放課後、職員室に用事があって、その用事を済ませて廊下を歩いていたら、バッタリと放送部の甲斐田部長に出くわした。
「利比古くん奇遇ね」
「甲斐田部長、きょうは部活はないんですか?」
「ないんだよ残念ながら」
「それは……ヒマですね」
「やることはいっぱいあるんだけどね」
彼女は窓の外をふと見上げた。
「ま、いいや」
なにが「ま、いいや」なんだろうと思っていると、
「利比古くんきょうの放課後は?」
「とくになにもないです。麻井会長は『来ても来なくてもいい』って」
「ずいぶん適当ねぇ麻井も。――そうだ」
なにかひらめいたように、
「私たち、お互いヒマなんだからさ、放送室で時間潰さない?」
「え。放送部の活動場所にぼくが?」
「ちょうど飲み物やお菓子もあったし。それに――」
そこでことばを一旦切り、
「話も、したいしさ」
× × ×
放送部の放送室は、やっぱり広い。
久々に入室する気がする。
ペットボトルと煎餅(せんべい)などのお菓子が置かれたテーブルを挟んで、ぼくと甲斐田部長が向かい合う。
とうぜんふたりきり、1対1だ。
「あのあと、篠崎くんに何かされてない?」
甲斐田部長が言う。
「篠崎――『番長』さんですか。あれから関わりは、ないですね」
「そうか。彼も案外誠実ね」
それはどうだろうか、と内心思う。
「愛さんに迷惑がかかるようだといけないから」
「姉はこっちで私設応援団が作られようと平気ですよ」
「ほんとう?」
「強いので――姉は」
「――なるほどね。愛さんは最強だよね。篠崎くんなんか歯牙(しが)にもかけなさそう」
最強、と言われた姉。
ぼくは苦笑いして相づちを打つよりない。
「ところで」
「はい」
「……麻井の様子は、どう?」
伏し目がちに彼女は訊く。
気にしすぎなくらい、気にしてるってことだろう。
「元気に活動してますよ。後輩をイジメるのが玉にキズですけど。ただ……以前よりトゲが取れて、丸くなったような気もします」
「殺伐とした感じが減った?」
「多少は」
「それは良いことだねえ」
うんうん良いことだ、と、彼女はひとりでに頷(うなず)く。
「安定してるのは、良いことだよ――国立大学に行きたいんだからさ、あいつ。教科が多くて負担がかかってるから。勉強とKHKとの両立だったり、家庭の問題だったり、そういうことに押し潰されないか心配で心配で」
「国立志望なんですね」
「お兄さんのためにだよ――絶対」
「…大丈夫ですよ。ぼくを含め、背中を後押しするひとがいっぱいいるんですから」
「『一匹狼』は卒業だね、麻井」
「とっくに卒業済みだと思いますよ」
「ところで……」
今度は、ぼくの側から訊いてみたいことがあった。
せっかくの機会なので。
「麻井会長のことについてなんですけど」
「うん」
「麻井会長は…彼女は、どういう『きっかけ』で、番組制作にのめり込んだんでしょうか?」
眼の前の甲斐田部長なら、知ってないはずがないと思って。
「…うーんとね。
まず、私と麻井は、同じ中学だったのね」
「はい」
「利比古くん…『職場体験学習』って知らない?」
え、なんだろう、それは。
キョトンとなってしまったぼく。
「……知らないです」
「あ。そうか。帰国子女だからか」
「おそらく…」
「中学2年のときに、好きな職場を選んで、グループでお仕事体験をさせてもらいに行くの。
それで、私と麻井、同じ班だったんだけど、どこに行ったと思う?」
「と、言われましても――」
「考えて。現在(いま)、私と麻井がやってることに関連してる」
「やってることって――放送――あっ!
わかりました、テレビ局とかでしょう」
「あたり」
「フジテレビとかですか?」
「もっと規模の小さい所だよ。地元のケーブルテレビ」
「ああ…、まぁ、そうなりますよね」
「そこでね。
ケーブルテレビの番組制作を、手伝わせてもらって。
麻井はそこで『味をしめた』みたい。
ミキサーに触れるのとか、新鮮な体験で、楽しかったんだろうね。
中学生だけで番組1本作ったんだけど、イニシアチブは完全に麻井だった。
そのときから、もしかしたら――KHKなんて旗揚げする下地(したじ)はあったのかな。
ともかく、1本の番組作るのが楽しくて仕方がないみたいだった、麻井の溌剌(はつらつ)とした表情を――いまでも私、思い出せるんだ」
「――ちゃんとした『きっかけ』、あったんですね」
「思い起こせば――放送部でくすぶってたのも、理解できる。
あとの祭りにすぎないけど」
「甲斐田部長は――会長に、放送部に、残ってほしかったんですか」
「そうじゃない。いま、後悔したって、仕方ないし。
それよりも私は――、
麻井と、もう一度友だちになりたい」
しみじみとした、沈黙が下りてきた。
何か言わなくちゃ――と思って、
「麻井会長は、番組作りに情熱をかけてますけど」
「けど、?」
「かといって、テレビに関心があるかというと、疑問なんですよね。だって会長、『テレビなんか視(み)ない!』って言っていた覚えが」
「そうだよ、あいつはテレビ視ない。映画鑑賞や読書のほうが好き」
「……わかります」
KHKで接していて、彼女の趣味のことも、なんとなくわかってくるのだ。
バックボーンが、映画とか本とかなんだろうなあ、って。
彼女は、麻井会長は、どんな映画が、どんな小説が好きなんだろう?
訊いたら、怒るかな――会長。
「だけど、テレビ番組を作っちゃうんだからね。あんなに速く、あんなに多く、あんなに上手に。――不可思議な話だよ」
「甲斐田部長は、どうなんですか?」
「どうって?」
「テレビ、視ますか?」
「視るよ。麻井よりは――昨日は家族3人で、TBSの『東大王』視てた」
「あっ、視てました視てました、ぼくも、昨日の『東大王』!」
「奇遇ね」
「ほんとですね」
「愛さんといっしょに視たんじゃないの?」
「はい、姉も。――姉の正解率が、とんでもないことになっていました」
「愛さんも答えるんだ」
「テレビに向かって答えてました」
「――鈴木光ちゃんが、卒業するんだから…愛さんが代わりに出演すればいいのにね」
「いや、それはナシでしょう」
「やっぱり?」
「だってそもそも姉は東大受けませんよ」
「受けないの?」
「受けません」
「じゃあどこ受けるの」
「…麻井会長に訊いてみては。彼女は知ってるんで」
「この場で利比古くんが言えばいいじゃないの」
「それでは……その、面白くないので…」
「焦(じ)らすね」
「……」
「CMが頻繁に挿入(はい)る民放のバラエティ番組みたい」
「……的確なたとえ、ありがとうございます」