【愛の◯◯】『地獄の季節』、これまで何回読んだ?

 

放課後、アカちゃんと、喫茶店メルカド』でお茶することにした。

 

× × ×

 

わたしはいつもどおりホットコーヒーをブラックで飲み、

アカちゃんは紅茶を飲む。

 

紅茶のカップを手にしてアカちゃんが、

「演劇の稽古が始まってるわね」

「昨日から。――きょう、ちょっとだけ見学に行ってみた」

「どうだった?」

「演出の水無瀬さんが、なかなかスパルタでね……」

「あら」

「まあスパルタだろうな、とは思ってたけど、案の定」

わたしは苦笑い。

「演劇部って、ああいうものなのかな。スケジュールが切羽詰まってるってのもあるんだと思うけど、水無瀬さん必死すぎるくらいに必死で。演者がついていけるのかなあ」

「さやかちゃんはどう?」

「さやかは、水無瀬さんのあの勢いとは、波長が合いそうな気がする」

「でも、言ってしまえば演技の素人を、ビシビシしごくってことでしょ」

「『しごく』は言い過ぎかもしれないけど――正直、怖いよね」

「そんなに怖いの、水無瀬さん」

「わたしが口を挟んだらいけない感じ」

アカちゃんは紅茶のカップを置き、

「…いいじゃないの、ちょっとぐらい口を挟んだって」

「だけど……」

「…水無瀬さんがひとりで突っ走っちゃうの、愛ちゃんは平気?」

「平気、ねぇ……、どうなんだろ」

「劇の作者として、思うところもあるんじゃないかしら?」

「わたしは手伝っただけだよ、松若さんを」

「謙遜しちゃダメだよ」

そう言って微笑むアカちゃん。

猪突猛進型の水無瀬さんと、どう折り合っていくか。

悩ましい。

とりあえず――もっと稽古を、見てみよう。

 

「最近、わたし思うんだけれど」

「どんなことを?」

「愛ちゃんは」

「?」

「もっと自分に自信を持ってもいいと思うわ」

「それは……謙遜しすぎ、ってこと?」

「それもあるわねぇ。自分に対する誇り――というか、『プライド』があったほうが、もっと愛ちゃんらしいと思うの」

「『プライド』、ねぇ……。でも、プライドが他人(ひと)を傷つけることだって、多いでしょ。無責任な自我が――」

「愛ちゃんは――プライドで誰かを傷つけたりなんてしないよ」

「どうしてそこまでお見通し、みたいなの……アカちゃん」

「親友だからよ」

単刀直入な答えが返ってきた。

「強気な愛ちゃんが愛ちゃんらしいと思う。たぶん、そう思ってるひと、多いんじゃないかしら――強い愛ちゃんが好きなのよ」

 

アカちゃんは店員さんを呼んで、紅茶のお代わりをオーダーした。

強気がいい、強いわたしが好きだって、アカちゃんは言ったけれど。

眼の前の彼女にしたって。

単純なお嬢様気質じゃなくって、『芯の強さ』を持った子だと、わたしは思っているから。

「――アカちゃんにしたってさ」

「愛ちゃん――?」

「わりと――勝ち気だよね」

「か、勝ち気って――どんなところが」

「強い女の子なんだよ――あなたが思ってる以上に、あなたは」

戸惑いながら、アカちゃんは、

「もっと自覚したほうがいいってこと?」

「自分に対する正しい認識」

「それを自覚、って言うんだと思うんだけれど……」

「プライドがあって、芯が強くって、押しも強い」

「愛ちゃん……いつからわたしのこと、そう思って……」

「昔っからだよ。長いつきあいじゃないの」

 

珍しく、不満げにむくれたような顔をしているので、

「ぜんぶ、ほめ言葉だから。勘違いしてほしくないなー、って」

「ごめん、フクザツ……受け止めきれてない」

「親友だから言うんだよ」

「……」

「それに、もうすぐ卒業だし」

彼女はハッとする。

「言いたいことは、言っちゃったほうがいいかなと思って。――もちろん、ほめ言葉だから、言うんだけどさ」

 

お代わりの紅茶がアカちゃんに運ばれてきた。

しかしアカちゃんは、手を動かさない。

 

双方、沈黙。

 

 

――複雑な表情だったアカちゃんが、柔和な顔を取り戻して、

「中等部のころを――思い出しちゃった」

感慨を込めて言う。

「わたしもだよアカちゃん、仲良くなる前のこととか――。偶然じゃないよね、これ」

「お互い様ってことね」

「いがみ合ってるわけじゃなかったけど、けっこういろいろあったよね」

「……わたしが一方的に愛ちゃんをライバル視してただけのことよ」

「ずいぶんぶっちゃけるね」

「親友だから。卒業間際だから。」

「でも……アカちゃんが、わたしをライバルだと思ってくれたおかげで、わたしとアカちゃんは仲良くなれた」

「なにそれ。変な言い方」

彼女は笑いながら言った。

 

自分でも、変な言い方してると思う。

アカちゃんのわたしに対する認識が、『ライバル』から『親友』に変わったのは、中等部3年のときだった。

 

体育館裏に近いテラスのベンチで、泣きながら居眠りしていたら、アカちゃんに目撃されて、心配されて、ハンカチを渡されて。

 

あのとき、なんで居眠りしながら泣いてたんだっけ?

夢を見ていたんだ。

どんな夢を?

つらい夢? 悪い夢?

 

「――もう、思い出せないや」

びっくりしたアカちゃんが、

「どうしたの、思い出せないって、何を!?」

「ごめんね――個人的な話」

 

夢は夢のままに。

その夢が、悪夢だったのなら――なおさら。

 

「わたしが思い出せたのは――アカちゃんがハンカチを渡してくれたこと」

「……!!」

よかった。

通じた。

「あと――アカちゃんが、アポリネールが好きだったとか、そういうことも」

「ど、どうして唐突に詩人の名前が」

「中3のとき、アポリネールがどうとかヴェルレーヌがどうとか言ってたような気がして」

「それは……わたしが張り合ってたんだわ、アポリネール読んでるか読んでないかとか、ヴェルレーヌよりアポリネールのほうがすごいんだとか。今思えば……バカみたいなことで、張り合ってて」

「アカちゃんはバカじゃないよ。それは今も昔も変わらない」

そして、アカちゃんも記憶力いいなあ…と思いつつ、

「アカちゃん、アポリネール、今でも好き?」

「……好きよ」

ヴェルレーヌは?」

「好きよ」

ランボーは?」

ランボーも好き」

岩波文庫から新訳出たよね、ランボー

「出たわね。対訳で」

「アカちゃんは……『地獄の季節』、これまで何回読んだ?」

「4回。たぶん」

「負けた。わたしは3周しかしてないや」

 

クスッ、と苦笑いするアカちゃん。

 

「…こんなことで張り合うなんて、どうしようもないじゃないの」

「いいじゃない。久々に――張り合うのも」

「中等部に戻ったみたい」

「いいことじゃない」

「愛ちゃんがそう言うなら――いいことなのね、ぜんぶ。

 そういうことに、しておくわ」

 

そうやって――お互い笑い合う。

声を出して笑い合うぐらい、今のやり取りが可笑(おか)しくて。

 

いつの間にか、陽(ひ)は落ちて、窓から見える街灯に、明かりが灯(とも)っている。

 

こうやって長話できるのも――親友の証(あかし)だよね、アカちゃん。