【愛の◯◯】『久保山くんに名前で呼ばれて極度にテンパってしまいました事件』

 

わたしは、『漫研ときどきソフトボールの会』という、少々へんてこな名前のサークルの、副幹事長をしている。

副幹事長ということは、とうぜん上に「幹事長」がいるということであって、

幹事長は、だれかというと――久保山(くぼやま)くんという、同じ3年生の男子だ。

 

久保山くんは、

よく言えば恰幅(かっぷく)がよく、

悪く言えば…ぽっちゃりな体型、である。

 

メガネ。

メガネをかけてるのが、もったいないなー、って思う。

コンタクトレンズに苦手意識があるのかもしれないけど。

もし、

もし、久保山くんが、メガネかけずに、コンタクトにしたのなら、

質実剛健(しつじつごうけん)』な外見になって、

見栄えが、するというか、

幹事長としての、威厳も増すというか、

 

――もうちょっと、『いい男』に見えると思うのにな。

 

だって、

なんか、久保山くん、のぺ~っ、としてるし。

のぺ~っ、って、わたしながら変な表現だけれど、

もうちょっとだけ、カチっとしてほしいよね。

ソフトボールやるっていう性質上、けっこう大人数のサークルなんだから、

それを束ねる人間として……もうちょっとだけ。

 

「……せっかく、1年生、4人も入ってくれたんだから」

「え!? なんだなんだ、有楽(うらく)」

 

わたしのひとりごとにびっくりする久保山くん。

無理もない。

 

「ごめん……こっちの話。」

「ほんとかいな」

「考え事をしてたら、つい、口から……ってだけ」

「ビビった」

「ビビらせて、ごめんね」

「何度も謝らんでもいいが…」

 

サークル部屋にいる。

いまサークル部屋にいるのは、わたしと久保山くん、だけではない。

日暮真備(ひぐらし まきび)が……隅っこのソファに寝っ転んでいる。

入眠状態の真備。

こうなると、タダでは起きてこない。

 

そんな真備はほっておくとして、

「ねえ久保山くん」

「んっ」

「きょう金曜日じゃない」

「ああ」

「週末、どうするの」

「どうするって」

「決まってるでしょう。ソフトよ、ソフト」

ソフトボールが?」

「練習! 土日のどっちかで、練習やるんじゃなかったの?」

「あー」

「…あなた幹事長だよね。まさかのド忘れ!?」

「すまん…忘れてはなかったんだが、今の今まで、段取りを考えておらず…」

「それを『完全忘却』っていうと思うんですけど」

「うん。」

「ひとりで納得しないでよっ。土日のどっちに練習組むか決めてよ。いま、この場で」

「いま、ここで?」

「金曜日なんだよ!?」

「む。――じゃあ、土曜にしよう」

 

頼りない…。

 

「…久保山くんはもう少し、頼りがいがある幹事長だと思ってたのに」

「ごめんな。おっちょこちょいで」

「おっちょこちょいというか、なんというか…」

「ありがとう、有楽。有楽に言われなかったら、練習が、流れてたよ」

「ホントよ」

「有楽さまさまだったな」

 

…そう言って笑い、某漫画雑誌に手をつけ始める彼。

 

彼が、漫画モードに入る前に…、

ひとつだけ、訊いてみたいことがあった、わたし。

 

「――ね、久保山くん」

「んん? どうしたんだ、あらたまったみたいに」

「そんなにあらたまってる?」

「そう見える」

「――ま、それは、いいとして、ね。

 久保山くん、さ――」

「?」

「――久保山くんは、さ。

 真備のことは、『真備』って呼んで、

 風子のことは、『風子』って呼ぶよね」

「それが?」

 

カンが悪いわね…。

 

「わたしだけ、『有楽』じゃない。

 わたしだけ、名字呼びじゃない。

 真備と、風子……ほかの、3年女子ふたりは、名前呼び、なのに」

 

「そりゃ、つまりは、」

 

「……そうよ。

『どうして、わたしだけ、名字なの? どうして名前呼びじゃないわけ?』

 ってことが言いたかったのよ」

 

「うううん……」

 

「――どうしてなの?」

 

「……」

 

「こ、ここ、考え込むタイミング!?」

 

わたしは、思わず――、

 

「ねぇ久保山くん――、

 1回だけで、いいから、

 わたしを、『有楽』じゃなくて、『碧衣(あおい)』って呼んでみてよ」

 

すると。

拍子抜けなほど――そっけなく、

彼は、久保山くんは、

 

「…『碧衣』。」

 

と、わたしの名前を、呼んでくれた。

 

「…満足か? 『碧衣』。」

 

1回でいい、って言ったのに、2回。

『碧衣』って。

 

 

……。

 

わたしは……すぐに、久保山くんにことばを返せず、

それどころか、

『碧衣』と、名前で、呼ばれた――反動、なのか、

 

ちょっとだけ、ちょっとだけ、

胸の鼓動――、高く、なってきていて。

 

予想外に、焦っていて。

このまま黙り続けていたら、久保山くん、変に思っちゃうし、

わたしだって、気まずいし、焦りに焦りが重なっちゃうし。

 

微妙な空気の流れ。

どうしよう。

 

たとえば、

こういうとき、ソファの真備が、タイミングよく、起きてきてくれたら――、

助かるのに。

 

わたしは…真備に、すがるかのごとく、

「く、く、久保山くん…」

「どーしたよ?」

「わたし、真備、起こそうと思う」

「なぜに?」

「――さ、3人のほうが、盛り上がるでしょ!?」

「けど、無理に起こすのもなあ」

「むっ、無理にでもっ」

「…ふ~ん。」

 

 

立てかけてあった、バットを手に取り、

ソファに眠る真備の手前で、

トントンと、床を軽く二度三度叩く。

 

それを合図に、真備の眼がぱっ、と開き、

むく~~っ、と上体が起こされる。

 

寝顔もそうなのだが…起きてきた真備の顔も、やっぱりあどけない童顔だった。

 

さっきまでの久保山くんとのやり取りを、なにも知らない真備。

 

……なんにも知らないって、素晴らしいね、真備。

 

「真備、おはよう…」

とりあえず「おはよう」と言って、久保山くんに『碧衣』と呼ばれたショックを和らげる。

ショック、というか――『碧衣』と呼んで、ってお願いしたのは、わたしのほうから、なんだけれども、

細かいことは、全部なし。

「おはよーっ、碧衣」

屈託のない起き抜け顔の真備が、「おはよう」返しをしてくれる。

そんな、起き抜け真備で、

わたしは――『久保山くんに名前で呼ばれて極度にテンパってしまいました事件』のダメージを、癒やすのだ。