葉山先輩が、お邸(やしき)にやってきた。
現在、わたしの部屋で、センパイとふたりきり状態。
センパイはわたしのベッドに優雅に座っている。
床に腰を下ろしているわたしに眼を向け、
「ねぇ」
と言う葉山先輩。
「なんでしょうか、センパイ?」
「羽田さんもさ、」
「はい、」
「バイト――やってるんでしょ?」
「やってますよ」
「翻訳、だっけ?」
「はい、ドイツ語の」
「下訳(したやく)、か」
「そうです」
「疲れる?」
「そんなには」
「たはっ。タフね、羽田さんは」
「頭脳労働、ですから……」
「頭脳にスタミナがあるんだ」
「……面白い言いかたしますね、センパイ」
勉強机の上に乗っかっていた語学書に、センパイの眼が留まる。
ドイツ語の語学書ではなく、
フランス語の語学書だ。
「羽田さん――、ドイツ語だけじゃなくって、フランス語もやってるの!?」
「――まだ初級者ですよ」
「すごいねすごいね、ドイツ語のバイトと並行して、フランス語も学び始めてるなんて」
「……すごいかも、しれませんね」
「フラ語でわかんないところあったら、いつでもわたしに訊いてちょーだい」
「実は……そういうつもりでも、あったりして」
高等部時代、葉山先輩のフランス語の成績は、いつも校内トップだったのである。
× × ×
「だけど、くれぐれも、根を詰めすぎないようにね」
「わかってますよ。センパイも、バイトでがんばりすぎたら、やーですよ」
「気をつける。ほどほどに、働く」
「八木さんがそばにいて安心です」
「ほんとね、ストッパーね。八重子」
…見つめ合い、笑い合って、
それから、指切りげんまんをした。
「…かわいい後輩さんと約束を交わしたところで」
「…次に、なにをしましょーかね、センパイ」
「ん~」と少し思案してからセンパイは、
「せっかくだし、ここはひとつ、『アレ』を」
「『アレ』?」
『アレ』、ってもしや、
「――お互いの服の、『とっかえっこ』ですか?」
「どうしてわかったの!? スゴいね、羽田さん」
「わかりますよーっ、わたしと葉山先輩の間柄、なんだものー」
「間柄、か~」
「そう、間柄」
「……ウフッ」
「その『ウフッ』の意味合いはなんですか…」
わたしと葉山先輩の身長と体重は、まったく同じだ。
そしてスリーサイズも、まったく同じに、極めて近いのだ。
「じゃ、今着てる服を、とっかえっこよ、羽田さん♫」
「上下どっちもですか?」
「どっちもよ」
「りょーかい」
さっそくわたしは、羽織っていたシャツに手をかけた、
のだが、
「エッ……もう脱いじゃうの……羽田さん」
「ぬ、脱いじゃダメなんですか」
「なんか、こう、さあ。『溜め』みたいなものを――」
「――脱ぐのを焦(じ)らして、なんの得があるっていうんですか」
「――たぶん、なんもない」
「センパ~イ…」
「呆れちゃった?」
「…高等部時代の、体育の着替えじゃあるまいし」
「うまいこと言うね。ほんと、うまいこと言うんだから、あなたは♫」
「少しは、センパイも……着替える素振りぐらい、見せてください」
楽しそうにベッドに座り続けてないで……。
「ねーねーっ」
「まだ、なにかっ!?」
「羽田さんさぁー、」
「だから、なんなんですかっ!!」
ほ、
ほんとに、
ほんとうに、
このひとはっ!!!
「センパイのバカ!!! Bカップのままです」
「Bカップのままなんだ! あんし~~ん」
「……」
× × ×
「羽田さん、大人っぽさが増したみたいだよ」
「ほんとう?」
「ほんとう。服、替えるだけで、雰囲気増すねぇ」
「オトナな……雰囲気が……ですか」
「そう。大人のお姉さん度、倍増し」
うれしはずかしなわたし。
こんどはわたしのほうから、センパイに、
「センパイは、女子高生に戻ったみたいですよ」
「またまたまた。羽田さんったら!」
「……うれしいですよね? 女子高生みたい、って言われて」
「うれしいよ。若返ったってことでしょ? 羽田さんの服着て」
「若返った、というか……なんというか」
「形容するのも難しいか」
「んーっと……なんといいますかね。
そうですね。
休日に街に遊びに出かける……18歳の女子高生、的な」
「あら」
「……」
「わたし18歳になっちゃったんだ」
「……」
そんなやり取りで…葉山先輩としばらく戯(たわむ)れていたら、
バイトから帰ってきたアツマくんが、わたしたち洋服とっかえコンビの前に、姿を現してきた。
もうそんな時間かー。
「――おかえりなさい、戸部くん」
「ただいま……葉山」
センパイは踊るようにアツマくんの前に向かっていき、
「ふふーん♫」
「な、なにがふふーん♫ じゃっ、葉山ッ」
えへへ……とはにかみつつ、
すこし顔を傾けて、
アツマくんを、斜めから見上げるように――、
「――なにか気づくことないかしら、戸部くん」
「んん…?」
「わたしの、小さな、変化」
「へ、変化ぁ??」
「たとえば――、」
もともとはわたしが着ていたトップスを、両手の指で軽くつまんで、
「――『なんだか、きょうの葉山は、10代の女子みたいな新鮮さがあるなあ』とか。
そういう気がしない?
どうよ? そこんところ。
きょうのわたしを見て、どんな印象?」
「……」
「もぉ~~、ムスッとしてないでよ~~」
「……」
「できればわたし、『女子高生に戻ったみたいだな』って、戸部くんに言ってほしくって。
や、
言ってほしくって、じゃなくって、ぜひとも、言ってくれない!?」
センパイの無茶振りが――、
アツマくんに、突き刺さってくるが、
「……べつだん、女子高生に戻ったようには、感じんのだが」
「ひひひ非情っ」
「だって――おまえはおまえだろ? 葉山は葉山だよ。いつもどおりにしか、見えんよ。おれと同い年の、葉山むつみだよ」
「どうしてそんなこと言うの……ヒドイよ……わたしのお気持ち、裏切って……」
「ウソ泣きすんな」
「どこまでヒドイの!?」
「……そうだな」
「そうだな、って? 戸部くん、ようやくなにかに気づいて――」
「――メロンソーダが、似合いそうだよな、いつにもまして。」
「――わたしのこと、どこまで『メロンソーダ女子』って認識なのよ」
「どこまでだろうか」