【愛の◯◯】身長163センチ。女の子にモテそう。サバサバした性格。

 

さやか、劇に出てみない?

 

「――え、なに、いきなり、無茶振り!?」

「演出の水無瀬さんが役者を探しているの」

「水無瀬さんって――ああ、演劇部の」

「演劇部のひとは出演しちゃいけないっていう決まりになってるから、ちょっと難航しちゃってるのよね」

「それでなんでわたしなの」

「水無瀬さんが脚本をすっごく読み込んでくれて、具体的な役のイメージも浮かんでるんだって」

「脚本って、あんたが書いた?」

「わたしだけじゃないよ」

わたしはどこからともなく決定稿の脚本を取り出して、

「ほら、『松若響子・羽田愛』って連名になってるでしょ?」

「ほんとだ」

「原作は松若さんだから。わたしはお手伝いといっても過言ではなく」

「ふーむ……」

「で、松若さん・わたし・水無瀬さんの3人で打ち合わせして、」

「して、?」

「主役は水無瀬さんの指名で真っ先に決まって――で、『主人公が旅の途中で4人の女性に出会う』って筋なんだけどね、これ、四幕劇で、さやかが出るのは一幕(ひとまく)だけ」

「ちょっと待ちなさい愛」

「なに?」

「なに? じゃないっ。なんでわたしが出るのが既定路線に……」

「だって水無瀬さんのイメージにぴったり当てはまるんだもん」

「ほんとのほんとに…?」

「まず、『身長163センチぐらい』」

「やけに具体的な数値だね……」

「さやかがまさに163センチじゃん。2学期始めの身体測定で1センチ伸びたんでしょ」

「その通りだけど……愛もずいぶん細かいことまで記憶してるんだね」

「自慢じゃないけど記憶力いいから」

「自慢じゃないけどは余計でしょっ」

「ともかく――背丈に関しては、ぴったり」

「背丈だけぴったりでも……」

「次の条件。『女の子にモテそう』」

「……」

「なんともいえない、って表情ね」

「……水無瀬さんじゃなくて、あんたが考えた条件なんじゃないの?」

「違うよぉ~、わたしは脚本だけで役目、おしまいよ」

「そう言って足繁(しげ)く稽古を見に来るつもりなんでしょ」

ど、どうしてわかったの!?

「あんたのことが良くわかってるからだよ」

「えーっとね……3つ目の条件を、言うね」

「はやく言いなさい」

「3つ目は……『サバサバした性格』」

「――なるほどねえ」

「き、気を悪くしたらごめんね、さやか」

「なんで? 気を悪くなんかしないよ」

「だって、『サバサバした性格なんて誤解だ』って、怒っちゃうかもしれないと思ったから」

「怒るわけないじゃん。なにいってんのー」

「よかった……で、水無瀬さんが出した条件と照らし合わせて、やっぱりさやかが適任だと思うんだ」

「…………わたし演技の経験なんて皆無だよ」

「大丈夫だよ、劇に出る人みんなそうだから」

「脚本――見せて」

 

わたしはさやかに脚本を渡した。

猛スピードで脚本に目を走らせるさやか。

 

脚本から、顔を上げたかと思うと、

「――いい脚本じゃないの。」

「わかってくれたの!? さやか」

「わかるよ。ダメ脚本だったら『ダメ』って言うもん。

 ダメな脚本だったら、出ないつもりだった」

「ってことは――さやか、出てくれるのね!?」

「出たげるよ。

 あんたと松若さんの熱意を買う。

 水無瀬さんと折り合いがつくかどうかは――演(や)ってみないと未知数だけどね」

「さやか……!!」

「でもさぁ。スケジュール、ちょいとヤバくない?」

「……そこなのよね。来週のアタマから稽古だから、それまでにセリフを覚えてほしい」

「まー土日挟むからセリフ覚えはなんとかなるでしょ。でも文化の日の本番までに間に合わせるには――休日に登校しないといけなくなるね、これは」

「申し訳ないけど、そうなっちゃう。わたしも来るから。そこは勘弁してね、さやか」

「学業と演劇の両立――か」

「さやかの分も宿題やってあげるから」

「それはナシ」

「どうして……大変よ」

「大変なほど燃える性質(タチ)なんだよ。わたし」

 

なぜだか、さやかのしゃべり方が、凄みを帯びてきた。

 

「大変なのはお互い様。――それぐらいわかってるはずでしょ? 愛だって」

わたしは頷(うなず)きながらも、

「でも――大変の度合いが違うよ。私立文系専願と、東大文科三類は」

「さりげなくわたしの具体的な進路希望を言わないっ」

未来の東大生にたしなめられてしまった。

「そもそも劇に出てって言い出したのはあんたでしょーがっ」

「そうだった……」

「なにしょげてんの、あんたの書いた脚本でわたしが演じるんだよ。もっと喜んでよ」

「そうだった……!」

「水無瀬さんを紹介して」

「すぐ?」

「このあとすぐ!」

「了解。」

「あと、」

「?」

「今度、観せなさい」

「??」

「観せてよ、『羽田愛のお料理学園』」

ど、ど、ど、どこで知ったのよっ!! その番組のこと

「利比古くんの部活もハデなことするよねー」

「言ってないよ、いっさい言ってないよ、さやかに」

「言ってなくても伝わるよ。あんたのカリスマ性がそうさせるのかな」

 

あたふたするわたしに、トドメを刺すようにして、

「とにかく観せなさい。ハンバーグの美味しい作り方を教えなさい。

 楽しみね――あんたのエプロン姿」

 

 

 

 

【愛の◯◯】赤い電車でひとっとびのストレンジャーにこんにちは

 

大学の後期が始まっている。

1浪して入った大学、最初の前期はフル単だった。

奨学金もらってるんだから、頑張らないとね。

後期も単位は、落とさない。

 

わたし、八木八重子は、「MINT JAMS」という音楽鑑賞サークルの会員になった。

大学に入るまで、ポップスとロック以外の音楽を知らなかった。

このサークルに来て、眼を見開かれる思いだった。

世界は広い。音楽の世界も広い。

いろいろな表現の形があるんだな――って。

ファンクだったり、ジャズだったり、ほかにも両手で数え切れないほどの音楽のスタイルを、現在進行形で吸収している。

上級生のギンさんや鳴海さんのおかげ、彼らのおかげで――視界が広がった。

 

× × ×

 

「ギンさん」

サークル室のPCの前でぼーっとしているギンさんに声をかけた。

「なんだろう八木さん」

「この前聴かせてもらった、ジェイムス・ブラウンのライブアルバム…またいつか、聴かせてください」

「ああ……あの音源は確かに、一発で気に入るよね」

「あと、スライ……なんでしたっけ、スライなんとかファミリーストーンっていうグループ」

「スライ&ザ・ファミリー・ストーン」

「そうですそれです」

「覚えづらいよね……致し方ない。スライも好きなの?」

「気に入ったので、また聴かせてくださいね」

「現在(いま)じゃなくていいの?」

「いいんです」

「なんで?」

だって……わたしはもっと、新しい音楽を知りたいから

「好奇心旺盛で素晴らしいね、きみは」

「それほどでも」

謙遜してみたが、

「旺盛な好奇心だったら、少なくとも戸部くんには負けません」

「ハハ……」

 

× × ×

 

「あ、この曲好きなんです」

スピーカーから流れてきた歌は、とある日本の超有名バンドの、比較的マイナーなシングル曲だった。

「どうしてかっていうと、世界観があって」

「『世界観があって』か。センスいいね、八木さんは」

「えっ!? センスいいって、なんのセンスですか」

「言語感覚――ってやつ?」

 

『世界観があって』って、わたしは何気なく言ったつもりなのに。

ことばの表現を、誰かに褒められたのは、初めてだと思う。

 

わたしの言語センスを賞賛したギンさんは、

「さてと、」

と独(ひと)りごちたかと思うと、カバンから教科書か参考書のようなものを取り出した。

「勉強されるんですか?」

「さすがに、動き出さないと――ちょっとね」

「たいへんですね、卒業前に」

「いや、卒業は、まだやってこないんだ……」

 

「すみません……ギンさん、失礼で」

「いやいや」

ずいぶん分厚い本で勉強するんだな――、いったいなんの勉強するんだろうな――、と思った。

表紙を覗き見たりは、しないでおこう。

黙ってギンさんが頑張ってるのを応援しよう。

 

× × ×

 

約2時間頑張り続けたギンさんが、分厚い本を閉じた。

「きょうはこのへんにしといてやろう」

「お疲れさまです」

「『これ』に加え大学の講義にも出なくちゃならないから、疲れるね」

「ギンさんの学部って、社会学部でしたっけ?」

産業社会学部」

「――どんなことするんですか?」

「さぁ……イマイチわかんないね、わかんないまま、ここまで来てしまったんだよ」

「でも自分で産業社会学部を選んだんですよね」

「内部進学だけどね……動機だけはちゃんとあった」

 

あー。

 

ひらがな3文字のバンドの、漢字3文字のボーカルに憧れていたんですね?

「よくわかったねぇ! 八木さん」

これくらいの知識はある。

「おれは――高校生の頃は、日本語ロックしか頭になくてさ」

「へぇ~」

「京浜の『赤い電車』に乗って、旅に出たりした」

「…ストレンジャーですね」

「…ストレンジャーだったよ、ほんと」

 

 

 

 

【愛の◯◯】「番長」とよばれた男の失策

 

姉についての質問攻めにあたふたするぼくの前に突如として現れた「番長」。

篠崎大輔さんという名前らしい。

姉のことで「話がある」という、番長もとい篠崎さん。

いったい、なにを言われるやら……。

 

× × ×

 

「俺はああいう連中は好かないな。興味本位でハエのようにたかってくるんだ」

さっきまでぼくを取り囲んでいた人たちを非難する篠崎さん。

俺はあいつらとは違う。正々堂々と、君のお姉さんのことを知りたいと思っている

 

ええぇ……。

 

「……いなかったですよね? きのうの、上映会」

「部屋にはいなかった」

「……どういうことですか」

「たまたま通りかかったら、窓から上映会がやっているのが見えたんだ」

 

あやしい。

 

「覗き見……ってことですか」

うかつだった。

カーテンをなぜしなかったのか。

詰めが甘かった!

 

羽田クン!!

篠崎さんがぼくに迫ってくる。

肩を鷲づかみにされるかと思った。

「…覗き見たのは悪かった。だが……」

「だが……?」

「訊きたいことがあるんだ…」

「なにを……ですか」

 

――君のお姉さんの髪は、なんであんなに長くてキレイなんだ?

 

そう訊いたかと思うと、目深(まぶか)に学生帽をかぶった。

照れているようだ。

 

姉について、最初に髪のことを訊いてきたので、少し拍子抜けしてしまった。

まあ、姉の栗色がかった長髪が、ファースト・インプレッションとして目を引くのは、理解できる。

 

「正直に答えていいですか」

「羽田クン……」

「ぼくにも良くわからないんです。姉の髪のことは」

 

どうしてあんなにキレイなんだ、って言われてもなー。

ぼくのほうが姉に訊いてみたいくらいだよ。

ただ、

 

「ただ――髪を長く伸ばしているのには、理由(ワケ)があるみたいですが」

そ、それはなんなんだ!?

 

威圧感。

 

「そんなに近寄らなくても……」

「すっ、すまん」

「……姉の髪はどんどん伸びてるんです。そして、『これ以上伸ばさない』というようなことを言っていたと思います」

伸ばさないワケは!?

「ちょっと落ち着いてくださいよ。……単純にあれ以上伸びすぎると生活に支障が出てくるというのがあると思うんですけど。それと――」

そっそれと!?!?

「ぼくの個人的見解を言いますが」

「――」

姉は――きっと、『誰かのために』、髪をあそこまで伸ばしてきたんだと思います

 

ドッキリカメラの被害に遭ったような篠崎さんの表情……。

 

ことばを喪(うしな)って、「その『誰か』って、誰だ!?」と問い詰める気配もない。

 

「で、姉が誰のために髪を伸ばしてきたのか、ぼくは薄々気付いていて、」

ちょ、ちょっタンマ

急に、篠崎さんが、ぼくの左手を激しくつかんできた。

鬼気迫る握力。

じっとりと、汗で濡れているのがわかってしまう。

「羽田クン――その続きは、今は言わなくていい」

「篠崎さんの察しがよくて助かります」

「……それでも、それでもだ。

 俺は、君のお姉さんがハンバーグを作っているのを、せっかく観てしまったのだから。

 

あれ……??

不穏だぞ。

 

「お、お姉さんが、ハンバーグをこねる手つきは、すごくキレイだった。キレイな指をしていると思った。」

「しっ篠崎さん、篠崎さんなんで上映会の教室の外からそんな細かいところまでっ」

「と……ともかくっ!! 俺は彼女に見入ってしまった!! 

 陰ながら、でいい。俺は彼女を応援したいと思っている」

 

このひとは、姉に底知れぬ魅力を感じている。

しかも、ひと目見ただけで、イチコロになってしまったんだ。

 

危険なのめり込みかただ。

姉に対する彼の意識が、これ以上エスカレートするようだと、弟として、対策を講じなければならない。

姉を守るために。

姉をお料理講師にしたことが、こんな危うさを内包していたなんて。

背筋が寒くなり、冷や汗が垂れる。

そのあとで、不安がジワジワと立ちのぼってくる。

 

どうすればいいんだ?

いまこの場で、強く言うべきか。

でも、この威圧感に満ち満ちた先輩の眼の前で、強気になれる自信がない……。

 

 

そのへんにしようよ、篠崎くん

 

 

キリリとした、声。

大人びたルックスの、短めの髪をした、長身の女子生徒が、やってきた。

 

甲斐田部長だ。

 

か、甲斐田部長が、救世主に見える!!

 

 

「甲斐田――」

「ダメでしょ、そんなに利比古くんをあおったら。

 カツアゲしてるみたいだったよ

「く……。俺は、俺はただ、話をしたかっただけだ」

「苦し紛れの言い訳にもなってないよ。

 誰かが見てるんだよ、必ず――いけないことをしてたら、ね」

厳しい顔で甲斐田部長は、

「告げ口はしない。見逃してあげるから。

 だから――こんなマネはもうやめて。

 篠崎くんらしくないよ」

ようやく手が離れた。

「番長」とは呼ばない甲斐田部長。

お知り合いらしい。

「愛さんの評判が拡散すると同時に――篠崎くん、あなたの悪評も拡散し始めてる」

 

青白くなる、篠崎さんの顔。

 

「自業自得だけど――あなた、応援部が代替わりしてヒマになったのをいいことに、愛さんの私設応援団を作ろうと画策してたんでしょ」

 

どうしてわかるんだよ、甲斐田……!?

 

「そこまで進展してたんですか!?」

衝撃を受けたぼくは、青ざめに青ざめる篠崎さんに向かって、

「もしかして――『羽田愛さんを愛する会』みたいな名前で――」

ぼくの指摘がズボッと食い込んだのか、完全に彼は図星モード。

「篠崎さん。姉には言わないでおきます。

 だから。

 そっとしてやってください、姉のことは。

 約束できますか?」

「羽田クン……俺を、嫌わないでくれ」

約束できますか?

「……」

ごくごく小さな、頷(うなず)き。

「それから、ぼくがあなたを嫌わないかどうかは、約束できませんから。

 ――番長。」

 

 

 

 

× × ×

 

「ずいぶん突き放したね」

「――家族のことが関わってくるんですから、当然です」

「悪い子じゃないんだけどね――篠崎くん。

 女グセが悪いとか、そういうのでもないんだけど。

 愛さんみたいな女の子が突然、舞い降りてきたら――調子に乗っちゃって、ああいう失敗をしちゃうタイプなのかな」

「――最初は、味方してくれる、いい人だと思ってたのに」

「許せない?」

「ぼくはあの人に対して半信半疑です。それに――そもそもなんで学生帽かぶる必要あるんですかっ」

「硬派に見せたいんでしょう――応援部にいるのも、自分を硬派に見せたいから。言っちゃなんだけど、彼の応援部での立場は、あんまり強くないの」

「見栄っ張り?」

甲斐田部長は苦笑し、

「本性とのギャップが凄いからねえ」

「甘いものが大好きだ――とかですか?」

「よくわかったね! スイーツ大好きなの彼」

「『番長』にそんな面があったら、名折れになっちゃいますね」

「3年でも一部しか知らないけどねー。でも、一部は弱みを握ってるってことだよ」

「ぎゃくに『強み』とかあるんですか? あの人」

「あるある、最大の強み」

「なんですか?」

学業だよ」

 

「うわぁ……」

 

「なんでそこで利比古くん『うわぁ……』なの」

「いや、なんとも言えなかったからです」

「――私や麻井より成績上位なんだ。信じられないでしょ」

「さっき、半信半疑って言いましたけど、ぼくはあの人が嫌いになりそうです」

「へー。ひとの好き嫌い、しないと思ってたけど」

「…もっと彼のことを教えていただけないでしょうか?」

「弱み…握りたいの?」

「握って、握りつぶしたい」

「いやいや握りつぶしたら弱み消えちゃうでしょ」

 

 

 

【愛の◯◯】「番長」とよばれた男

 

『羽田愛のお料理学園』が完成したので、きのうの放課後、旧校舎の空き教室で、ささやかな上映会を催(もよお)した。

 

お姉ちゃんは、本当にハンバーグを美味しそうに焼くな…。

実際美味しかったけど。

…そんな感想を抱(いだ)きながら、映像をしみじみと眺めていた。

麻井会長ノータッチで、下級生3人のちからで作り上げた。

タイトルはこれでいいのか? という思いこそあれど、達成感に満ち満ちている。

感慨深いものがある。

これからは――もっとしっかりしなきゃダメだな。

板東さんや黒柳さんと、協力しあって。

 

上映終了後に、予期せぬことが起こった。

ぼくが質問攻めに遭ったのだ。

ぼくのことを訊かれたのではない。

うすうす、お気づきの読者のかたもおられるかもしれませんが――、

姉のことを訊かれまくったのだ。

 

――もちろん、ぼくに食いついてくるのは、みんな男子生徒。

板東さんが、呆れて苦笑いしていた。

 

――姉・羽田愛の、桐原高校デビューは、とても鮮烈な印象を残した。

残してしまった。

 

 

× × ×

 

きょうも朝から大変だった。

登校したら、学年問わず多数の生徒が――ほとんどは男子生徒だ――押し寄せてきて、姉のことを根掘り葉掘り訊き出そうとする。

あんまりにあんまりな質問もあったので、そういうのに対しては適当にぼやかして対処していた。

1限目から、疲れて授業を受けることになった。

とんだ災難だ。

でも姉のせいじゃないから――窓口をぼくが引き受け続けるしかない。

 

放課後になっても、波はおさまらなかった。

人だかりが教室のぼくの席の周りを取り囲んで、さらにそこに野次馬が加わって、なんだかとんでもない騒ぎに発展しつつあるのを感じた。

質問の嵐。

拡散し続けるこの騒ぎに収拾をつける自信が、徐々になくなってくる。

 

ほとほと参っていると、クラスメイトの野々村さんが、

「あのー、羽田くん困ってるんで、そのくらいで勘弁してもらえないでしょうか?」と注意してくれた。

が、聞く耳を持たないのか、喧騒(けんそう)で聞こえないのか、野々村さんの注意の効果がない。

「こりゃダメだ、羽田くん」

お手上げ、といったジェスチャーをする彼女。

「マズいことになってるよね、これ……」

「あなたのお姉さんが作ったハンバーグの美味しさとは裏腹な不味い事態だね」

「ウマいこと言ってる場合じゃない気がするよ野々村さん…」

こ、ことばあそびをしている場合じゃなくなってきたのだ。

ウマいとかマズいとか。

眼が回ってくる。

 

麻井会長が――怒鳴り込んできてくれないだろうか。

場が一掃されるには、もう麻井会長の凶暴さに頼るしかないような、そんなレベルまで発展してしまっている。

 

こっそりスマホで麻井会長にSOSメッセージを送ろうか、真剣に考え始めた。

自己責任とか、そういうこと考えてる場合じゃない。

ヤバい。

ヤバいから、手を借りたほうがいい。手を借りるのは、麻井会長以外にいない。

決心を、つけようとしていた、

そのとき、

 

コラあああああああああああああぁ!!!!!!!!

 

耳をつんざくような怒鳴り声がした。

野太い声。

振り向く群衆。

 

『ば、番長……』

『番長だ……』

 

なぜかその男子生徒は、学生帽をかぶっていた。

大柄な身体(からだ)の威圧感よりも、学生帽をかぶっているのがぼくの目を引いた。

なんだか、前時代的ないでたちの男(ひと)だ。

バンカラ、ということばを、何処かで聞いたことがある。

そのバンカラ、ということばのニュアンスが、ぴったり当てはまりそうな、そんな男(ひと)。

学生帽の次に目についたのは、学ランを腕まくりしているところ。

なんの必要があって――!?

 

場が静かになった。

怖くて有名な人なんだろうか、彼は。

にしても、「番長」っていうニックネームは……。

名前で呼んであげてもいいのに。

 

……ぼくは、ベイスターズファンの姉の影響で、「番長」って呼び名がある人は、決まってリーゼントの髪型をしていると思っていた。

この人はリーゼントじゃない。

ぼくの認識が間違っていたみたいだ。

 

そんな「番長」は、

困ってるだろ……? 羽田クンが。

 そんなこともわからないのか!? おまえら

と、重々しい声で、黒山の人だかりを抑(おさ)えつけた。

どうやら、ぼくの味方になってくれるみたいだ。

でもなんでぼくの名字知ってるんだ。

 

「羽田くん、もしかして『番長』知らなかったの!?」

野々村さんが意外そうに訊いてくる。

「応援部だよ、応援部」

「――この人、応援部なんだ」

「そうだよ。部長でも副部長でもなんでもないけど」

 

『番長が言うなら……』と、人波が次第に引いていった。

あきらめてくれたみたいだ、姉のことについて尋問するのを。

「番長」の貢献により、人は散り散りになって、ようやく場はおさまった。

ぼくは安堵したので大きなため息をついた。

一件落着だ。

「あの……ありがとうございました」

眼はいかついけど、悪い人じゃないんだな、と思った。

「ぼくの名前……どこで覚えたんですか」

疑問を率直に表明したら、

「番長」は、なぜか、ためらいがちに、

「それは……その、耳に入ったんだ」

なんか様子がヘンだ。

「俺、3年の、篠崎大輔って言うんだけどさ」

ためらったかと思うと、

不自然なくらいの真顔になって、

話したいことがあるんだ……

 

「な、なにを、ですか!?」

 

「決まってる。

 君の――お姉さんについてだ

 

 

 

 

 

 

 

【愛の◯◯】おれはおれを取材する

 

おれは桜子が好きだ。

 

いつから好きなのか?

それは伏せておく。

 

なぜ好きなのか?

それも伏せておく。

 

 

「桜子が好きだ」と打ち明けたのは、ただひとり、あすかさんだけだ。

あの夏祭りの夜、

花火が打ち上がるなかで。

 

あすかさんは、ひょっとしたら今でも、おれの激白に幻滅し続けているのかもしれない。

 

表向きは、スポーツ新聞部で、何もなかったように振る舞っているあすかさん。

おれのために、そういうふうに、振る舞ってくれているのか――。

 

本心は……。

 

× × ×

 

おれは桜子のことが好きだ。

 

けれども、桜子は、たぶん――。

桜子は、瀬戸のことを――。

 

桜子は瀬戸を見ている。

おれが桜子を見ていても、桜子は瀬戸のほうを見ている。

 

ときおり、夢中になっているように、桜子は瀬戸を見る。

「求愛」ということばは――最近まで知らなかった。

「桜子の、瀬戸への『求愛』」、というような使い方をするのだろう。

 

ただ、いくら桜子が瀬戸を求めても、瀬戸の意識は、桜子じゃない方向に向いている。

瀬戸はいつも校内プールに向かっている。

水泳部の神岡恵那が、そこにいる。

 

岡崎(おれ)→桜子→瀬戸→神岡

 

――そんな図式を、頭の中のノートに書いてみた。

清々しいぐらいに、一方通行である。

 

× × ×

 

おれは桜子を、一方的に見ているのだ。

 

・岡崎(おれ)→桜子

 

この矢印が、

 

・岡崎(おれ)桜子

 

この矢印に成り代わらないだろうか、なんて、妄想と願望に過ぎないのだが、

だが。

 

もうすぐ――具体的にはあと5ヶ月で、この高校生活の終わりが来る。

つまりは――この関係性も、もうすぐ終わりを迎える。

 

このままでいいのか――? 岡崎竹通。

おい。

このままでいいのかよ。

 

いろいろと、空回りの連続で、卑屈になることが多い。

 

そんな駄目な自分を乗り越えるには、もっと積極的にならなければならない。

積極的に、動かなければならない。

 

関係を動かすんだ。

この関係を。

時間は、限られている。

 

『鉄は熱いうちに打て』ということわざを、不意に思い出した。

ハンマーを下ろすならば、具体的にどうするべきなのか。

 

 

おれは……、

おれは……。

……おれは、桜子を、振り向かせたい。

 

――それが、

ささやかな、欲求で、欲望で、意志だ。

 

 

× × ×

 

 

ラグビー部の練習風景を見ながら、考える。

 

素直になれない、自分を変えたい。

最近の、ギクシャクとした桜子との関係を、変えたい。

 

 

『岡崎くん、取材?』

 

桜子の声ではなかった。

顧問の椛島先生の声だ。

 

おれは椛島先生のほうに向きなおる。

桜子と話すより――気は楽だ。

 

「いちおうは取材です」

「『いちおう』、か」

微笑する椛島先生。

考え事がグルグルめぐっていたせいか、その先生の表情に、意味深なものが入り混じっているような錯覚を覚える。

「『いちおう』、なんです。眺めてるだけなんで」

そうだ。

ほんとうに、眺めているだけで。

いや、ちょっと違う。

正確には――練習を眺めているフリをして、おれはおれ自身を眺めているんだ。

 

――椛島先生が石段に腰掛けた。

かなりの至近距離だ。

 

両手で頬杖をつきながら、先生が言う。

「物思いでもあるの――? 岡崎くん」

 

予定調和だった。

椛島先生にそう訊かれる準備は、前もって、できていた。

だから、少しも動揺しなかった。

 

「あります」

「――相談に乗って欲しい?」

「その必要はありません」

おれはキッパリと答えた。

「先生、おれは、ほんとはラグビー部の取材なんかしてません」

「……なるほど。」

あなたの言いたいことは、わかるよ……、そんなことを言いたそうな、椛島先生の口ぶりだった。

おれは、自分のこころに取材しているんです

 

「そっか……なるほどね」

また、微笑んでいる。

国語教師だから、文章だけでなく、人間の行間や文脈を読むのも得意なのかもしれないと、少し思った。

「……その『取材』は、ほどほどにね、岡崎くん」

 

わかってます。

 

「なにごとも、ほどほどによ。

 それから――焦っちゃダメ」

 

わかってます、十二分にわかってます。

 

 

時間は限られている。

だからこそ、焦るな。

そうだ。

焦らず、しかも着実に、桜子に歩み寄り、振り向かせるんだ。

一歩一歩、踏みしめていくんだ――、

 

おれたちの関係性に、ケリをつけるために。

 

 

 

 

 

 

 

【愛の◯◯】わたしはわたしでコーヒーを淹(い)れる

 

むくりと起きた。

傍らでは、松若センパイが爆睡中。

寝相、悪い……。

 

羽田センパイの部屋。

わたしと松若センパイは、羽田センパイのベッドの横に布団を敷いて寝た。

松若センパイの寝相も怖いが、すぐそばにある高く積まれた本が崩れてきそうで、そっちも不安になる。

積ん読タワーなの」って羽田センパイは言っていた。

 

わたしが起きてから程なくして、羽田センパイが目覚めた。

「ん~~」と伸びをする。

そしてカーテンを開けつつ、

「おはよう、川又さん」

「はい、おはようございます」

「松若さんしばらく起きないねぇ」

「そう思われます」

「しょうがないや…」と苦笑い。

 

「センパイ、ちょっと本棚を見させてもらってもいいですか?」

「うんいいよ、でも積ん読タワーを崩さないように気をつけてね」

「崩落したら大惨事ですからね…」

 

× × ×

 

うわ~。

羽田センパイの本棚、やっぱすごいや。

 

「背表紙を眺めてるだけで、何時間も過ぎちゃいそう」

「それは自分でも思う、川又さん」

「わたし――センパイのお邸(うち)に、また来たくなっちゃいました」

「また来なさいよ」

「ハイ」

「わたしのお邸(うち)じゃなくて――居候だけどね」

「この邸(いえ)は、アツマさんの――」

「そ。戸部一家の邸(いえ)」

「……。

 わたし、アツマさんの亡くなられたお父さんの本を読んだことがあって」

「わたしは全部読破したよ」

「さすがです」

 

アツマさん。

あんなに強そうな人だけど、

お父さんがいなくて……つらいこともあるのかもしれない。

 

× × ×

 

「ところで。

 なんで2年生のわたしまで、『6年劇』の脚本合宿に呼んだのか、やっぱり謎なんですけど」

「ん~、理由はねえ」

そうだねぇ、と、口元に左手の人差し指を当てて、

そして不意にクスッと笑ったかと思うと、

川又さんに……コーヒーを淹れてほしかったから、じゃダメ?」

「りっ、理由になってますか!? それ」

「わたしコーヒー好きだから。川又さんの美味しいコーヒーを飲めば、脚本も、きっとはかどるから」

 

羽田センパイのコーヒー好きは事実だ。

熱くてブラックなコーヒーが好きらしい。

大人でも、ブラックは飲めないって言う人や、そもそもコーヒーが苦手って言う人も少なくないのに。

 

……でも、そんなところも、羽田センパイの魅力なんだ。

 

「じゃあ。

 わたしが、朝のコーヒーを淹れてあげましょう」

「ありがとう川又さん! お願いするわ」

「キッチン、使えますか?」

「アツマくんが朝食当番だけど、気にしないで」

「えっ、アツマさんが、朝ごはんを作るんですか!?」

「あんまり料理上手じゃないけど、大目に見てやって」

 

× × ×

 

 

1階のキッチン。

 

アツマさんがほんとうに朝食を作っていた。

鍋でスープを作っているようだ。

 

足取りも緩やかに、わたしはキッチンに入っていく。

「あの…おはようございます、アツマさん」

「やあおはよう! 川又さん」

エプロンとかしないんだ。

「すみません、コーヒーって、もう準備してしまいましたか?」

「いや、まだだよ」

「じゃあ…わたしに、コーヒーを淹れさせてください」

「んっ? 愛のヤツに言われたんか。

 後輩が可愛くないんか、アイツは……自分はなにもしないで」

「そうじゃ……ないですよっ」

後輩想いに決まってる。

「センパイは人一倍後輩想いです。わたしは自分の意志でコーヒーを淹れるんですっ」

「そうか…すまんかったな」

「ホラ、お鍋が焦げ付かないようにしないとっ」

「あっ悪い」

なんだか――アツマさんに対し攻撃的になってしまっている。

抑制したい。

 

わたしは、

自分と背丈が近い男の人のほうが、タイプだ。

アツマさんは――高身長だからな。

つまりは、そういうこと。

見上げないと、アツマさんの顔を見て話せない。

羽田センパイとは――男性に対する感性が、違うんだな。

あんまり、たくましすぎるのも、わたしは困るから。

――アツマさんが嫌いというわけではない。

スープの鍋から、いい匂いがする。

美味しそう。

「料理上手じゃないよ」、なんて、羽田センパイの基準だし。

家庭的な男の人は――いいと思う。

 

そんなことを思いながら、がりがりと豆を挽いていた。

いい豆が用意されていた。

センスがある。

だれが豆を買ってくるんだろう。

 

× × ×

 

羽田センパイがキッチンに下りてきた。

「コーヒーできますよ、センパイ」

「やったー!」

「コラ愛、やったー! じゃないだろぉ? こういうときはどう言うべきか――」

「ありがとう、川又さん!」

「――学習してんじゃねーか」

「学習しないわけないじゃないですか、アツマさん」

「か、川又さん……」

わたしが誇らしげにツッコミを入れたのが応えたのか、アツマさんは少し狼狽(ろうばい)する。

しかし、センパイと向かい合ったアツマさんは、なにかに気付いたかのように、

「学習して、『ありがとう』とすぐに言えるのはいいんだが」

「なに、わたしに不満でもあるのアツマくん」

「不満じゃないんだが、」

 

いきなり、センパイの頭に、アツマさんが手を置いた。

 

なにがしたいの、この人。

 

「な、なに!? アツマくん」

狼狽(うろた)えるのはセンパイのほう。

だがアツマさんは手を乗っけたまま、

髪が、はねてる

「えっ、わたしの髪が!?」

 

た……たしかにそういえば、そうだ。

わたしには気付かなかった。

アツマさんは、センパイの寝グセに、瞬時に気付いたんだ。

キッチンに来たセンパイをひと目見た瞬間に。

 

アツマさんが、いちばん……羽田センパイのことを、よくわかっている。

 

「洗面所行って、直してこいよ。川又さんのコーヒーはそれからだ」

そう言って、彼は、センパイの頭をポン、と軽く叩いた。

 

× × ×

 

「アツマさん……」

「川又さん?」

「わたし悔しいです」

「え…なにが悔しいの」

「悔しいんですけど……。

 立派ですよね、アツマさんは」

「立派、か……照れるなあ、照れちゃうよ」

 

――せっかく褒めたんだから、

『ありがとう』のひとつくらい、言ってくれてもいいのに。

 

だからわたしは、

アツマさんを叱りたくなって、

「こういうときは――どう言えばいいと思いますか? アツマさん」

あっ

「『あ』で始まる言葉を」

「……ありがとうな。立派だ、って言ってくれて」

「よくできました、よくできました」

「川又さん……きみは、人間ができてるな」

 

ええっ。

いきなり――最上級の褒め言葉ですか?

 

アツマさんが、わかったようで――わからない部分も、まだ、ある。

 

 

 

 

【愛の◯◯】あたしはあたしを変えられる

 

あたしは、自他ともに認める、飽きっぽい性格だと思う。

 

本を読んでいても、半分もいかないあたりで頭がこんがらがっちゃって、読むのを投げ出してしまう。

読み終えるのに、挫折して、挫折して……の繰り返し。

ほぼ読破できない。

できない、のは――やっぱり、飽きっぽい性格に起因するんだろう。

文芸部員なのにね。

なさけない。

 

本だけじゃない。

音楽なんかもそう。

あたし聴き専だけど――アルバムが、最後まで聴いていられない。

40何分のアルバムでも、半分過ぎたあたりで……ダレてきてしまう。

アルバムを最後まで再生していたとしても、うしろ半分は、聴いていないのとおんなじ。聴き流しってレベルじゃない。

飽きっぽいから――サブスクでプレイリストをシャッフル再生するけど、そのプレイリストもすぐに飽きる。

 

サブスクで映画を観ようとしても、やっぱり半分くらいで気が抜けてしまって、ついつい飛ばし飛ばしに――これって、観てないのとおんなじだよね。

そんな、何事につけても飽きっぽいあたしだから、せっかく脳に浮かんだ創作のイメージも、いざ書き始めてみると、すぐに続かなくなる――それが自明の理だと思ってた。

表現したいイメージはあるけど、そのイメージを落とし込む表現媒体の見当もついてなくって、もし見当がついたにしたって、書き始めた途端に、書きあぐねる以前の問題で、どうせ投げ出してしまうだろう――。

そう半ばあきらめてた。

あきらめたまま卒業するんだと思ってた、

ところに、

『6年劇』の伝統が復活して。

オリジナルの脚本を募(つの)られて。

思わずあたしは手を上げた。

イメージは、あったんだ。

あったから、イメージを「かたち」にするチャンスは、もう今しかない! 

…そう思って、あたしは手を上げた。

 

……でも、飽きっぽいあたしだから、「あたしだけで」脚本を書くのは、ハッキリ言って難しいと思った。

あたしが投げ出したら、『6年劇』の当事者――高等部3年のみんなに迷惑がかかる。

そんなリスクを負ってでも、それでもあたしは手を上げた。

 

手を組めばいいんだ。

信頼できる子と、手を組めば。

 

羽田さんを巻き込んで、脚本をふたりで書くことになった。

巻き込まれた羽田さんも、リスクを負うことになる。

でも、羽田さん、ぜんぜんイヤな顔せずに……。

あたしは羽田さんを全面的に信頼できる。

羽田さんも、この脚本に全力で取り組んでいて――何より嬉しいのは、彼女もあたしを信頼してくれているってこと。

 

羽田さんと、支え合えば……、

 

……あたしはあたしを変えられる。

 

 

どうしたの…………、松若さん??

テーブルの向かいの羽田さんがキョトーン、としている。

右斜め前方の川又さんも、あたしの唐突な独り言に眼をまん丸くするばかり。

「ごめん。

 思ってたことが、つい、口に出ちゃって」

「松若さん、『あたしはあたしを変えられる』って、どういう……」

羽田さんが真面目に問いかける。

「あー。

 かっこつけだけどね、

 あたし、この脚本完成させて、自分自身を変えたいんだ。

 …革命的にね」

「革命的って、なんなんですか……センパイ」

訝(いぶか)しそうに川又さんがツッコんでくる。

「なんなんだろうね。

 でも、かっこつけついでに、言っちゃったんだ。」

あたしの言うこと、川又さん、わけがわからなく感じてるかもしれない。

ゴメンね――と思っていたところが、

「松若さん、ぜんぜんかっこつけじゃないよ、それは。

 自分を根もとから変えたいっていう松若さんの『決意表明』、すごくひたむきな感じがして……わたしは素敵だと思う!」

とびきり美人な笑顔で、

羽田さんが…言ってくれた。

 

胸がいっぱいになる…。

 

× × ×

 

「ところで松若さん、」

脚本を赤ペンでチェックする手を止めて立ち上がった羽田さんが、

ごはんとお風呂、どっち先にする?

 

「……そういうセリフは、自分の旦那さんになる人にとっておくべきだよ」

 

どっどうしてっ松若さん

 

テンパらせちゃってる。

(…あるいは、アツマさんに言ったりしているのかもしれない。)

 

「松若センパイ、わたしたちお泊まりするんですから、ごはんとお風呂どっち先にするかは、まじめに決めたほうがいいと思いますよ」

「そうだよね、脚本合宿なんだよね、お泊まりなんだよね、これ」

「脚本合宿なのになぜ『6年劇』に関わらない後輩のわたしが連れて来られたのか、不可解なんですが……」

 

「そうだ、お風呂先にしよ。それでいいよね? 川又さん」

「いいですよ、松若センパイ」

「了解、松若さん」

 

そして羽田さんはお風呂場の方へと消えていった。

川又さんとふたり。

 

「ねぇ川又さん、このお邸(やしき)のお風呂場は大きいんだってさ」

「そうなんですか。」

「…楽しみじゃないの??」

「大きいに越したことはないですけど…」

もっと楽しそうにしてよぉ

 

「……」

「……」

 

「――なんかセンパイ、不埒(ふらち)な眼になってませんか?」

え~どっこも不埒じゃないよぉ

「――、わたしの背中流したいとか思ってるんでしょ」

ダメなのぉ!?

「スケベですね」

「ハッキリ言うんだからっ」

「……わたしがそんなにかわいいんですか」

「かわいいよ~」

「センパイもずいぶんはっきりと言いますねえ。

 ……どうしてですか?

こどもだから

……どんなところが、こどもなんですか?

 

 

 

 

 

【愛の◯◯】這い寄る愛は消耗中

 

部屋でスポーツ雑誌を読んでいたら、愛がドアをドンドン、と叩いて入ってきた。

 

……なんか疲れてないか?

愛のやつ。

消耗している感じがする。

グロッキーっつーのか。

 

おととい、「たるんでるんじゃねーの?」みたいなことをつい言ってしまったんだが、実際はたるんでなんかなくて、何かを、頑張りすぎるぐらい頑張っている…。

 

ずいぶんくつろいでるわね

 

元気が、ない。

 

ここはひとまず、

「悪いな……なんか、おれだけ、怠けてるみたいで」

愛は首をぶんぶんと振り、

「悪いなんて思ってないから」

それはありがたいお言葉。

だが、

「忙しいんだな……おまえ」

 

どうしてわかるの……?

 

ほら、

やっぱり言った。

すっかりおなじみの「どうしてわかるの」だ。

あまりにもテンプレートな流れなので、思わず微笑(わら)ってしまう。

 

「笑わなくでもいいじゃない。いくらわたしが『どうしてわかるの』って言ったからって」

「すまん、すまん」

「で…、わたしが忙しいって、どうしてわかるの?

 

「……」

「ちょっと、アツマくんっ」

 

「……天然か? おまえ」

「あ、あのねえ」

 

「――そりゃ、見るからに疲れてるからだよ。

 だれが見たって、『疲れてる』って思うさ」

「そんなに疲労が外に滲(にじ)み出てるかしら」

「――頑張ったんだよな。

 だから、疲れを隠せないんだ」

 

× × ×

 

そして案の定、おれの左隣でベッドに腰掛ける愛。

はぁ……、と息を吐いて、

「受験勉強と文化祭の仕事のダブルパンチよ」

「文化祭の仕事って……ああ、劇のことか? 昨日話してたよな」

「脚本。」

「脚本か――骨、折れるよな。おれには絶対できないから、想像でしかないけど」

「からだじゅうが痛いわ」

「そ、そんなにか…」

「スポーツよりよっぽど消耗するのよ」

「――出来る見通しは?」

「ほんとは週末に持ち越したくなかったんだけど、きょうの放課後で終わらなかったから、土日は邸(いえ)にカンヅメよ」

小説家みたいなこと言ってる。

「それでね――」

 

――不意に、愛が、おれの左腕を抱きしめてきた。

 

抱きしめながら愛は言う、

「ふたり、泊まりに来るから――土日」

「ふたりって、だれが」

「文芸部の松若さんと川又さん。」

「川又さんはおまえの後輩だよな。邸(いえ)に来たこともあるよな」

「松若さん知らないの」

「ん…夏休みのセミナーに、一緒に参加したんだっけか?」

「そう、その子。

 劇の脚本は、松若さんとふたりで書いてるのよ。だから――」

「…なんで川又さんまで?」

 

おれの左腕を抱きしめる愛の握力が、心なしか強くなっている気がする。

 

「もう誘っちゃったから。来るから。ふたり」

「おれの疑問はスルーか」

 

川又さんも泊まりに来る理由の説明を完璧にスルーして、

腕を抱きしめたまま、左肩に寄り添ってくる。

 

……なんだコイツ。

 

 

「アツマくん」

「はいなんでしょーかーっ」

疲れた

「言われなくてもわかってる」

広島カープの某OBみたいなこと言うわね」

「だれ?」

 

がっかりしたみたいに、ふにゃっ、とおれの身体(からだ)にくっついたかと思うと、

「アツマくん……もっと野球知ってるかと思ってたのに。しくしく」

「嘘泣きすんな」

あなたに言われなくてもわかってるわよ

 

 

…今度バッティングセンターにでも連れてってやるか。