997-2012』を聴こうと思うんだが……みんなは、GRAPEVINEだと、どんな曲が好きなんだ?」

 

輝三「無難に『光について』ですかね」

 

さつき「あたしは『白日』」

 

イチロー「このベスト盤には入ってないんですけど、『その未来』って曲が好きで」

 

輝三「おーっ」

 

さつき「ほ~」

 

編集長「うぉ~っ」

 

イチロー「(焦って)そ、そのリアクションはなにっ」

 

輝三「イチローが、GRAPEVINEの、ベスト盤に漏れるような楽曲を、知っていたとは」

 

イチロー「で、『déraciné(デラシネ)』ってアルバムを、たまたま聴いたんだよっ、そのアルバムに入ってた曲でっ、『その未来』は」

 

編集長「――『déraciné』かあ」

 

さつき「イチローにしては、趣味いいわね」

 

イチロー「(心外そうに)なんなんですかあっ、さつきさんまで! あんまりおれをナメてもらっちゃあ、困るんですけど!」

 

編集長「や、普通、ナメるだろ」

 

さつき「そう、そう」

 

イチローみんなおれをなんだと思ってんの!?

 

 

 

小鳥遊「イチローせんぱぁい」

 

イチロー「小鳥遊……」

 

小鳥遊「イチロー先輩も、音楽に少しはこだわりがあったんですねw

 

イチロー「小鳥遊さん……ここ、音楽雑誌の、編集部よ!? 曲がりなりにも」

 

小鳥遊「ひたすら後輩のわたしに怒ってるだけじゃなかったんですね」

 

イチローあたり前田敦子だっ!!

 

小鳥遊「あ~、オヤジギャグ」

 

 

 

 

「――イチローさんが、またいじめられてるよ。

 肝心のGRAPEVINEの楽曲も、3曲しか紹介されてないし。

 やれやれ。

 ほんとうにしょうがない、雑誌だな…」

 

「半笑いでひとりごと言わないでよね、戸部くん」

 

「あ、悪い」

八木にたしなめられちまった。

音楽雑誌『開放弦』のおもしろ記事を読んでいて、『自分の世界に入らないで』と、八木か星崎に、たしなめられる……。

これがひとつのパターン化してる。

 

八木がサークル部屋の本棚を見上げ、

「それにしても、ウチのサークル、音楽雑誌には事欠かないよね」

「まあ、性質上な」

「初期の『ニューミュージック・マガジン』や『ロッキング・オン』まであるでしょ? だれが集めてきたのか知らないけど」

「おれも、知らない」

「……」

「どうした八木? 本棚を見上げ続けて」

「わたし身長低いから、棚の上のほうの雑誌、取りたくても取れない」

「読みたいんか」

「……こういうとき、戸部くんの長身が、役に立つよね」

「へっへっへ」

「……やめた」

「へっ」

「雑誌、取ってくれなくてもいい」

「なぜ」

「戸部くんが、『へっへっへ』とか、ドヤ顔でじぶんの高身長を誇ってくるから、ヤになった」

「おれそんなつもりは」

「…代わりにその『開放弦』を、わたしに読ませなさい」

「…強奪か?」

「強奪されても、仕方ないっ!!」

 

奪い取られるよりも先に、あっさりとおれは八木に『開放弦』を明け渡した。

 

「……素直ねっ、戸部くん」

「素直にもなるさ」

「……読むね」

「読め読め」

 

 

大人しく『開放弦』を読ませておく。

八木が、静かになると、平和だな。

 

…勝ち取った平和を噛みしめていると、

「アツマさん。ぼく、音楽雑誌なんて読んだことないんですよっ」

「ムラサキ。…おまえも、音楽雑誌に関心が?」

「はい。でも書店とかに行くと、あまりにもたくさんの音楽雑誌が並んでて、なにを買えばいいかわかんなくて」

「まーなー。おれだって、いちいち把握はしていない」

「アツマさんのおすすめは、やっぱり『開放弦』ですか?」

「かな。たびたび音楽雑誌の趣旨から脱線してるような雑誌だけど」

「『開放弦』は、月刊なんですよね?」

「そう。バックナンバーも…ほれ、あそこの棚に」

「ほんとうだ! 揃ってる」

「興味あったら、読めよ」

「そうします」

 

ムラサキは、本棚に近づいていき、『開放弦』の去年の号を1冊抜き出す。

立ち読みみたいに、パラパラめくっていたが、

「ムラサキくん、ムラサキくん、」

いつのまにかごく自然な感じで『MINT JAMS』のサークル部屋に来ていた茶々乃(ささの)さんが、ムラサキの背後から呼びかけて、

「わたしもそれ、読みたいな」

「わかったよ茶々乃さん。だったら、ぼくが読んだあとで、渡すね」

「おねがい」

「できるだけ短い時間で読むよ」

と、屈託ない笑い顔のムラサキ。

 

『いっしょに読もうか?』とは、言わなかったな、ムラサキ。

――まぁ、いきなり『いっしょに読もうか?』だと、茶々乃さんだって戸惑っちゃうだろうからなぁ。

 

それは、そうとして――、

やっぱり、ムラサキ、小柄だな。

ガチで茶々乃さんより身長低そうだ。

八木ほど低くはないけど、

ムラサキの立ち姿は、少年のように、あどけない、

いや、

少年なんだ。

ムラサキはいまだ、少年――。

 

 

× × ×

 

帰宅後。

 

「まーたお兄ちゃんが寝そべって雑誌読んでる」

「ダメ?」

「ダメじゃないけど、だらしなさすぎ」

「大学での疲れが――」

「そんなのないでしょ」

「いやあるから」

「もう。もうっっ。

 お母さんがぜんぜん怒んないから、『だらしない』って言うのは、妹のわたしの役目」

「ほほー」

「…わたしとおねーさんの、『だらしない』の波状攻撃を食らいたくなかったら、起き上がってよ…」

「うむ」

「……」

「ほれ、起きた」

「……予想外の、素直さだね」

「きょうはそういう日なのさ」

 

怪訝そうにおれを見ていたあすかだったが、

おれの持っている『開放弦』に眼を留めると、

 

「『開放弦』の、最新号が、出たんだね」

 

お?

興味アリか?? 妹よ。

 

「――読みたいんか? もしかして」

 

「ん……」

 

「興味アリアリのアリ、って感じだな」

 

「そ、そこまでじゃないもん」

 

ツンデレな」

 

うるさいっ

 

…いったん、その場を離れようとする妹だったが、

 

「最新号は、おまえの好きな、90年代後半邦楽ロック特集が組まれてるぞよ」

というおれのことばに、

ピクン! と音が出そうなくらい、反応し、

「特集のコーナータイトルが、

『97年の中村一義

『98年のくるり

『99年のナンバーガール』」

と、おれが畳み掛けていくと、

あっさりすぎるぐらいあっさりと、

ふたたびこっちを振り向いた。

 

「『97年の中村一義』……『98年のくるり』……『99年のナンバーガール』……」

オウム返しのように、おれが言ったコーナータイトルを反芻(はんすう)する妹。

 

「どーだ! 『開放弦』も、捨てたもんじゃないだろっ。読みたくなってきたか~?」

 

妹の眼が……、

あからさまに、

キラキラキラキラと、してきている。

 

うん! 読みたい!! くやしいけど」

「……なーんか余計なひとこと付け加えませんでしたか、あすかさーん」

 

 

 

 

【愛の◯◯】生徒会突撃取材と、それぞれの『ストライクゾーン』

 

「――5月下旬っていうのは、ちょうどいいタイミングだったと思います。まだ、我慢できるぐらいの暑さでしたし」

「では、今後も、体育祭は、同じ開催時期で続けていきたいですか?」

「続けていきたいですね」

 

次の質問。

「体育祭当日で、対処に困ったことはありましたか?」

「それは、トラブルかなにか……ということでしょうか」

「そうですね」

「『あいにく』、なにごともありませんでした」

「そうでしたか……無事で、なによりです」

「トラブルを期待してましたか?」

「んーっ、と…」

「…事件や事態が起こったほうが、新聞屋さんとしては、好都合なんじゃないの? 記事ネタにできるし」

 

タメ口に変化して、小野田生徒会長はわたしにそう迫ってくる。

ぐうの音(ね)も出ない。

 

「…あすかさん、敬語とか、堅苦しいやり取りは、やめようよ」

「そ、それもそうだねっ、小野田さん」

「ごめん、『新聞屋さん』なんて、軽はずみに言っちゃって」

「いいんだよ。新聞系のクラブ活動なんて、小野田さんが言うみたいなもの。だれかに疎(うと)まれても、仕方ないようなこと、やってるし」

「卑下(ひげ)しすぎじゃない? あすかさん」

「んん……」

「スポーツ新聞部アンチなんか、ほっとけばいいのに」

 

眼を細め、微笑して、おだやかな口調で、おだやかじゃないことを言う。

これが…わたしたちの、生徒会長。

 

 

「生徒会は、みんな、スポーツ新聞部には好意的だよ」

それはよかった。

 

生徒会室で、小野田会長と面と向かって、取材中。

小野田さんは去年の生徒会長選挙で、わがクラスの徳山さんを下(くだ)し、会長の座についた。

小野田さんと徳山さんの勝負を分けたのはなんだろう…といまだに思ったりする。

小野田さんのほうが、徳山さんより、人気があったから…というのも、小野田さん当選の根拠として、有力だろう。

いつも強気な徳山さんとは対照的に、小野田さんは終始おっとりとしている印象だ。

そこが生徒たちのハートを掴んだのかもしれない。

とりわけ、男子……。

徳山さんが嫌われているわけではない。

相対的な人気で、小野田さんが上回っているのだ。

『完全なる徳山派』、という人間が、『身内』にいることを――この前、知ってしまったけど。

彼は、徳山派というか、徳山さんファンという領域を通り越して……おっと。

生徒会室に来てるんだった。

生徒会のことを、述べなければ。

 

おっとりとしてるけど、時に腹黒な小野田会長のかたわらに、副会長の濱野くんが立っている。

濱野くんも3年生。

長身で、髪長めの、ハンサム。

女子には、小野田さんそっちのけで、人気が出てそうだ。

小野田さんと並び立つ存在感……それが、濱野くんである。

わたしは……、

とくに、ときめいたりは、しないけど。

漫画だったら、コテコテの描写ではあるが、いかにも親衛隊みたいなものが出来ていそうな――そんな男子だ。

でもわたしは惹かれないな。

え、

なぜって??

――女心も、いろいろだよ。

 

あとは、書記の丸山くんが、会長・副会長とともに生徒会室にいる。

2年生だ。

副会長とは逆に、いくぶん小柄で、地味な存在の男子。

地味な存在ではあるけども、たぶん、小野田さんや濱野くんの後継者に、やがてはなっていくんだろう。

 

 

「それじゃ、きょうの取材、終わり。わたしが原稿書いて、また、ここに持ってくるから。そのときは原稿をチェックして」

そして踵(きびす)を返し、生徒会室から出ようとするわたし。

「え。あすかさん、もう帰っちゃうの?」

引き留めようとしたのは濱野くんだ。

「用は済んだし……」

「コーヒーでも飲んでいけば」

たしかに、インスタントコーヒーを入れた瓶と、電気ケトルが生徒会室にはあった。

「お気づかい、ありがたいけど――いまは、コーヒーって気分じゃないかな」

「じゃあ、ジュースはどう? コーラとかファンタとかもあるよ」

小さな冷蔵庫まで生徒会室には置かれていた。

「ごめん濱野くん。それも遠慮しとく」

「――清涼飲料水、控えてたりとか?」

「まあ、そんなとこ。節制(せっせい)してるの」

「節制、って、あすかさん全然太って――」

すかさず小野田さんが、

「こらこらっ、濱野くん、デリカシーのないこと言うんじゃないの」

「うぐ…」

痛いところを突かれる濱野くん。

「濱野くんは、デリカシーのなさが、玉にキズだね」

と、おだやかに、小野田さん。

「副会長の立場なんだから、不用意な発言は、ほどほどにね?」

100パーセントのおだやかさで、やんわりやんわり、濱野くんをたしなめていく。

 

濱野くん…。

口が軽い、というより、

思わず余計なことが口から出ちゃうタイプか。

口が軽くて、チャラチャラ…とは、ちょっと違うな。

 

 

× × ×

 

かくして、スポーツ新聞部活動教室に戻ってきた。

 

将棋盤に棋譜を並べる加賀くんに、

「こんど、キミも、わたしといっしょに、生徒会室に行ってみない?」

と揺すりをかける。

「なんでおれが」

「会長の小野田さんに、インタビューしてみようよ」

「おれが?」

「キミが。」

 

加賀くんは棋譜を並べ続け、

「気乗りしねぇ」

「どーして? 小野田さんと面と向かってしゃべれるんだよ?」

 

まーったく表情を変えずに、

「それがいったい、なんなんだ?」

と加賀くん。

まるで、

小野田さんという『先輩の女子』のことなんか、気にも留めてない感じ。

 

徳山さんには、あんなにときめいてるのに。

 

そうかぁ……。

 

いくら『年上のお姉さん』でも、小野田さんは『ストライクゾーン』じゃないんだね、

加賀くん。

 

徳山さんだったら、

ストライクゾーン、ど真ん中……なのにねぇ。

 

「…気色悪い。不気味な笑い顔、作りやがって」

「そして…わたしも、『ストライクゾーン』ではない、と」

「ハアァ!?!?」

 

まあ、わたしだって、

あんなにモテそう、というか、モテてる、濱野くんは、

ぜーんぜん、『ストライクゾーン』じゃ、ないんだしねえ。

 

『ストライクゾーン』は……人それぞれ。

それを、ますます、きょうは実感。