洗った髪を乾かしつつ、葉山先輩に電話をかける。
――きのう。
『シャフリヤールの、単勝1点勝負!』
――こんなLINEを、葉山先輩、アツマくんに送ってきていて、
第88回日本ダービーのテレビ中継で、一部始終を見届けていた、わたしとアツマくんは、
写真判定の末、シャフリヤールが優勝したことがわかった瞬間から――しばらく、開いた口がふさがらなかった。
『おはよう、羽田さん』
「おはようございます、センパイ。センパイ、あの……あらためまして、おめでとうございます」
『アハハー、ありがとう』
「ハナ差の接戦で勝てたのも、センパイの神通力ですか」
『神通力~~?』
「だって、センパイの予想、なんだか神がかってるみたいで――」
『いっつも神がかってるわけじゃないよぉ』
「――でも、大勝負だったんですよね?」
『まぁ、なんといってもダービーだし』
「……いくら、買ったんですか? シャフリヤールの単勝」
『……ふふっ』
「……教えられないくらい!?」
『うふふのふ』
「お、教えてくれてもいいじゃないですか、センパイとわたしの仲じゃないですか」
『羽田さぁん』
「……」
『こんど、美味しいもの、食べに行こーよ』
「美味しいもの、って。美味しいものにもレベルがあるでしょ。高級なお店に行くなら、わたしにもこころの準備ってものが…」
『羽田さんが焦る必要ないじゃーん』
「…どうしても、いくら買ったか教えてくれないんですね」
『今回はダービーだから特別にフンパツした、とだけ言っておく』
「…なんとなく、想像がつく気もしますけれど」
ちらつく、
福沢諭吉の、影……。
『ダービー祝勝会もいいんだけどさぁ』
「なんですか」
『5月も終わりじゃない? 2ヶ月通って、どんな感じ? 大学』
「順調ですよ」
『ま、あなたなら、5月病なんてないよね』
「ありません」
『サークルにも入ってるのよね』
「楽しいです、サークルも」
『……いいね』
「うらやましいですか? センパイも受ければいいじゃないですか、大学」
『……あのね。羽田さん』
「はい」
『受験シーズンは、まだ遠く先だし』
「はい」
『それに、受験勉強よりも、やってみたいことがあって、わたし』
「……?」
『受験勉強よりも、社会勉強――ってな感じかな』
「それって……アルバイト」
『うまいぐあいにコネがあるのよ』
「コネが…あるにしたって。センパイ、無理しちゃうと……」
『平気、平気』
「……こんど会ったとき、詳しく聴かせてください、バイトのこと」
『わかった。話してあげるね』
「約束ですよ」
『うん。約束、守る』
ほんとうに、大丈夫なんだろうか。
でも、センパイの声、明るかった。
センパイが、前向きに、決めたこと。
ならば、わたしも前向きに受け止めて、見守ってあげたい。
……心配しすぎるの、やめよう。
むやみにこっちが深刻ぶると、彼女までこころ苦(ぐる)しくなっちゃうから。
× × ×
――ところで、
まだ少しだけ、髪が湿っている。
リビングで、センパイと通話していた。
通話に夢中で、髪を乾かしきれなかった感じ。
明日美子さんはどうせ寝ているし、
アツマくんもあすかちゃんも利比古も、とっくに学校に行っている。
リビングにわたしひとり。
辺りはガラ~ンとしている。
だから、髪を乾かしながら葉山先輩とモーニングテレフォンする余裕もあったわけだが、
わたしがひとつだけ恐れているのは、
流(ながる)さんが――ひょっこりとこの場所にやってきて、わたしのだらしのない姿を目撃してしまう、ということだけ。
恐れている……といっても、
いまさら、髪を乾かしてるのを見られたって、それほどのダメージにはならないんだけど。
ちょっとだけ……気恥ずかしくなるだけ。
ドライヤーを、コンセントにつなぐ。
風を髪にあてようとして、
スイッチをつけた瞬間、
流さんが……こっちに向かって歩いてくるのが、視界に入ってきた。
流さんはリビングに近づいてくる。
近づいて、わたしを察知する。
いったんはわたしに注目するけど、バツが悪そうに、目線を逸(そ)らし気味にする。
流さんの『照れ』に構わず、わたしはドライヤーをかけ続けるけれど、
気恥ずかしくなるのは少しだけ、って思っていたけれど、
指で触れると、やっぱり髪はまだ濡れていて、
乾かしきれていない髪を、見られてしまったことが――、
予想以上に、恥ずかしく、
ドライヤーに……集中できなくなる。
…とりあえず、ドライヤーのスイッチを切り、膝もとに置く。
少し、呼吸を整え、
「…ズボラなところを、お見せしてしまいました」
と、立ったままの流さんに、謝る。
「……愛ちゃん」
「はい、なんでしょう、流さん…」
「髪は……さ」
「…はい。」
「乾かすのなら……早く、乾かしきったほうがいいよ」
「…そうですよね」
× × ×
油断、というか、
気の緩みが、災いしたのかな。
やっぱり、リビングは、髪を乾かす場所じゃ…ないのか。
もし、流さんじゃなくて、見られたのがアツマくんだったら。
どっちが、
ズボラなわたしを見られてしまったダメージが……より大きかっただろうか。
いまさらにいまさらにいまさらなことだけど、
男女共同の、共同生活には、
デリケートな部分も……多くある。