【愛の◯◯】男子って、頑固に見えて、素直じゃないだけだったんだ!!

 

「ハルさんの応援に来てください」

「おれが行く理由が……」

「応援が足りないんです。もっと必要なんです」

「嫌いな奴の応援なんて……する気になれない」

 

加賀くんといい――男子ってなんでこうめんどくさいんだろ。

 

「じゃあ野次を飛ばすだけでもいいです。思う存分ハルさんに怒りをぶつけてください。日頃のうっぷんを晴らすいい機会ですよ」

「わざわざ試合場まで行って、なんでそんなこと……」

「ハルさんのプレーも観ないで、アンチを自認するんですか?」

「観なくたっていい。観たって変わらない。こんな厄介なことになるなら、同じ学校じゃなきゃよかったのに」

「同じ学校にいるのも――運命ですよ」

「そういう考えは好きじゃない」

「すれ違ったまま終わり、なんて後味悪すぎ」

「勝手にそう思っといてくれ」

「岡崎さん、

 岡崎さんは、きちんと落とし前をつけるタイプだと思ってたのに。

 中途半端に終わる前に――、

 ケリをつけるって」

 

岡崎さんの顔つきが変わった。

 

「全部ちゃんとするって。

 ハルさんのことだけじゃなくって。

 たとえば、

 桜子さんとのこととか――。

 人間関係のこと、卒業までにちゃんとケリをつけてくれるって思ってたのに」

 

岡崎さんは独り言のように、

「ケリを、つける……」

 

「そうですよっ。

 桜子さんのこと、好きなんでしょ!?

 

「こ、声が大きいよ」

 

構わず、

「打ち明けたからには――もっと、ちゃんとしてくださいよ」

 

真顔でじっ、と岡崎さんを見つめて、彼のことばを待った。

なのに、

「話がすり替わってるよ――桜子のことと、ハルのこととは完全に別問題だ」

 

――なにそれ。

なんでこんな煮え切らないわけ?

 

期待外れで、罵倒もできない。

 

 

おもむろにきびすを返す岡崎さん。

説得、失敗。

失敗以上に――失望。

 

がっかりして、体育館裏の壁を蹴った。

痛かった。

痛かったけど、だれもそこに来る気配がなかったから、もう一度蹴った。

 

 

 

× × ×

 

 

ヒリつく足に、お湯が滲(し)みる。

浴槽につかりながら、放課後のイライラを鎮(しず)めようとする。

ストレス発散には、不満を声に出すのがいいと思って、

どうせだれも浴場にはいないんだから、思いっきり、

岡崎さんなんて大キライっ

と叫んで、お湯のなかで右脚を蹴り上げた。

 

……岡崎さんの背中を蹴るような感触には、程遠い。

 

なんだか、むなしくなってきたところに、

浴場の入口が開く音がした。

 

おねーさんが静かに入ってきた。

 

× × ×

 

おねーさんが身体(からだ)を洗っているあいだじゅう、スポーツ新聞部の男子部員に対する不満をぶちまけ続けていた。

その罵詈雑言(ばりぞうごん)を、黙って聞いていたおねーさん。

彼女も、湯船にポチャリとつかって、

「……言うとラクになるのは、わかるけど」

穏和(おんわ)な口調で、

「怒ってばかりいるのも……よくないよ」

「たしかによくないです。それは知ってます。でも、金曜日になると、溜(た)まってるものも一杯一杯なんです」

「岡崎くんに対する不満がいちばんみたいね」

「彼には失望しました」

「いっしょにタコ焼き食べたから……なおさら?」

 

 

 

 

「どうして知ってるんですかおねーさん……夏祭りのこと」

 

「だって」

浴槽にもたれながら、

「あなたと岡崎くん、同時にいなくなったじゃない」

ズバリの指摘。

わたしは押し黙る。

「『ホエール君』」

追い打ちがかけられる。

「かわいいよねホエール君。わたしも欲しかった。岡崎くんだったら、もうひとつ――」

からかうのはやめてくださいっ

 

不満の矛先は、いつの間にかおねーさんに。

当のおねーさんは、ゆったりとお湯を満喫している。

 

「ここに水鉄砲があったら、おねーさんに連射してたのに。」

「あらそう♫」

「なにそのリアクション」

 

もう、踏んだり蹴ったりだ。

おねーさんのことなんか知らない……なんて言わないけれど、これ以上この場にいても仕方がない。

勢いよく、湯船から立ち上がる。

すると、

「男の子ってさ」

おねーさんが呟(つぶや)き始める。

「男の子って、頑固に見えて――素直じゃないだけかもよ」

 

――わたしは、おねーさんのほうを見ないで、浴場を出る。

 

 

× × ×

 

 

バスタオルを頭にかぶせながら部屋に入ると、LINEの通知が来ていた。

 

不意打ちだった。

 

岡崎さんから、ひとことだけ。

 

アンチでもいいなら

 

 

 

× × ×

 

「おねーさん、おねーさん!」

「なぁに慌てて? 髪、ちゃんと乾かさないと――」

「そんなことどうでもいいんです!!」

「え、何ごと?」

「――おねーさんの言った通りでした。

 岡崎さん、素直になれないだけだったんです」

「話が見えてこないよあすかちゃん」

「そんなことどうだっていいんです!!」

「な、何ごとなの……」

「岡崎さん、来てくれるって! 明日の試合!

 ハルさんのサッカーを、観てくれるんです!!

 わたし、岡崎さんのこと、大好き!!

 

 

 

 

【愛の◯◯】ぼくも視てました! 昨日の『東大王』

 

放課後、職員室に用事があって、その用事を済ませて廊下を歩いていたら、バッタリと放送部の甲斐田部長に出くわした。

 

「利比古くん奇遇ね」

「甲斐田部長、きょうは部活はないんですか?」

「ないんだよ残念ながら」

「それは……ヒマですね」

「やることはいっぱいあるんだけどね」

彼女は窓の外をふと見上げた。

「ま、いいや」

なにが「ま、いいや」なんだろうと思っていると、

「利比古くんきょうの放課後は?」

「とくになにもないです。麻井会長は『来ても来なくてもいい』って」

「ずいぶん適当ねぇ麻井も。――そうだ」

なにかひらめいたように、

「私たち、お互いヒマなんだからさ、放送室で時間潰さない?」

「え。放送部の活動場所にぼくが?」

「ちょうど飲み物やお菓子もあったし。それに――」

そこでことばを一旦切り、

「話も、したいしさ」

 

× × ×

 

 

放送部の放送室は、やっぱり広い。

久々に入室する気がする。

ペットボトルと煎餅(せんべい)などのお菓子が置かれたテーブルを挟んで、ぼくと甲斐田部長が向かい合う。

とうぜんふたりきり、1対1だ。

 

「あのあと、篠崎くんに何かされてない?」

甲斐田部長が言う。

「篠崎――『番長』さんですか。あれから関わりは、ないですね」

「そうか。彼も案外誠実ね」

それはどうだろうか、と内心思う。

「愛さんに迷惑がかかるようだといけないから」

「姉はこっちで私設応援団が作られようと平気ですよ」

「ほんとう?」

「強いので――姉は」

「――なるほどね。愛さんは最強だよね。篠崎くんなんか歯牙(しが)にもかけなさそう」

最強、と言われた姉。

ぼくは苦笑いして相づちを打つよりない。

 

「ところで」

「はい」

「……麻井の様子は、どう?」

伏し目がちに彼女は訊く。

気にしすぎなくらい、気にしてるってことだろう。

「元気に活動してますよ。後輩をイジメるのが玉にキズですけど。ただ……以前よりトゲが取れて、丸くなったような気もします」

「殺伐とした感じが減った?」

「多少は」

「それは良いことだねえ」

うんうん良いことだ、と、彼女はひとりでに頷(うなず)く。

「安定してるのは、良いことだよ――国立大学に行きたいんだからさ、あいつ。教科が多くて負担がかかってるから。勉強とKHKとの両立だったり、家庭の問題だったり、そういうことに押し潰されないか心配で心配で」

「国立志望なんですね」

「お兄さんのためにだよ――絶対」

「…大丈夫ですよ。ぼくを含め、背中を後押しするひとがいっぱいいるんですから」

「『一匹狼』は卒業だね、麻井」

「とっくに卒業済みだと思いますよ」

 

「ところで……」

今度は、ぼくの側から訊いてみたいことがあった。

せっかくの機会なので。

「麻井会長のことについてなんですけど」

「うん」

「麻井会長は…彼女は、どういう『きっかけ』で、番組制作にのめり込んだんでしょうか?」

眼の前の甲斐田部長なら、知ってないはずがないと思って。

「…うーんとね。

 まず、私と麻井は、同じ中学だったのね」

「はい」

「利比古くん…『職場体験学習』って知らない?」

え、なんだろう、それは。

キョトンとなってしまったぼく。

「……知らないです」

「あ。そうか。帰国子女だからか」

「おそらく…」

「中学2年のときに、好きな職場を選んで、グループでお仕事体験をさせてもらいに行くの。

 それで、私と麻井、同じ班だったんだけど、どこに行ったと思う?」

「と、言われましても――」

「考えて。現在(いま)、私と麻井がやってることに関連してる」

「やってることって――放送――あっ! 

 わかりました、テレビ局とかでしょう」

「あたり」

「フジテレビとかですか?」

「もっと規模の小さい所だよ。地元のケーブルテレビ」

「ああ…、まぁ、そうなりますよね」

「そこでね。

 ケーブルテレビの番組制作を、手伝わせてもらって。

 麻井はそこで『味をしめた』みたい。

 ミキサーに触れるのとか、新鮮な体験で、楽しかったんだろうね。

 中学生だけで番組1本作ったんだけど、イニシアチブは完全に麻井だった。

 そのときから、もしかしたら――KHKなんて旗揚げする下地(したじ)はあったのかな。

 ともかく、1本の番組作るのが楽しくて仕方がないみたいだった、麻井の溌剌(はつらつ)とした表情を――いまでも私、思い出せるんだ」

 

「――ちゃんとした『きっかけ』、あったんですね」

「思い起こせば――放送部でくすぶってたのも、理解できる。

 あとの祭りにすぎないけど」

「甲斐田部長は――会長に、放送部に、残ってほしかったんですか」

「そうじゃない。いま、後悔したって、仕方ないし。

 それよりも私は――、

 麻井と、もう一度友だちになりたい

 

 

しみじみとした、沈黙が下りてきた。

 

 

何か言わなくちゃ――と思って、

「麻井会長は、番組作りに情熱をかけてますけど」

「けど、?」

「かといって、テレビに関心があるかというと、疑問なんですよね。だって会長、『テレビなんか視(み)ない!』って言っていた覚えが」

「そうだよ、あいつはテレビ視ない。映画鑑賞や読書のほうが好き」

「……わかります」

KHKで接していて、彼女の趣味のことも、なんとなくわかってくるのだ。

バックボーンが、映画とか本とかなんだろうなあ、って。

彼女は、麻井会長は、どんな映画が、どんな小説が好きなんだろう?

訊いたら、怒るかな――会長。

「だけど、テレビ番組を作っちゃうんだからね。あんなに速く、あんなに多く、あんなに上手に。――不可思議な話だよ」

 

「甲斐田部長は、どうなんですか?」

「どうって?」

「テレビ、視ますか?」

「視るよ。麻井よりは――昨日は家族3人で、TBSの『東大王』視てた」

「あっ、視てました視てました、ぼくも、昨日の『東大王』!」

「奇遇ね」

「ほんとですね」

「愛さんといっしょに視たんじゃないの?」

「はい、姉も。――姉の正解率が、とんでもないことになっていました」

「愛さんも答えるんだ」

「テレビに向かって答えてました」

「――鈴木光ちゃんが、卒業するんだから…愛さんが代わりに出演すればいいのにね」

「いや、それはナシでしょう」

「やっぱり?」

「だってそもそも姉は東大受けませんよ」

「受けないの?」

「受けません」

「じゃあどこ受けるの」

「…麻井会長に訊いてみては。彼女は知ってるんで」

「この場で利比古くんが言えばいいじゃないの」

「それでは……その、面白くないので…」

「焦(じ)らすね」

「……」

「CMが頻繁に挿入(はい)る民放のバラエティ番組みたい」

「……的確なたとえ、ありがとうございます」

 

 

 

 

【愛の◯◯】稽古を見ているだけでヘトヘト

 

放課後。

『6年劇』の稽古を見に行こうとしたら、アカちゃんに呼び止められた。

 

「ハルくんの試合が土曜日にあるの」

「知ってる。あすかちゃんから聞いたよ」

「あいてる? 土曜日」

「――応援したげるに決まってるじゃないの」

「来てくれるのね! よかった」

「アツマくんも引っ張ってくよ」

「うれしいわ。応援する人が多いほうが――チームも頑張れる」

「勝たなきゃ最後、だもんね」

「相手はちょっと手強いみたいだけれど…」

「それでも勝つって信じなきゃ」

「アツマさん――アツマさんから、なにかアドバイスもらえないかしら?」

「ハルくんに?」

「ハルくんだけじゃないわ。サッカー部みんなに向けて」

「あ……アツマくんは、サッカー専門じゃ、ないからな~」

それでもアツマさんでしょ

 

アツマくんが……守り神みたいな存在になってる。

そこまで崇(あが)めるかー。

さすが、母校にとっては、伝説の男……。

 

× × ×

 

 

松若さんといっしょに、稽古を見学している。

 

水無瀬さんの稽古はやっぱり怖い。

主役の八洲野(やすの)さんをしごいている。

 

ヤスノ!! 何度言ったらわかるの」

 

苗字を名前みたいなイントネーションにして、「ヤスノ!!」と、八洲野さんを……恫喝(どうかつ)しまくる、水無瀬さん。

 

あんたこの6年間、いったい何をしてきたの!?

 これはわたしたちの集大成なんだよ!?

 聴いてる!?

 集大成。

 6年間の。

 この学校で学んだ、中高6年間の、長い月日の!!

 そのための『6年劇』なんでしょーがっ!!!

 なんにもしてこなかった、なんて言わせないんだからっ!!

 あー、それとも。

 ほんとにヤスノ、あんたなんにもしてこなかったんだね。

 こんなにたっぷり時間があって。

 怠けてたんだー。

 あんたさ、

 なんにもできないんならさー、

 ここにいる意味……あんの?

 そこに立ってる意味、舞台に立ってる意味、ないんじゃないのかなー?

 

 

――怖い。

怖すぎるし、言い過ぎ。

言い過ぎだと思うが、水無瀬さんに何か言えるような雰囲気じゃない。

隣の松若さんも、息を呑んでことばを失っている。

 

怯える舞台上の八洲野さん。

大丈夫なのかな――?

でも、こんなに水無瀬さんにどやされても、

彼女は一度たりとも泣き顔を見せない。

泣き出しちゃっても、おかしくないような立場なのに。

 

 

× × ×

 

「よくふんばるよね、八洲野さん。あたしだったら、あの舞台にはとても立てないよ」

心底疲れたような表情で松若さんが言う。

わたしも疲れた。

演者なわけじゃないのに。

稽古を見学するだけで、こんなに疲弊(ひへい)するなんて、先が思いやられる。

演出するのは、水無瀬さんなんだけど。

「――ついていけるのかな? みんな。水無瀬さんに」

こう言わざるをえない。

「疑問だよね。かといって、あたしが口出しするのも憚(はばか)られるような空気だし――」

「松若さんには言う権利があると思うよ。劇の『生みの親』なんだし」

「『生みの親』ねぇ……、どっちが『生みの親』なんだか、わからなくなるよ。あんな稽古見せられると」

「…参っちゃうよね」

ふたりして、嘆息(たんそく)。

 

わたしと松若さんは図書館で文芸部活動――とは名ばかりの反省会、もといクールダウンをしている。

「ヘトヘトだね、ふたりとも」

木幡(こわた)たまきさんだ。

いつもどおりマイペースなたまきさんを眺めていると、少しは精神が和(なご)む……。

「ねぇたまき」

「なーに、マツワカ?」

「あんた、水無瀬さんと八洲野さんの間柄について何か知らない?」

「水無瀬さんと八洲野さんって――あぁ、『6年劇』のことか」

「八洲野さんの主役は水無瀬さんの指名だったんだよ。どういう背景があって、水無瀬さん彼女を指名したのかなーと思って」

たしかに。

「水無瀬さんは一切理由を明言してないものねぇ」

「そこだよ! 羽田さん」

松若さんとわたし、同じ疑問を抱いている。

水無瀬さん直々(じきじき)に八洲野さんを指名した理由。

繋(つな)がりがあってのこと。

そういうことでしょ、水無瀬さん。

あそこまで八洲野さんを罵倒できるってことは――深い繋(つな)がりが存在することの、裏返しじゃないのかしら。

 

因縁?

 

水無瀬さん――説明責任があると思うの、あなたには。

今度、説明を要求してもいいかしら。

 

「――羽田さんがコワい顔になってる」

「え!? えええ!? どうしてわかるの、たまきさん」

「考えごと?」

「考えごとは、してたけど……」

「深刻な悩みごとでも」

「ないない。そうじゃなくって、劇のことで。というか、水無瀬さんのことで」

「ふ~~~む」

たまきさんは持っていた本を置いて、わたしと松若さんのほうに向き直り、

「残念ながら、水無瀬さんや八洲野さんと親しいわけではないから」

「……わからないか、ふたりの関係とか」

「マツワカ、わたしを情報通か何かと思ってるのなら、誤解だよ」

「思ってないよ!」

そう言って松若さんは立ち上がり、たまきさんの傍(かたわ)らに近づいて、今しがたたまきさんが机に置いたばかりの本に眼を落とした。

「…へぇ」

「なに」

「いま読んでるのは、これか~」

「なんでそんなにわたしの読んでる本に興味しんしんなの?」

「たまきの読書傾向に興味を抱かないひとなんていないよ」

「なにそれ」

「――『東北地方における酪農の歴史』」

たまきさんは少しムッとなって、

「書名を読み上げなくたっていいじゃない」

「面白そう、この本――」

「ホントにそう思うの?」

「疲れてるから――どんな本でも、面白そうに見える」

「マツワカ!? お、おかしくなっちゃあだめだよ、マツワカ」

ページを繰(く)る松若さん。

「まるで――文学だね」

マツワカ、もどってきて、マツワカ!!

いつになく慌てるたまきさんが――疲労困憊のわたしたちにとっては、むしろ癒し。

「すべての書物は文学書なんだね――たまき。ね、そう思うでしょ?」

疲れすぎて、なにも考えたくないぐらいだけど――、

松若さんの意見には、ちょっと同意。

 

 

 

【愛の◯◯】『地獄の季節』、これまで何回読んだ?

 

放課後、アカちゃんと、喫茶店メルカド』でお茶することにした。

 

× × ×

 

わたしはいつもどおりホットコーヒーをブラックで飲み、

アカちゃんは紅茶を飲む。

 

紅茶のカップを手にしてアカちゃんが、

「演劇の稽古が始まってるわね」

「昨日から。――きょう、ちょっとだけ見学に行ってみた」

「どうだった?」

「演出の水無瀬さんが、なかなかスパルタでね……」

「あら」

「まあスパルタだろうな、とは思ってたけど、案の定」

わたしは苦笑い。

「演劇部って、ああいうものなのかな。スケジュールが切羽詰まってるってのもあるんだと思うけど、水無瀬さん必死すぎるくらいに必死で。演者がついていけるのかなあ」

「さやかちゃんはどう?」

「さやかは、水無瀬さんのあの勢いとは、波長が合いそうな気がする」

「でも、言ってしまえば演技の素人を、ビシビシしごくってことでしょ」

「『しごく』は言い過ぎかもしれないけど――正直、怖いよね」

「そんなに怖いの、水無瀬さん」

「わたしが口を挟んだらいけない感じ」

アカちゃんは紅茶のカップを置き、

「…いいじゃないの、ちょっとぐらい口を挟んだって」

「だけど……」

「…水無瀬さんがひとりで突っ走っちゃうの、愛ちゃんは平気?」

「平気、ねぇ……、どうなんだろ」

「劇の作者として、思うところもあるんじゃないかしら?」

「わたしは手伝っただけだよ、松若さんを」

「謙遜しちゃダメだよ」

そう言って微笑むアカちゃん。

猪突猛進型の水無瀬さんと、どう折り合っていくか。

悩ましい。

とりあえず――もっと稽古を、見てみよう。

 

「最近、わたし思うんだけれど」

「どんなことを?」

「愛ちゃんは」

「?」

「もっと自分に自信を持ってもいいと思うわ」

「それは……謙遜しすぎ、ってこと?」

「それもあるわねぇ。自分に対する誇り――というか、『プライド』があったほうが、もっと愛ちゃんらしいと思うの」

「『プライド』、ねぇ……。でも、プライドが他人(ひと)を傷つけることだって、多いでしょ。無責任な自我が――」

「愛ちゃんは――プライドで誰かを傷つけたりなんてしないよ」

「どうしてそこまでお見通し、みたいなの……アカちゃん」

「親友だからよ」

単刀直入な答えが返ってきた。

「強気な愛ちゃんが愛ちゃんらしいと思う。たぶん、そう思ってるひと、多いんじゃないかしら――強い愛ちゃんが好きなのよ」

 

アカちゃんは店員さんを呼んで、紅茶のお代わりをオーダーした。

強気がいい、強いわたしが好きだって、アカちゃんは言ったけれど。

眼の前の彼女にしたって。

単純なお嬢様気質じゃなくって、『芯の強さ』を持った子だと、わたしは思っているから。

「――アカちゃんにしたってさ」

「愛ちゃん――?」

「わりと――勝ち気だよね」

「か、勝ち気って――どんなところが」

「強い女の子なんだよ――あなたが思ってる以上に、あなたは」

戸惑いながら、アカちゃんは、

「もっと自覚したほうがいいってこと?」

「自分に対する正しい認識」

「それを自覚、って言うんだと思うんだけれど……」

「プライドがあって、芯が強くって、押しも強い」

「愛ちゃん……いつからわたしのこと、そう思って……」

「昔っからだよ。長いつきあいじゃないの」

 

珍しく、不満げにむくれたような顔をしているので、

「ぜんぶ、ほめ言葉だから。勘違いしてほしくないなー、って」

「ごめん、フクザツ……受け止めきれてない」

「親友だから言うんだよ」

「……」

「それに、もうすぐ卒業だし」

彼女はハッとする。

「言いたいことは、言っちゃったほうがいいかなと思って。――もちろん、ほめ言葉だから、言うんだけどさ」

 

お代わりの紅茶がアカちゃんに運ばれてきた。

しかしアカちゃんは、手を動かさない。

 

双方、沈黙。

 

 

――複雑な表情だったアカちゃんが、柔和な顔を取り戻して、

「中等部のころを――思い出しちゃった」

感慨を込めて言う。

「わたしもだよアカちゃん、仲良くなる前のこととか――。偶然じゃないよね、これ」

「お互い様ってことね」

「いがみ合ってるわけじゃなかったけど、けっこういろいろあったよね」

「……わたしが一方的に愛ちゃんをライバル視してただけのことよ」

「ずいぶんぶっちゃけるね」

「親友だから。卒業間際だから。」

「でも……アカちゃんが、わたしをライバルだと思ってくれたおかげで、わたしとアカちゃんは仲良くなれた」

「なにそれ。変な言い方」

彼女は笑いながら言った。

 

自分でも、変な言い方してると思う。

アカちゃんのわたしに対する認識が、『ライバル』から『親友』に変わったのは、中等部3年のときだった。

 

体育館裏に近いテラスのベンチで、泣きながら居眠りしていたら、アカちゃんに目撃されて、心配されて、ハンカチを渡されて。

 

あのとき、なんで居眠りしながら泣いてたんだっけ?

夢を見ていたんだ。

どんな夢を?

つらい夢? 悪い夢?

 

「――もう、思い出せないや」

びっくりしたアカちゃんが、

「どうしたの、思い出せないって、何を!?」

「ごめんね――個人的な話」

 

夢は夢のままに。

その夢が、悪夢だったのなら――なおさら。

 

「わたしが思い出せたのは――アカちゃんがハンカチを渡してくれたこと」

「……!!」

よかった。

通じた。

「あと――アカちゃんが、アポリネールが好きだったとか、そういうことも」

「ど、どうして唐突に詩人の名前が」

「中3のとき、アポリネールがどうとかヴェルレーヌがどうとか言ってたような気がして」

「それは……わたしが張り合ってたんだわ、アポリネール読んでるか読んでないかとか、ヴェルレーヌよりアポリネールのほうがすごいんだとか。今思えば……バカみたいなことで、張り合ってて」

「アカちゃんはバカじゃないよ。それは今も昔も変わらない」

そして、アカちゃんも記憶力いいなあ…と思いつつ、

「アカちゃん、アポリネール、今でも好き?」

「……好きよ」

ヴェルレーヌは?」

「好きよ」

ランボーは?」

ランボーも好き」

岩波文庫から新訳出たよね、ランボー

「出たわね。対訳で」

「アカちゃんは……『地獄の季節』、これまで何回読んだ?」

「4回。たぶん」

「負けた。わたしは3周しかしてないや」

 

クスッ、と苦笑いするアカちゃん。

 

「…こんなことで張り合うなんて、どうしようもないじゃないの」

「いいじゃない。久々に――張り合うのも」

「中等部に戻ったみたい」

「いいことじゃない」

「愛ちゃんがそう言うなら――いいことなのね、ぜんぶ。

 そういうことに、しておくわ」

 

そうやって――お互い笑い合う。

声を出して笑い合うぐらい、今のやり取りが可笑(おか)しくて。

 

いつの間にか、陽(ひ)は落ちて、窓から見える街灯に、明かりが灯(とも)っている。

 

こうやって長話できるのも――親友の証(あかし)だよね、アカちゃん。

 

 

 

 

【愛の◯◯】ほんとにとってもとってもとっても美人な年上のお姉さんだ……!

 

「加賀くん、サッカー部の取材に行こうよ」

 

× × ×

 

練習場まで、加賀くんと並んで歩く。

「ごめんね、最近あんまりかまってあげられなくて」

「はぁ? 別にそんなこと気にして――」

「だって、部内で加賀くんの存在感薄かったし」

「存在感が薄かろうが薄くなかろうがどうでもいい」

「これからはもっとかまってあげるね」

「お好きにどうぞ」

 

加賀くんとサッカー部に行くの、久しぶりだなあ。

きょうは、『特別ゲスト』も来る予定だし、楽しみ――。

とか、思っていたら。

 

「あのさ」

「なにー?」

「あすかさん、あんた……」

ぶっきらぼうに彼は、

「…あんた、ほんとうに凄かったんだな」

 

『作文オリンピック』銀メダルのことを、彼は言っているのだ。

わたしの情報はまたたく間に自校関係者のあいだを駆け巡っていた。

ウェブで発表されて、名前がデカデカと出ちゃってるんだから、仕方がない。

朝の通学路の時点で、周囲の視線を浴びっぱなし。

「おめでとう!」と声を掛けてくれる人も。

祝福してくれるのは、素直にありがたいんだけども。

教室に入ったら、瞬時にわたしの周りに人の輪が出来て。

ちょっとした騒ぎだった。

こんなにチヤホヤされるなんて、生まれてはじめて。

 

――そんな戸部あすかフィーバーぶりに、ちょっと疲れかけていた放課後、部の活動教室に入ったら、

先輩がた3人が――暖かく出迎えてくれて、優しく祝福してくれた。

わたしの居場所は、やっぱりスポーツ新聞部なんだなって、そう思った。

 

「――ありがとう。加賀くんさっきまで何にも言ってくれないから、祝ってくれないかと思った」

「ごめん」

素直。

「これから、だれかに会うたびに、何かしら言われるかと思うと、緊張を感じるけど」

「なんだそれ。緊張する必要ないだろ。言われてうれしい言葉なら、素直に受け止めればいい」

「――加賀くんの言う通りだね」

よしよし、成長してるね、加賀くん。

 

× × ×

 

マネージャーチーフの四日市さんに話を聞く。

会話のやり取りをしながら、メモ帳に記事のキーワードになりそうな言葉を書き取る。

 

『高校最後の大会』という言葉を書きつけた。

 

メモ帳から、その『高校最後の大会』という文字が、浮かび上がってきそうに思えてきた。

 

「……次が、高校最後の試合になるかもしれないから」

四日市さんのコメントが、重々しく響いてくる。

選手にとっても、マネージャーにとっても、3年生は負けたら最後。

「やる前から負けるなんて、ぜんぜん思ってないよ、当然」

しかし、四日市さんの声は、不安が混じっているように思えた。

「前向きに行きましょう。四日市さん」

なぜかレスポンスをしない彼女。

四日市さん、『負けること』『終わること』に怯(おび)えているような――そんな感じがする。

弱い顔になってる。

「勝つ自信は?」なんて、訊けそうにもない。

どうしよう……と思っていると、

 

「あすかちゃん……自信をちょうだい」

 

四日市さんがわたしの手を握りながらそう言った。

もはや取材モードではない。

 

「大丈夫ですよ。きっと勝てますよ。どんなに相手が強くたって」

「大丈夫かなあ……」

「サッカー部だけで闘ってるわけじゃないですから」

「どういうこと……?」

「声援があります。わたしたちが後押しします。

 四日市さん、わたし今度の土曜日、応援に行きます。

 わたしだけじゃないです――あそこに座ってるわたしの後輩第1号も、応援に行きますから」

加賀くんは退屈そうに石段に座っている。

練習風景を観察するでもなく、わたしと四日市さんのやり取りに耳を傾けているでもなく。

そんな加賀くんを懲(こ)らしめたかったから、

「加賀くん、今度の土曜、特に予定とかないんでしょ?」

「それがどうした」

「…決まり。サッカー部の試合の応援に行くんだよ」

「決まりって……」

来なさい

「……」

 

加賀くんからの反発は特にない。

それどころか、

「…さっきまで、あんたらの会話聴いてたんだけどさぁ」

そうなの。

意外。

「勝負の前から、そんな弱気になるか? 普通。

 おれは対局の前に、『負けそう』なんて絶対思ったことねーぞ。

 どんな高段者でも。

 勝つと思って指すんだよ。

『負けたくない』じゃ甘い。『勝つんだ』って思うんだ。

 自分を信じなくてどうすんだ」

 

「――きょうの加賀くんは、名ゼリフ製造機だね」

「!?」

 

「あすかちゃん、『対局』って?」

「あー加賀くんは将棋のプロなんです」

「おい! 誤解されるようなこと言わないでくれよ」

構わず、

「――加賀くんが、いいこと言ってくれましたよね」

「そうだね。ありがとうね、加賀くん。わたしにゲキを飛ばしてくれて。

 ようやく前向きになれるよ。

 土曜日も――その調子で、わたしたちサッカー部を応援してね。

 あすかちゃん、将来有望な後輩を持ったね」

 

× × ×

 

四日市さんの最後の大会ってことは、

自然、ハルさんにとっても最後、ってことで。

 

加賀くんの真上の石段に座って、背後から声をかける。

「加賀くん、きょうは特別ゲストが来るの」

「なんだよ、もう取材終わりじゃねーのかよ」

「甘い甘い甘い」

「だれ? ゲストって」

「聞いて喜びなさい。とっっっても美人な年上のお姉さんよ」

「いやそれじゃわかんねーよ」

 

「アカ子さんなんだよね、あすかちゃん」

意図的に加賀くんの右隣に腰掛ける四日市さん。

もう、空いているのは左隣だけ。

うわっ

「そんな驚かなくたって。女子が隣に来ると、落ち着けないタイプ?」

「年上だからだと思いますよ四日市さん」

 

「――なんだよっ、寄ってたかって」

「そんなこと言わない加賀くん。

 ハルさんわかるでしょ? ハルさん」

「ああ、3年の、選手の――」

「わたしが50メートル走のベストタイムを知ってるひと」

「あんたといろいろあったんだってな?」

バカ!!

「なんなんだよいきなり!! 突然キレ出すとか情緒不安定かよ」

構わず、

四日市さん、この子、なんにもわかってないですよね?」

「あすかちゃんに同意」

慎(つつし)みもなにもない、人間関係の機微(きび)というものを何ひとつ知らない加賀くんは、やはり中学4年生だった。

「ハルさんがいるから、アカ子さんは来るの。

 アカ子さんがいるから、ハルさんはがんばれるの。

 わかる――? 加賀くん」

「いきなりそう言われたってわかんねーよ、だいいちアカ子さんってどんな人なんだよいったい」

「さっき説明したじゃん、とってもとってもとっても美人な年上のお姉さん」

「わたしと同学年のね~」

「そう! 四日市さんと同学年だから高3、年上のお姉さんといっても、ピチピチの女子高生」

「それがどうした! ピチピチの~とか、わけわからねぇ言葉使いやがって」

中学4年生の言葉づかいが汚くなってきた。

ハリセンがあったらお仕置きするのにな……とか考えていたら、

 

アカ子さんが来た。

 

「こんにちは、あすかちゃん、四日市さん。

 ええと……そこの男の子は、」

 

『ほんとにとってもとってもとっても美人な年上のお姉さんだ……』

そんな表情で硬直している、中学4年生であった。

 

「加賀くんです。加賀真裕(かが まさひろ)くん。中学4年生です」

「あら」

 

絶賛硬直中だから、もうわたしの「中学4年生」発言にツッコむ気力もなさそうだね、彼。

 

や~れやれ。

 

左隣が空いていた。

そこに、とってもとってもとっても美人な年上のお姉さんが、優雅に腰掛ける。

 

つまり、三方(さんぽう)から、加賀くんは年上の女子高生に囲まれている、というわけ。

加賀くんを挟み込むアカ子さんと四日市さん。

背後から加賀くんを見守るわたし。

 

 

 

× × ×

 

加賀くんを囲んだまま、わたしたちは練習風景をじっと眺め続けていた。

 

加賀くんにとっては――ちょっとした『罰ゲーム』か。

それとも、逆に――。

 

――微笑ましいったら、ありゃしない。

 

 

 

 

【愛の◯◯】おれの夢、あすかの夢、そして『ミュークルドリーミー』の、夢……!?

 

さぁて、エラいことになったぞぉ。

妹が『作文オリンピック』で銀メダルになったのは凄いことだが、このあとが大変だ。

 

「戸部あすか」という名前が、公衆に晒されるわけで。

あすかのことが、拡散していくのが、怖いんだ。

――言っちゃあなんだが、あすかは、

『戸部良馬と戸部明日美子の娘』なわけで。

早逝(そうせい)した大学教授と、出版界における有名人の娘。

好奇の眼で見られないか。

おれは、妹のことが心配なんだ。

 

× × ×

 

仮面ライダーを観ながら、今後のことについて思いを巡らせていたら、ヤクルトを飲みながらあすかがおれのソファに近づいてきた。

 

「日曜朝の特撮に夢中になるとか、お兄ちゃん小学生に戻ったみたい」

なんだその煽(あお)りは。

朝から、威勢(いせい)がいいのはいいが。

「――プリキュアも観てたの?」

「観てねーよ」

…妹がいつプリキュアを卒業したかとか、しょうもない雑念がたちまち浮かんできた。

プリキュアと『作文オリンピック』は関係ねーだろ。

思考を軌道修正させつつ、

「朝から元気があっていいな、あすかは」

「絶好調だよ。――絶好調というか、幸せ、って感じ」

幸福感で胸がいっぱいか。

まあそうだろうな。

「公式サイト向けのコメントを考えなきゃいけないから、そこはちょっと大変だけどね」

「そうかー」と相づちを打ちつつも、おれは話すことは話さなきゃならんと思って、

「あすか、おまえ有名人になる可能性があるぞ」

 

微妙な間があいた。

しかし、落ち着いたしゃべり方で、妹は、

「うん……そういう可能性のことは、わたしでも考えた」

「……チヤホヤされることも、おまえのリスクになるかもしれないから」

「そのことなんだけどさ」

妹はソファの裏側に立って、

「お母さんの出版仲間から連絡が来たみたい。守ってくれるって。邸(ウチ)に、マスコミの取材攻めとか――そういうのからは」

「邸(ここ)まで追いかけてくるかなぁ」

「わかんないよ。どこから情報を嗅(か)ぎつけてくるか、って話だし」

「そうなるとみんな迷惑だなあ」

「そういう事態に発展しなくても――有名人になる、じゃないけど、わたし個人にガンガン取材がくるとか、無きにしもあらずだから」

「そんなのは面倒だな」

「はっきり言って、ね――でも、お母さんのコネクションのおかげで、そっとしておいてもらえるみたい」

「母さんさまさまだな」

「銀メダルを取ることができたのも――お母さんのおかげだから」

 

お?

 

「母さんに助言をもらったとか?」

「助言のほかにも――いろいろくれたんだ」

 

ほー。

 

「母娘(おやこ)愛、ってやつだな」

「そういうこと……」

「なにゆえ照れくさそうな顔になってるんだ?」

秘密っ! いろいろあったんだよっ」

 

 

やれやれ。

 

おれはテレビをつけたまま、ソファの隅っこに置いてあった雑誌を取って、パラパラとめくり始めた。

「お兄ちゃん、テレビつけっぱなしのままだよ」

「おまえが観たい番組があるかと思って」

「そんなのないよ。…しょうがないんだから」

あすかがテレビを消した。

おれは寝転びになって、天井に向かって雑誌を突き上げて、記事の文章に目を通し始めた。

「――そういう体勢って、けっこう疲れない?」

いつの間にかあすかはソファに座っている。

「そう思うだろ妹よ。だがおれは普段トレーニングで鍛えているから、この姿勢をキープできるんだ」

「あきれた」

 

おれの読んでいる雑誌に、興味を示したらしく、

「どんな雑誌それ。――『開放弦』? もしかして、ギター雑誌?」

「惜しい! 音楽雑誌だが、ギター雑誌ではない」

でもロックバンドでギター弾いてるんだし、こういう雑誌に興味しんしんにならないわけないよなー。

「ギンさんに教えてもらった雑誌なんだ」

「ギンさんから借りた、とかじゃないでしょうね」

「借り物なわけないだろ。借り物をこんな姿勢で読まない。自腹だ」

ロッキング・オン・ジャパンみたいな雑誌?」

「近いな。近いが、惜しい」

「…2万字インタビューとか載ってるわけじゃないんだ」

架空2万字インタビューなら載ってたがな」

「大丈夫なの…それ!? 妄想で書いてるってことでしょ? ずいぶん自由なことするんだね、その雑誌のひと。自由というか、捨て身じゃん」

「ギンさんはそこが気に入ってるんだとよ」

「……あとで読ませてもらってもいい?」

「もちろんよ。編集者のキャラも立ってて、楽しいぞ」

「売上、大丈夫なのかな?」

「そこは知らんが、ギンさんは購読し続けている。おれも買った」

「売れてる根拠にならないでしょ…」

 

読者投稿欄に目を通し始めるおれ。

ふと、思い立ち、

「あすかは――まだ高校2年だけど、」

「?」

「将来、どんな仕事につくか――とか、まだ考えない、か」

「まだ早いよ。それに、お兄ちゃんのほうが真剣に考えるべきことじゃん」

「ぎくっ」

「とぼけない!」

相変わらず、厳しい妹だ。

「――まぁ、おまえにとってはまだ早いんだろうけど。

 例えばさ。

 編集者になってみたいとか――思わないのか?」

 

うーむ、と思案顔になりつつも、

「編集者は――ちょっと違うかも」

「どして?」

「それは…お母さんの、後追いみたいで」

 

なるほど。

そう思ったりは、するわなー。

 

「別に”2世編集者”でもいいだろ」

「でもねえ、なんか違う気がするの」

「じゃあ新聞記者は?」

 

笑って答えない妹。

 

「新聞記者も違うのか?」

「――具体的な職業とかは、まだ考えないよ。

 だけど――今回の銀メダルは、将来設計を意識する、いい機会になったのかな。

 お兄ちゃんも、少しは将来設計、意識してよね」

 

「……ミュークルドリーミーの時間か」

「はぁ!?」

なに話を横道にそらしてんのこのバカ兄貴……と冷たい眼になっている妹。

「”夢”がテーマなんだ。サンリオのアニメだ」

「お兄ちゃんが観るようなアニメじゃないでしょっ」

「毎週観てるわけじゃない。2週か3週に1回ぐらいだ」

でも観てるんじゃん!! オタクなの!?

「…おまえの世代でサンリオといえば、ジュエルペットだが」

「わたしがいちばん好きなのはシナモンだよっ、ど~でもいいけどっ」

「…あすかがジュエルペットを卒業したのは、いつだったか。」

「覚えてるわけないじゃん」

「『ジュエルペットサンシャイン』を兄妹揃って観た記憶があるが」

「なんでそんなこと覚えてんの!?」

「――知ってるか? サンリオの社長が代替わりしたそうだ」

「どうでもいいでしょっ!!! いっそのことサンリオに就職したら!?」

 

 

 

……銀メダル祝いに、

あすかをピュー◯ランドに連れて行く、というプランが急上昇してきたぞ。

 

 

 

 

【愛の◯◯】嬉しすぎて妹の顔が見られない

 

土曜日、いつもより遅く起きた。

ま、土曜だしいいよな――と思いつつ、階段を下りてダイニングに向かうと、ほかの5人がすでに勢揃いしている。

 

「おそいよアツマくん」

「――朝飯は?」

「それどころじゃないわよ」

 

それどころじゃないって、どういうことだよ。

 

「ほら早く座って」

あすかの正面の椅子が空いていた。

おれは腰掛けた。

 

ふふーん♫ と誇らしげにあすかが微笑んでいる。

まるで、一刻も早く、伝えたいことがある――そんな感じだった。

 

「これで全員揃ったね」

「はい、おねーさん」

「なんだよ、重大発表でもあんのかよ」

おれの問いに、

「そう。重大発表。」

あすかが微笑みを絶やさずに答えた。

「お兄ちゃん、きょうはなんの日か知ってる?」

「え? 旧・体育の日」

「クイズ。体育の日はなんで10月10日だったのでしょう」

「え……。わからない」

「お兄ちゃんは不勉強だなあ」

「悪かったな不勉強で」

「昭和39年東京オリンピックの開会式の日だからだよ」

「オリンピック?」

 

オリンピック。

オリンピック、オリンピック……待てよ。

オリンピックといえば……あ!!

 

「――もしかして、オリンピックつながりで、『作文オリンピック』の発表がきょうだとか?」

「珍しく呑み込みが早い!」

あすかの意外そうな反応。

「『珍しく』は余計だっつーの」

 

ちょっと待てよ。

『作文オリンピック』の発表がきょうで、わざわざ邸(いえ)のメンバー全員集めて「重大発表します」ってことは――。

 

「――おまえまさか、賞でももらったの?」

 

ふふふん♫ と得意げになるあすか。

 

「あすかちゃん、賞よりもっと凄いものもらったんだよね」

「なんだよ、愛はもう知ってんのかよ」

「明日美子さんも知ってるよ」

「なんで母さんや愛には伝えて、おれに隠したんだ」

 

おれの不満とは裏腹に、とても満ち足りた様子のあすか。

 

「だって――そのほうが面白いでしょ」

不敵に言う、おれの妹。

「おれは面白くねーぞ」

「お兄ちゃんビックリさせたくて」

「悪趣味な……」

 

――悪趣味なのは、いいとして、

 

「で、おまえはいったいどんな凄いものをもらったんだ?」

 

幾分あらたまって、コホンと咳払いするあすか。

もったいぶらずに早く言え。

 

「えーっとですね、

 わたくし、戸部あすか……、

 このたびの『高校生作文オリンピック』におきまして、

 銀メダルをもらうことになりました」

 

 

「……銀メダルって、銀賞?」

「意味合いがぜんぜん違うわよ、アツマくん」

「どう違うんだよ、説明してくれよ」

「この『オリンピック』に、何人ぐらい応募したと思う?」

見当もつかない。

見当もつかないでいると、愛は続けざまに、

「応募総数知ったらビビるわよ」

「――どのくらいだったんだ? 応募総数」

 

愛は応募総数を言った。

 

「――銀メダルって、『2位』ってことだよな」

「あたりまえでしょ」

「トータルで『2位』ってことだよな」

「あたりまえでしょ鈍いんだから。

 日本全国の高校生のなかで『2位』なのよ

 

愛に説明されて、

初めて、事の重大さを知った。

 

あすかが……全国各地から応募してきた……そんな多数の高校生のなかで……、

2位。

 

天文学的な倍率をくぐり抜けて――おれの妹の作文が、全国2位。

 

照れ顔であすかが、

「銀メダルってのが、ちょっとカッコつかないんだけどね。上にひとり、いるってことだし――」

「なっなにいってんだ、素直に喜べよ」

「わたしは喜んでるよぉ、お兄ちゃん」

 

「それは……おめでとう、だなぁ」

流さんが、驚きながらも祝福する。

「アツマさんが現実感ないのもわかる気がします。凄すぎますよ……あすかさん」

利比古が、目を丸くしてあすかを称(たた)える。

 

「戸部邸始まって以来の歴史的快挙ね」

「母さん、なんでそんな冷静なんだ」

「違うよ……冷静に見えるだけ。

 わたしがいちばん喜んでるよ。

 あすかとおんなじぐらい、嬉しいよ。

 まだ胸がザワザワしてる。

 興奮で――しばらくお昼寝もできなさそう」

娘の快挙に、母さんは穏やかに興奮している。

 

「ほら、アツマも言ってやんなさい、『おめでとう』って」

母さんに促されたら、言うしかない。

ただ――なんだか、妹を正面から見つめるのが、気恥ずかしい。

それでも言おうとした。

言おうとしたのに。

口を開いたら、出たことばが――、

 

「……父さん、やったよ」

 

右隣の愛がハッとする。

あすかも、おれのことばを承(う)けて真面目顔になる。

 

「父さん……あすかを祝福してくれるよな。」

 

天井を見上げた。

あすかに、いまの顔を見られたくなかった。

でも、涙声はどうしようもなかった、隠せなかった。

 

「アツマくん……ハンカチ」

「要らない」

「どうして」

愛をあえてスルーして、あすかに向き直ろうとする。

でも、無理だった。

 

「あすか……ごめんな、『おめでとう』って上手に言えなくて。じぶんの気持ちが…こんがらがって」

 

母さんがしみじみとしているのが、見なくたってわかる。

 

あすかには――おれの気持ち、伝わっているだろう。

伝わっていないはずがない。

 

「……あんまりしんみりするのはナシにしようよ」

「ああ……そうだよな。その通りだあすか」

その通り、なんだけれども。

「悪い……余韻にひたらせてくれ」

 

だよね、と、何もかも把握したおれの妹が優しく微笑(わら)う。

 

 

時間はたゆたう。

静かに、穏やかに、しみじみと、優しくたゆたう。

 

いまの一瞬一瞬に身を任せたくて、おれは目を閉じる。

何も見えないけれど――眼の前のあすかがどんな表情をしているか、感情までもひっくるめて――手に取るようにおれはわかる。

 

たとえ銀メダルでも――、

おれの妹は、世界一の妹だ。

 

表彰台の、てっぺんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【愛の◯◯】祝福の言葉を添えて

 

電話が鳴った。

まさか本当に鳴るなんて。

その電話が来たときの、取り次ぎ役はわたしだった。

でも、その電話が来るまで、取り次ぎ役であることを完全忘却しているくらい、夢にも思わないことだった。

自分の生徒に、そんな、夢物語みたいな――、

吉報が来るなんて。

 

 

× × ×

 

戸部あすかさんを、

相談室に呼んだ。

 

椛島先生、なにか悪いことやらかしましたか――わたし? 文化祭とかで」

「違うわ、あすかさん。悪いことの反対」

「ってことは――」

「いい知らせよ。とってもいい知らせ」

 

「いい知らせ」と言った途端に、あすかさんは何かに気付いたみたいだった。

どんなことに関しての「いい知らせ」か、わかったけれど、わかってしまったからこそ――当惑の色を隠せない、彼女。

 

「現実味がないって顔してるね」

「だ、だって――先生」

「仕方ないよ。わたしだって現実味ないし」

「どうしよう、落ち着けない、心の準備できない、わたし」

「焦る必要なんてないじゃない。現実味ないっていっても、うれしい話なんだからさ」

 

そうは言いつつも、

これから、うれしい知らせの内容を伝えようとするわたしのほうでも、緊張を感じていた。

だから、伝える前に、軽く息を吸い込んだ。

焦(じ)らせるのも良くないし――さっさと話を切り出そう。

 

「学校に電話が来ました。どこから来たのかは――もうわかるよね、あすかさん。それで、わたしが取り次いだら――」

 

 

 

× × ×

 

「――おめでとう」

最後に祝福の言葉を添えて、わたしは伝えるべきことを伝え終えた。

 

いまのあすかさん、

好きな男の子に告白されたときみたいな表情。

 

「うれしくないわけないよね?」

「はい。でも、ビックリした感情のほうが強くて――」

「すごいことだよ、これ。もっと自分を誇りなさいよ」

 

はにかみ。

頬(ほお)の赤み。

 

わたしだって誇らしいよ。

自慢の教え子。

 

「努力の成果だね――積み重ねてきたものが、実を結んだんだね」

「はい……まだ実感、持てないけど」

「部活の顧問としても、誇らしいし、うれしい」

 

× × ×

 

「……で、正式発表はあしたということになっているから、基本オフレコね、あすかさん」

「はい、わかってます」

「そうだなあ…。ご家族、お母さんやお兄さんになら、伝えてもいいかもしれない」

元・教え子だから、彼のことは把握しているつもりなのだが、いちおう訊いてみる。

「あなたのお兄さんは――秘密を守れるタイプ?」

秘密を守れないタイプだとはぜんぜん思えないけれど、念には念を入れて、訊いてみる。

するとあすかさんはこう答えた。

「信頼が置けないので、あしたまで秘密にしておきます」

そうか。

厳しいのね――お兄さんに。

「それはやっぱり、SNSやってるとか、そういう――」

「いいえ。兄はSNSなんて一切やりません」

「じゃあなんで?」

「口が軽いのと――、今すぐバラしちゃ、面白くないので」

なるほど。

そういうことか。

「――お兄さんをあっと言わせたいんだね、あすかさん」

「それもあります。」