【愛の◯◯】「いいかげんにしなさい」もホドホドに

 

将棋の第1手は、▲7六歩か▲2六歩だと決まっている。

角道を開けるための▲7六歩か、飛車先を伸ばすための▲2六歩。

素人のわたしには、そういった意図が▲7六歩や▲2六歩にあることぐらいしか、わからない。

加賀くんに、「なんで将棋の初手って▲7六歩か▲2六歩なの?」って説明を請(こ)えば、教えてくれるかもしれない。ただし、わたしがその説明についていけるかどうかは別問題だけど。

 

将棋の第1手が▲7六歩か▲2六歩のふたつの手にほとんど限定されているのって、不思議なことだってわたしは思う。

将棋には、無限の打ち筋? みたいなものがあるって、素人のわたしは勝手にそういうことを「妄想」しちゃうんだけど、なぜか初手は、▲7六歩か▲2六歩のふたつのどちらかに限定される、二者択一みたいに。

むずかしい言葉を使うと、▲7六歩と▲2六歩に、収斂(しゅうれん)されていく、っていうのかなあ……。

 

よくわからないことずくめだけど、定跡(じょうせき)っていうものの存在によって、指し方は自ずと限定されてくるわけだし、将棋の手が無限だっていうのは、ほんとうに素人考えの「幻想」にすぎないのかもしれない。

 

『文章』はどうだろう?

文章の書き方にも、定跡っていうものがあるのかなあ?

たぶんあるんだろうなぁ。

知らないけど。

書き出しが、文章の初手。

文章における▲7六歩や▲2六歩とはなんぞや。

たとえば、校内スポーツ新聞の記事を書くとき、

「▲7六歩っぽい書き出しになっちゃったなー」

とか、われながら、思うことがあったりする。

あくまで喩(たと)え。

経験則の。

 

 

× × ×

 

桜子部長に、原稿を見せる。

「どうですか、桜子さん?」

「…うん、いいじゃないの、いつもながら良く書けてる。

 若干、書き方が硬い気もするけどね。

 でも、問題はないよ。」

「書き出しが▲7六歩っぽかったですか?」

「???」

「それとも▲2六歩でしたか、わたしの書き出し?」

「???」

「ほら、『書き方が硬い気もする』って言われたから、書き出しが形式ばってたのかな~って思って」

 

『たとえ方が悪いよ先輩、たとえ方が』

 

まさかの加賀くんの横槍(よこやり)。

――わたしのことを「先輩」って加賀くんが呼んだの、もしかして初めて!?

 

「意味が伝わらないよ、『▲7六歩みたいな書き出し』とか」

「しょ、将棋にいちばん詳しい人から言われちゃったな~」

だからだよ

 

かわいくない……。

 

「ごめんあすかちゃん、わたしもあなたの喩(たと)え、よくわからなかった」

「突拍子もなかった?」

「うん…」

「すいません…」

「うん…」

 

ともあれ、原稿にはOKが出た。

だけど、ちょっと気落ちした。

 

× × ×

 

うつむき気味に、自分の席に戻る。

気を取り直すために、加賀くんに『指導対局やって』とお願いしようかと思ったが、無茶振りだったから、やめにした。

 

教壇の端のほうにちょこん、と腰掛けて、顧問の椛島先生が、両手で頬杖をつきながら、わたしたちのやり取りを見つめていた。

 

椛島先生」

「どうしたのあすかさん」

「こんにちは」

「こんにちは…」

「元気ですか、先生」

「あすかさんこそ。

 今にも溜め息つきそうな顔じゃない」

「そ、そんなですか…わたし……。

 体調的には、元気そのものなんですが……」

「じゃあわたしの見立て違いだったね」

「加賀くんに容赦なくツッコまれたのは、ガックシ、でしたけど」

「…加賀くんか…」

 

意味深に、先生が加賀くんのほうを向いた。

 

「……加賀くんは文章書かないの?」

「――おれに言ってんのか、先生?」

「敬語。」

「う」

「う、じゃない」

「ごめんなさい…」

 

椛島先生が笑顏になった。

『謝れるじゃないの』と加賀くんに言っているみたいな笑顏だった。

加賀くんは、テレたのかデレたのか判(わか)らないが、少し赤くなった。

もしや、年上好き――??

あ。わたしだって、年上か。

 

桜子部長が、あごに手を当てて思案していたかと思うと、

「部長権限で、加賀くんに『課題』を出したいと思うんだけど」

と言って、どうかな? と加賀くんを見た。

いかにも面倒くさそうな眼つきになる加賀くん。

「桜子に賛成だな。加賀がウンザリしそうなやつを頼む」

岡崎くんは余計な口出ししないでね。

あーあー。非情の桜子さんだー。

 

「来週月曜までに、『自己紹介文』を書いてくる。

 どうかしら加賀くん? これを課題にしたいのだけど。

 加賀くんが書いた自己紹介文は、新聞に掲載しようと思う」

「載っけんのかよ!?」

「『載っけんのかよ!?』じゃないわよ加賀くん。載っけるためじゃなかったら、いったいなんのための課題だっていうの? 新入部員が入ったんだから、そのことを報告する義務も部にはあるのよ」

「どこに向かって報告する義務が……」

いいかげんにしなさい加賀くん。『全校生徒に向かって』に決まってるでしょ」

 

加賀くん、沈黙…。

 

 

 

 

「――『いいかげんにしなさい』は、ひとこと多かったですよ、桜子さん」

しまった、という表情になる桜子さん。

失敗してしまったような顔、桜子さんにしては珍しい。

わたしは続ける。

「気持ちはわかりますけど」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お、おい、部長が一言もしゃべらなくなっちまったぞ」

加賀くん、困惑…。

しょうがないなあ、と岡崎さんが、

「加賀、いいこと教えてやる。

 桜子はいま、自分が『たいへんなことを言ってしまった』と思って、ショックでものが言えないんだ。

 気持ちが激しく揺れ動いたりすると、ことばを失ってしまうんだな。

 さーエラいことになったぞ加賀ぁ。

 桜子にことばを取り戻してやるには、どうしてやったらいいと思う?

 よ~~~く考えるんだな」

 

 

 

 

 

 

 

 

「――桜子の時計が、完全に止まってしまったな」

岡崎さん、苦笑い――。

絶賛時間停止中の桜子さん、ひざのあたりのスカートを両手で握りしめ、うつむいて誰からのコミュニケーションも拒んでいるみたいに――。

 

口を開いたのは、椛島先生。

「部長の桜子さんが故障してしまったみたいなので、

 顧問権限発動。

 加賀くん――あなたがすべきこと、わかってるね?」

「わかったよ。

 書くよ。」

「先生には敬語!」

 

「……はい」

 

そのあと、小さな声で、『おれも悪かったです』とつぶやいたのが、わたしには聞こえた。

 

 

 

× × ×

 

桜子さんの歯車がふたたび回り始めるのに30分かかったけど――、

やっぱり素直なんだ、加賀くん。

 

 

 

【愛の◯◯】危険ワード:『国立の前期試験』

 

板東(ばんどう)なぎさ。

桐原高校2年女子。

元・放送部。

現・KHK(桐原放送協会)…。

 

× × ×

 

放課後。

旧校舎【第2放送室】。

麻井会長が何も指示を出さないので、わたしたち後輩3人は、思い思いにくつろいでいる。

――もっとも、黒柳くんとか、くつろいでるというよりも、くたびれてるみたいに、ボーッと虚空を見つめているかのようだ。

わたしと羽田くん(新入生)はめいめいの椅子でめいめいの読書をしている。

肝心の麻井会長はというと、頬杖をついて、何やら考えごとにふけっているみたいだ。

そういう麻井会長は比較的珍しい。

わたしは、会長に声をかけてみる。

「会長。」

 

反応してくれない……。

 

「聞こえてますか、会長」

再度、わたしが声をかけると、ようやく、ハッとして、気づいてくれた。

ハッとしたときに、一瞬だけ、うろたえたような表情になったのが気になった。

うろたえたというよりも、「子どもに戻ったような顔つきになった」といったほうがいいかもしれない。

けれど、すぐに会長はいかめしい顔つきになって、

「何か用?」

「…はい。

 昼休みの、旧校舎向け放送の話ですけど――。

 けっきょく、GW明けても、タイトルが『ランチタイムメガミックス(仮)』のままですよね。

 題名変更するんじゃなかったんですか?」

会長の眉がピクンと動いた。

「アタシ、良い案がまだ思いついてないし。

 生意気にも、羽田が案を考えてきやがって、アタシに見せにきたんだけど」

 

「呼びましたか、会長」

「だまれ羽田」

「……」

 

「ダメです会長。羽田くん絶句してるじゃないですか。」

たしなめると、お返しの、舌打ち。

「…ともかく羽田の案、というより羽田のネーミングセンスが最悪だったから、全部却下した。今ここで晒し上げたいぐらい最悪だったから」

ひどい……いつもながら。

これで有能じゃなかったら、絶対このひとにはついていってない。

 

青い顔をしている羽田くんの手元を会長は見る。

「何読んでんの羽田は」

泉麻人(いずみあさと)さんっていうライターさんの本です。

 テレビ博士なんですよこの人。

 以前、過去作品の学園ドラマ風ドラマを観させてくださったことがあったじゃないですか。

 泉麻人さんは、昭和40年代の青春学園ドラマにも詳しいみたいで――」

ふーーん

 

羽田くんの語りに無理やり割り込む会長、とても不満そうだ。

 

「あの…実は放送系の部活に関心を持ったのも、家に泉麻人さんの本があったからで……」

「そういう方面に行っちゃうんだ。

 ――やっぱりガッカリだわ、アンタには」

 

青い顔が、羽田くんに戻ってきてしまう。

 

「オタクっぽい、って言うつもりないよ。

 でも知識先行だね、どうもアンタは。

 そうやって他人の書いた本で過去のテレビの知識つけようったって、KHKでは通用しないよ?

 番組の制作現場に、頭でっかちな人間はいらない。

 足手まとい。

 とくに、テレビの知識で頭でっかちな人間はね…」

 

「………、

 

 知識って、

 そんなに、不要なものでしょうか?」

 

あん!?

 

「す、すぐに役に立つとは言いませんけどっ、あのその…すぐには役立たないけど、きっといつか役立つようなものが、知識であると…ぼくは思ったりして」

自信なさすぎに言うねえ羽田は!! そんなにオドオドして!!

 

だんだん、会長の声の響きが、苛烈になってきた。

 

しかも、『きっといつか役立つ』っつったって、アンタ抽象的なことしか言ってないじゃん!!

 知識が役に立つって、具体的なexampleあるの、exampleが!?!?

 

「exampleなら…あります」

 

会長が、

数秒間だけ、

戸惑う子どものような、

そんな顔を見せた。

 

「……ぼくには麻井会長と同じ学年の姉がいるんですが」

……らしいね。

 でもそれがどーかしたの

「姉はよく本を読んでいて、本当によくものを知っているんです。

 文芸部の部長を、しているんですけど、

 先代の文芸部の部長さんに、こう言われたって、

『あなたの文学の知識は圧倒的だった』って、

 本当に、本当に感謝されたらしくって――。

 

 知識というのは文学に限った話ではなく、姉が教えてあげた知識のおかげで、大学に合格できたと、その先代の部長さんから、国立の前期試験の合格発表のあとに、連絡があったそうで――」

 

国立の前期試験』というワードが羽田くんから飛び出たとたんに、

会長は、わたしたち全員から、目をそむけた――。

 

 

 

羽田くんは会長の様子が心配になってきたみたいで、

「――どうしました? 会長」

 

――ぜんぶ姉だよりじゃないの

吐き捨てるようにつぶやく会長。

 

このままじゃ会長がダメだ、

そう思って、わたしは2人の激論に介入するようにして、言った。

「会長。羽田くん、こんなにしゃべってくれてるんですよ。

 羽田くんの気持ちを、受けとってあげてくださいよ。」

最後のほうは、なだめるような口調になってしまった。

 

……でも羽田の言い草はぜんぶ姉だよりなんだからっ

 

ふたたび、会長はそう吐き捨てて、

ミキサーの端っこを、ちからなく叩いたかと思うと、

 

 

――【第2放送室】から、走って出ていってしまった。

 

 

 

 

 

 

あわあわとするよりない羽田くん。

 

わたしにも、場をどうやって収拾すればいいか分からない。

 

黒柳くんは、くたびれたかのように虚空を見つめるばかり。

 

 

 

 

【愛の◯◯】「『RCカーグランプリ』は父の大好きな番組でした」

 

どうもこんにちは。

蜜柑です。

 

× × ×

 

さて、ウチのお嬢様――アカ子さんが、ハルくんとおつきあいをはじめてから、8ヶ月が過ぎたようです。

だんだん仲睦まじくなる2人に嫉妬して、強くもないのにお酒を飲みすぎて、お父さんとお母さんの前で泥酔してしまったのは、苦い思い出でした。

…それはともかく、つい先日――GW中にも、アカ子さんがハルくんと2人だけで商店街に出かけた、という事がありました。

どんなリア充ですか。

商店街とはいえ、れっきとしたデートですよね、これ?

言うまでもなく。

わたしは溜め息をつきながら、デートでハルくんのもとへ向かうアカ子さんを見送ったわけです。

 

ここで、「けしからん、こんなご時世にデートで街を出歩くなんて」と思われたかたもいらっしゃるかもしれません。

たしかに、リア充なのは「けしからん」ですねぇ。

ただ、このブログはあくまで『フィクション』という位置づけなので、ここらへんの不都合は大目に見ていただけたら、と思うのです。

ご了承くださいませ……。

 

後日、アカ子さんは、商店街デートの一部始終をわたしに語ってくれました。

のろけ話めいた語りではありましたが、興味深い部分もありました。

 

 

 

ーーーーーー

 

「そもそも、なんで商店街だったんですか?」

「去年の夏休みにハルくんと商店街に行ったことがあったじゃない?」

「そんなことありましたっけ」

「呆れた、なんにも覚えてないのね」

「そりゃ、自分が同行したわけじゃないですから」

「たしかに、わたしがハルくん誘って2人だけで行ったのよね。

『商店街行ったことないから、行ってみたい!』って、彼にワガママ言って。

 あの商店街行きは、いろいろ失敗だったわ。

 たぶん、わたしが自分勝手すぎたのが、いけなかったのよね」

「後悔が残ったんですか」

「むしろ反省よ」

「反省……」

「反省点を踏まえて、今度は失敗しないように、商店街デートの計画を練っていたの。

『自分の意思だけで行動しない』という鉄則を作って、それを守り通そうとしたんだけど…でもね」

「でもね、?」

 

「まず商店街に入ったら、古本屋さんが見えたわ。

 でもそこは、前回、彼が興味もないのに、わたしだけで勝手に入っていってしまったお店だった。

 古本に夢中で、彼を置いてけぼりにしてしまったところだったの」

「置いてけぼりってことは、お店の外でハルくんを待たせてしまったってことですよね」

「そういうこと、自分のことしか考えてなくって」

「それはいけませんね」

「蜜柑にももしかして思い当たる節があるの?」

「秘密です」

「あったのね」

「だから秘密ですって」

「――とにかく、あの古本屋さんが目に留まったのだけれど、ハルくんのことを考えて、『あなた興味ないだろうから今回は止(よ)しておきましょうか』って言ったの。

 そしたら彼は『止(よ)しておくって、なにを?』ってトボけた風に訊いてきた。

『あの古本屋さんに入ることよ。古本なんてあなたに縁がないだろうから、お店に入ったってしょうがないでしょう』って言ったんだけれど、

『そんなことないよ』って意外なことばが返ってきて。

『最近、本にも興味出てきたんだよ』って言うのよ」

「へぇ。意外な変化ですねぇ~。

 どうしてなんでしょうか?」

「……わたしの影響で、だって」

 

ほんとうに照れくさそうにアカ子さんが言うものですから、わたしは思わず笑ってしまいました。

 

けっきょく、ハルくんもいっしょになって、入店して本を物色したそうです。

「古本屋さんにはいろいろルールみたいなものがあるから、怒られないように、ハルくんが本を探すのをずっと観てた」

「観察ですか?」

「注意深く見守っていたのよ。

 おかげで、わたしのほうは本を買うどころじゃなかったけれど。

 ハルくんの古本屋デビューの付き添いみたいになってた」

 

それから、数軒のお店をまわって、お茶を飲んで、それじゃあボチボチ帰ろうか、っていう段取りになろうとしていたようです。

 

「でもね。

 帰り路(みち)のつもりだったんだけど、

 模型屋さんがあったのね。

 その模型屋さんで、ミニ四駆大会を開催していたのね。

 蜜柑、ミニ四駆ってわかる?

 どんなのか、イメージできるかしら」

「なんとなくは」

「ハルくんは知らなかったみたいで――でも、わたし、食い入るように大会の様子を観戦していたみたいで、『興味あるの?』って訊かれて。

 いけないいけない、自分の意思で行動しちゃってるじゃないわたし……と思って、慌てて『そんなじゃないわ』って否定したんだけれど、

『ウソはよくないなあ』って、否定したことを彼に完全否定されて」

「『どうしてわかるの?』って思わず言った、と」

「その通りよ。愛ちゃんみたいだけど。

 案の定、お父さんの影響であることを見透かされて。」

「血は争えないですものねー」

「上手いこと言うわね。

 お父さん――ミニ四駆もたくさん持ってたから」

「思い出しました、専用のサーキットみたいなものがありましたよね」

 

「もう、自分の意思どころの話ではなくなっていたわ。

『しばらく観ていけばいいじゃないか』って、彼は優しく言ってくれた」

「…そういうときは、逆に遠慮しないほうがいいんですよ。」

「なんだか悟ったみたいなこと言うわね…。」

「遠慮したらダメなんです。相手の気持ちに乗ってあげるんです」

「……そのときのわたしもそんな感じで、折角のハルくんの厚意を裏切りたくなかったから、ミニ四駆がいったい何なのかを彼に解説しながら、ずっと大会の様子を見守っていたわ。

 そしたら、とある男の子のミニ四駆が、コースアウトしてしまって、『壊れちゃった!』と思ったのか、その男の子、半泣きみたいになっちゃったの。

 アルバイトと思しき若い店員のお兄さんも、てっきり『壊れてしまった』と思い込んでしまったみたいで、うろたえてた。

 でも、わたしには、『このくらいの損傷だったら治すことができる』っていう、確信と自信があった。

 完全に経験則ね。お父さんが模型いじり全般が好きで、ミニ四駆も改造したり修理したり、いろいろ手を動かしているのを間近で見てきたから。

 わたしも、手先が器用だし」

「自分で修理したこと、あったんですか?」

「はるか昔に。

 でも、『腕が憶(おぼ)えている』と思って、わたしは手を挙げたわ。

『治せると思います』って。

 その場にいた全員が驚いていたけど、いちばん驚いてたのはハルくんだった。

『工具を貸していただけないでしょうか?』バイトのお兄さんに向かって、気づいたらひとりでに言葉が出ていた。

 それで――お店の一角で、わたしは手を動かし始めた。」

 

「で――治ったんですか?」

「うん。

 少し時間はかかったけど。

 

 わたしが治しているのを眺めていた模型屋さんのご主人が、こんなことを言ってた。

『むかし、テレ東で『RCカーグランプリ』という番組があって、君は知らないだろうが、『メカニックマン』というキャラクターが出ていた。

 君の手つきは、まるで『メカニックマン』のようだ――もっとも、君はメカニックマンとは、似ても似つかないが。

 失礼ながら、君のようなお嬢さんが、ここまでミニ四駆を修復できるとは、思いもよらなかった』

 

 少しだけ…わたし、恥ずかしかった」

「そりゃ、どんなところの娘さんなんだろうって、びっくりきちゃいますよねぇ」

「そうよ。ご主人、『もしや――』って言いかけるんだもの、なんだか勘付いたみたいに。

 わたしはその『もしや――』を遮って、

『『RCカーグランプリ』ですけど、

 ウチの父が大好きな番組だったみたいで、よく番組のこと、話してましたよ』

 とだけ言い添えて、急いでハルくんの腕を握って、その場から退散した」

ミニ四駆を治してあげた男の子には、なにか言わなかったんですか?」

「言ったわよ。

 治したミニ四駆を、渡すときにね」

「なんて?」

「『おうちで勉強、がんばるのよ』って」

「――ミニ四駆関係なくなってませんか?」

「そうかしら」

 

 

 

【愛の◯◯】「MINT JAMS」へのおそるべき闖入者

 

GW明けから大学が始まり、同時にサークルの新入生勧誘も始まった。

新歓。「MINT JAMS」という音楽鑑賞サークルに所属しているおれも、できれば新入生が入会してくれたらなあ、と思う。

だから、講義の合間をぬって、学生会館のサークル部屋に来て、ギンさんや鳴海さんとともに、新入生を受け入れる態勢を整えているわけだ。

 

いま、ひとり、女子学生が、「MINT JAMS」のサークル部屋の中に来ている。

もちろん新顔である。

ただし、ギンさんや鳴海さんにとっては。

おれ? おれにとっては、じつは新顔でもなんでもなく……。

 

 

「……で、なんできみはここにいるんだ、八木

「ひどいねー戸部くん。わたしこの大学の、ピチピチの1年生なんだよ?」

「八木がここに入学したってことは、知らされてたけど」

「じゃあ、ここにいたって、なんにもおかしくないでしょう」

「でも、おれがこのサークルにいるなんて、きみに言った覚えないんだけど」

「戸部くんがいるからのぞきに来たってわけじゃないんだよ?」

「じゃなんで」

「興味があるからに決まってるじゃん」

 

怪しい。

おれという手がかり無しに、このサークルの存在を、どうやって前もって知ったというのか?

それに――。

 

「おまえはむしろ『虹北学園』のほうに興味があると思ってた」

「『きみ』が『おまえ』になっちゃった」

笑いながら言うな。

憮然とするおれに、

「この部屋の近くにある児童文学サークルでしょ?」

「そーだよ」

「行ったよ。」

「行ったのかよ」

なら、なおさら、

「読み聞かせ得意だろ? 八木は」

「なんでわかったの」

「そりゃ…これまでの経緯で」

「放送部とか?」

「放送部とか」

「なるほど、戸部くんこう思ってるんだ、『放送部の朗読などで培(つちか)ったスキルは、あのサークルでこそ活かせられるのではないか』」

「そうだよ」

「『なのになぜ『虹北学園』ではなく、『MINT JAMS』に入ろうとしているのか?』」

「よくわかってるじゃないか、おれの疑問が」

「戸部くんの疑問ももっともだけど。

 ――得意なことより、優先させたいことがあるの。

 それは、『新しいことを始める』ってこと」

 

イマイチよくわからん。

 

「…その『新しいこと』ってのが、音楽を聴くこと、なのか?

 そもそも、おまえそんなに音楽に興味あったのかよ」

「興味ない、と思ってた?」

「そこまでは言ってないが……。申し訳ないが、そういう素振りをこれまであんまり見てこんかったからな」

「そうかもねえ……。

 戸部くんの言うとおりだよ」

 

???

 

わたしはそんなに音楽に詳しくないよ

は!?

 

「――そんなにのけぞらなくてもいいんじゃん」と笑う八木。

 

「でもね――、

 葉山がピアノ弾けるじゃない?

 あなたのとこの羽田さんだって、ピアノ弾けるじゃない。

 

 葉山や羽田さんがピアノ弾いてるとこを見てきて――『音楽っていいな』って、ちょっと思ってたの」

 

「動機ってそれだけかよ。ちょっと弱いんじゃないのか」

おれは、思わずそう言ってしまったが、

考えてみれば、おれが「MINT JAMS」に入った理由も、なんとなく、の部分が多く、

それに、八木の言うことと重なるが――何年も、愛の弾くピアノを聴いてきて、

愛のピアノに感化されて、『音楽っていいな』と思うときがあることを、否定することはできない。

「――いや、すまん八木、動機が弱いなんて、言い過ぎだった」

「――? やけに素直だね戸部くん」

「実のところ、おれがいまここにいるのも、愛のピアノの影響が大きいんだ」

「いまここにいるってのは、このサークルに居る、ってことだよね」

「ああ」

 

 

「動機なんて重要じゃないよ、戸部くん」

「ギンさん」

4年になったギンさんが入室してきた。

ギンさん、4年になったことはなったようだが、4年で卒業するのかどうかは、ハッキリ言って釈然としない。

ま…いいや。

 

「八木八重子さん、だったね」

もうフルネーム覚えてくれたんですか!?

かましいぞ八木。

「1年生か。だけど――戸部くんと知り合いなんだな」

「ギンさん、こいつは浪人してるんです」

「戸部くんが言わなくてもいいでしょっ……」

八木、おまえがやかましいからだぞっ。

 

「音楽に興味を持つ入り口は千差万別だ。

 ひとの弾くピアノから感化されて、音楽に入っていく。

 それは、ぜんぜん不自然なことじゃないよね。

 

 八木さん――ようこそ、わが『MINT JAMS』に」

 

喜んでいる八木。

「おれはルミナさんが悔しがるんじゃないかと心配だなあ」

「ルミナさんってだれ? 戸部くん」

「おまえがさっき行ってきた『虹北学園』の4年の先輩だよ」

「ルミナとは腐れ縁でね、あいつはよくウチの部屋に押しかけてくるんだ。

 八木さん、行ってきたのか、『虹北学園』に。

 新入生強奪なんてことは、ルミナはしないと思うけど。

『ギンに新入生をとられるなんて!』って、悔しがりはするかもしれないね」

 

「えーっと、あの、ギンさんとルミナさんって、どういったご関係、なんでしょうか??」

「こ、コラッ、八木」

いきなりなにを言い出すか。

「幼稚園からずーっと一緒なんだ。エスカレーター式で」

幼なじみなんですね!

口のきき方がなってない、こらしめてやろうか…とも思いもしたが、

そうなんだよ! 幼なじみなんだよ!! 悪いことに

ギンさんは八木の無礼を気にするどころか、むしろ八木のテンションに乗っかるようにして、盛り上がり始めた。

 

たまらず、といった感じで、

『彼女』の足音が、ずんずんと、こっちに近くなってきて、

ドバーン!! と扉が開き、

 

ギン!!! 新歓だからって音楽がうるさい!!! 周りの迷惑考えなさいよ、ボケナス!!!

 

と、威勢よくルミナさんが入室してくる。

 

「『ボケナス』はひどすぎるなあ~~」と呆れながらも、ギンさんは新歓用音楽のBGMを絞ってあげる。

ルミナさんの恫喝――、

久しぶりだ。

いつもの学生会館が、戻ってきたって感じがする。

なぜか八木が闖入(ちんにゅう)してきたけど、

ふたたび、大学生としての日常が、始まるんだなぁ――。

 

八木は初めての大学。

おれは2年目の大学。

ルミナさんにとっては、最終年度。

ギンさんにとっても、もしかしたら? 最終年度。

(鳴海さんは……何年目の春なんだろう)

 

 

【愛の◯◯】楽器なんかできないと思ってた

 

放課後。活動教室にあすかちゃんが不在なのを不審に思ったらしく、新入生の加賀くんが、

「『あのひと』、きょうは来ないのか?」

と相変わらずのタメ口で訊いてきた。

わたしは、わざとトボけたふうに、

「『あのひと』って、どのひと?」

すると加賀くんは困ったように、

「2年の、女子の、先輩の」

「あー、あすかちゃんかー」

「……苗字は?」

「だれの?」

「……『あのひと』、の」

「あすかちゃんは、あすかちゃんよ」

「だから苗字を教えてくれよ」

「そんなに――『あすかさん』って呼ぶのが、恥ずかしいんだ」

われながら、痛いところを突いたものだ。

「彼女を苗字で呼ぶひとなんていないよ」

「な、なんでだよ」

「まぎらわしいから」

「だれと?」

「お兄さんと」

「兄貴がいたのかよ、あのひと」

「いたのよねえ」

 

かたくななまでに、「戸部」という彼女の苗字を、加賀くんに教えないのも、若干いたたまれなくなってきたが、そのほうが面白いかも。

それで――加賀くんが果たしてあすかちゃんのことを名前で呼べるのかどうか問題は別として、

「きょうはあすかちゃん来ないよ。ちゃんと理由あって」

「理由ってなんだ、あんた知ってるんだな」

「『あんた』じゃなくて『部長』って呼んでほしいな~~」

「うぐ…」

「そうだぞ、加賀」

瀬戸くんが加勢してくれる。

うれしい。

「ちなみに瀬戸は副部長だ」

岡崎くんが余計なことを言う。

そういう話じゃないでしょ。

 

「――わかったよ『部長』。

『部長』、理由、教えてくれ」

案外この子は素直なのかもしれない。

岡崎くんのほうが、よっぽど素直じゃないまである。

「じゃあ、理由、答えるかわりに――、

 加賀くん、電車賃ぐらい、あるよね?」

「電車賃!? 電車賃せびる気なのかあんた」

「『あんた』じゃないでしょ」

「…『部長』」

「ハイ。

 わたしが帰りの電車賃足りないとかそういう話じゃないの」

「帰りの電車賃以前に、定期ってのがあるだろ、定期が。加賀も考えが足りない…」

岡崎くんは口を挟まないで

「えぇ……」

「話がすっかりこんがらかっちゃったでしょ」

「桜子だって話をややこしくしてるだろ、あすかさんがいない理由をもったいぶらずに教えればいいだろ」

 

わたしは加賀くんに目的地との往復の電車賃を教えた。

 

「それぐらいなら…そりゃ、あるけど」

「決まりね。

 じゃあ早速、電車に乗りましょう」

「いまから!?」

「いまから。

 瀬戸くん岡崎くん、留守番おねがい」

 

ふてくされる岡崎くんとは対照的に、瀬戸くんはラジャー! と敬礼ポーズでわたしに応えてくれた。

 

 

そしてわたしと加賀くんは駅に向かった。

 

× × ×

 

行きの車内。

 

「いったいどこでなにさせるつもりなんだ」

「加賀くんはなんにもしないでいいのよ。

 楽しいところよ」

「もっと具体的に言ってくれよ」

「それだと楽しくならないじゃない?」

「ったく。

 ――あすかさん、そこにいるんだな」

 

なんだ。

やっぱり素直なんだ、この子。

 

「言えたね」

「――仕方なく。」

「その調子、その調子」

 

加賀くんはドア際に立って、ずっと沿線風景を眺めていた。

 

× × ×

 

 

 

「ライブ……ハウス!?」

「どっからどう見てもそうでしょ?」

「入れるのかよ、おれたち」

「チケットあるし」

「おれのも?」

「当然」

「まさか」

「その、まさか」

「演奏……するのか、あのひと…あすかさん、が」

「そんな意外だった? ギター弾けるのよ、彼女」

加賀くんの声が、どんどん戸惑いを帯びていっていた。

「楽器なんか…できないと思ってた」

その顔は、じんわりと、なにかを悔やむような表情に染まっていった。

 

「急遽ピンチヒッターだったみたい。

 穴埋めみたいなものだってあすかちゃんは言ってたけど、この日のためにずいぶん猛練習したらしいよ」

かわいい後輩が逃げていかないように、

「早く入っちゃいましょうよ」

 

階段を降りて、地下に。

「最初から教えてくれれば、心の準備ができたのに」

「将棋を指す人は、普段から心の準備ができているものだと思ってたけど?」

「それとこれとは別だ」

微笑ましい。

「――あ、

 このブログ、フィクションですので。

 あしからず、念のため」

「なに言ってんだ? 突拍子もなく」

…ギターロックのBGMも次第にけたたましくなっていき、わたしのテンションも上がっていく。

 

 

 

× × ×

 

「加賀くん音楽詳しい? わたしは全然詳しくないけど」

「詳しいわけないだろ。

 でも」

「でも、?」

「『ソリッドオーシャン』っていうバンド名が絶望的にセンスがないのだけはわかる」

思わず吹き出しそうになるのをこらえて、

「いきなりディスるのね」

「バンド自体はディスってない」

「加賀くんらしいかもね…」

「なにが」

微笑ましいどころではなく、可笑(おか)しくなってきてしまった。

そんなわたしを見とがめて、

「なに笑ってんだか……。

 そろそろ始まるんじゃないのか」

「ほんとだ」

 

 

 

『ソリッドオーシャン』の4人が出てきた。

あすかちゃんがギターを携えている姿に、加賀くんは眼を丸くする。

加賀くんの驚きを知ってか知らずか、あすかちゃんはマイクスタンドを調節して、おもむろにMCを開始する。

 

「えー、トップバッターだけど、ピンチヒッターです。

 出鼻を挫かないように、しっかりとヒットを打って塁に出て、『打線』をつなぎたいと思っています」

 

野球の比喩、あすかちゃんらしい。

 

「ギターを初めて、まだ1年未満なんですけど、将棋でいえばアマ何級なんだろう? って、ときどき考えたりするんです。」

 

加賀くんのためなのかな? 

わざわざ将棋を引き合いに出すってことは。

「お客さんを不安にさせちゃだめでしょっ、あすか」とボーカルの娘がツッコミを入れる。

「ヒット打つんじゃなかったの? せめて出塁率上げてこうよ~」

「そうだったね、OPS上げたいよね、バンドのOPS

野球好きらしきお客さんから笑い声が上がった。

 

「――ありがとうございます。

 OPSって野球記録用語なんですけど――野球といえば、スーパーカーというバンド、皆さんご存知でしょうか」

 

『もちろん!』という声が挙がる。

わたしはそんなバンド知らない。

 

「無理やり野球にこじつけるみたいですが、スーパーカーの『スリーアウトチェンジ』というアルバムから、この曲を。

 スリーアウトチェンジといっても、わたしたちは凡退しないように、精一杯がんばりたいと思います」

そう言ったかと思うと、間髪を入れず、あすかちゃんはギターを鳴らし始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

× × ×

 

制服にギターケースを背負ったあすかちゃんが、

「打ち上げでもする?」

と、加賀くんに笑いかける。

「……」

口ごもっているけど、本音は、女の子に囲まれるのが恥ずかしいんだろう。

『15歳の男の子ってそういうもんでしょ』というメッセージを、アイコンタクトであすかちゃんに送る。

「ま、いっか」と目を細めるあすかちゃん。

「せめて感想を聞かせてほしいな~、率直な感想を」

あすかちゃんの要求に、15歳の男の子らしく加賀くんはひねくれて、

「…MCが滑ってた」

「あちゃー」と苦笑するあすかちゃん。

それでも、「演奏は?」と加賀くんに感想を要求し続ける。

加賀くんは、少し考えるように間を置いて、

「…1曲目の曲名、なんだったっけ」

「『cream soda』」

「…そう、それ。

 それの、イントロのギターが………、

 ちゃんと練習したんだな、って思った」

あすかちゃんは『よっしゃ』とガッツポーズ。

「ありがとう。ギターリフって言うんだけどね、出だしで失敗しちゃカッコつかないから、加賀くんの言う通り何回も何回も練習したんだ。」

「それに……あんたが楽器できるなんて、これっぽっちも思ってなかった。

 ――ごめん」

 

加賀くんの素直すぎるぐらいの「ごめん」に、完全にあすかちゃんは虚を突かれ、『なにがあったんですか!?』とでも言いたげに、わたしの顔を見てきた。

 

無理もない。

 

 

 

 

× × ×

 

けっきょく、加賀くんが面と向かって『あすかさん』と呼ぶのはお預けになった。

 

でも――だんだんと、彼の中で、なにかが変わり始めている気がする。

 

もちろん、良い方向に――ね。

 

 

 

【愛の◯◯】悪い関係でも、互いを知っているから――

 

甲斐田しぐれ。

桐原高校3年女子。

放送部部長。

 

× × ×

 

GW明けの放課後――廊下を通りがかりに、麻井律と出くわす。

お互い、目が合ったものの、麻井はそっぽを向いてずんずんと歩き去ろうとする。

だが、私は、そうはさせじと、

「麻井」

と声をかける。

立ち止まる麻井、私に背を向けたまま返事をしない。

「ちょっといい?」

「こっち来ないで」

意味は拒絶だったが、麻井が口を開いた。

「そっちには来ないよ、麻井と活動場所の方向、逆だからね」

ウンザリしたように麻井は、

「じゃあとっとと放送部に行けばいいじゃん…」と言う。

そしてさらに、

「干渉しないで」と付け加える。

「私だって、あんたのKHKに関わるつもりはないよ。

 でも……」

「なんなの、アタシに言いたいことがあるならハッキリ言ってよ!」

私に背を向けたまま怒る麻井。

「これは放送部とかKHKとか関係なく、麻井に忠告するんだけど」

忠告、ということばに反応して、廊下を蹴る麻井に、私は言い放つ。

「――新入生、いじめちゃだめだよ。

 右も左も分からないんだから。

 高校生になったばかりなんだよ、

『彼』は。」

「羽田のこと? 羽田のこと言ってんの!?」

「そうだよ。羽田くん。」

「いじめてるつもりないんだけど」

「麻井ならそう言うと思った。けど――」

「クドいよ、甲斐田は」

「クドいと思われて結構。

 でもねえ。

 ――自分のストレスを、新入生にぶつける真似だけは、やめといたほうがいいよ」

ついに麻井は半分だけこっちを向いて、

「なんでそんなこと言うの!?

 アンタ、アタシ完璧に誤解してんじゃん!!

 羽田がストレスのはけ口ってわけ!?

 取り消してよ、謝ってよ、『誤解でした』って、ここで謝ってよ!!!」

 

「やだ」

 

「甲斐田、アンタとはもうこれ以上つきあってられない」

 

「…余裕、ないよね」

 

――図星、だったんだろう。

麻井の動きが、止まった。

棒立ち、になったかのように。

 

図星の麻井に、畳み掛けのことばをぶつけた。

「あんたが誤解してるより、私はあんたのこと理解してるよ。

 だって…腐れ縁、でしょ。

 余裕がなかったことだって、一度きりじゃなかったじゃん。

 私も時々は余裕なかったけど、あんたのほうが……余裕ないこと多かったじゃん。

 私は――あんたが思ってるより、あんたのこと気にしてるよ」

 

途中からは、ほとんど口から出まかせだった。

私は麻井が嫌いだ。

放送部から離脱してKHKなんてものをやり出したときには、本気でもう『絶交だ』と思った。

でも、麻井と、まだ関わってる。

嫌いなはずなのに、関わってる。

しかも、「あんたのこと気にしてる」なんて、思ってもみない配慮、を…麻井に対して、している。

嫌いだけど、気にしてる。

嫌いだから、気にしてる。

 

どうして?

 

『腐れ縁』、だから?

いったん踏み込んでしまったら、やっぱりその場所から抜け出せないんだろうか。

私は麻井に踏み込んで、麻井は私に踏み込んだ。

そういった関係は――、もつれても、もつれているからこそ、切りにくい――。

 

悪い関係でも、互いを知っているから。

 

いまの麻井に余裕がないこと。

いまの麻井がストレスを抱えていること。

 

確信が、

悪性に染まった関係性から、

にじみ出る。

 

 

 

 

【愛の◯◯】『がんばって』と『がんばれ』

 

GW最終日……めずらしく、最終日まで学校の宿題が残っていて、全力で終わらせる羽目になった。

 

でも、本気出したらぜんぶ終わったので、ほっと一息。

 

× × ×

 

で、コーヒーでも飲もうかな~と階下(した)に降りたら、ソファに座っているアツマくんを発見したので、隣に腰を下ろした。

 

「宿題が終わったの」

「ふーん」

「褒めて」

「え、なんで」

「褒めてよ」

「……よくがんばりました」

思わず、クスッと笑ってしまう。

「なにがおかしい」

「なにもおかしくないから、勘違いしないで」

「ふーーん」

「なんなのよ、その反応」

「…愛は、宿題なんてGWの初日に終わらせるんだと思ってたけど」

「今回はいろいろあったのよ、察して」

「たしかに」

たしかに、じゃないっ。

「久々に宿題に本気出しちゃった」

「久々に?」

「久々に」

「そりゃーどうかなあ」

どうかなあ、じゃないでしょっ。

 

「あのね、アツマくん」

「ん」

「久々に勉強に本気出したから、わたしちょっと疲れちゃって」

「…」

さりげなく、アツマくんの肩に、自分の肩をくっつける。

「わざとらしい」

「わざとらしくないっ」

「わざとらしいスキンシップは禁則事項だ」

禁則事項!? なにそれ意味わかんない」

アツマくんが意味わかんないことを言うので、腕をつねってやろうか、とも思ったが、やっぱりやめた。

「――昔はね」

「唐突な過去話も禁則事項だ」

構わず、

「昔は、よく利比古に、こうしてたの」

「疲れたとき?」

「疲れたとき」

「利比古もいい迷惑だな」

「んなわけないでしょバカっ」

 

「――で、いつまでこうしてひっついてるつもりなんだ」

「利比古かあすかちゃんに目撃されるまで」

「目撃、って……」

 

「ねえあなた明日から大学始まるんでしょ」

「あいにくな」

「単位落とさないでよ」

「高校生には言われたくない」

「わかってるわよ…大学のことは自分でなんとかするって、あなたが言ったんだもんね」

「そうだ、だから自分でやる」

「でも……」

「でも??」

「がんばって。

 がんばって、アツマくん」

「…………ありがと」

アツマくんの感謝をうけて、わたしはあらためて座り直した。

「――具体的に、なにをがんばるかも、自分次第だよな」

「わかってるじゃない」

「おまえもがんばれよ、なんでもいいから、がんばれ」

「たくさんあるよ…、がんばらなきゃいけないこと」

「あんまり抱え込むなよ。

 抱え込んでる、と思ったら、おれに言え。

 おれに言いにくかったら……おれじゃなくってもいいんだけど」

「『できれば、おれに言ってほしいな』」

「おれのことばを先取りするなよ」

「歯が浮くようなセリフは禁則事項ですよ、アツマくん」

「『禁則事項』もパクるな」

「いいじゃん」

「よくねーよ」

「どうせ『禁則事項』にも元ネタがあるんでしょ」

「なんでわかったんだ……」

「あーのーねーっ」

 

 

 

 

【愛の◯◯】ビデオテープ・ビデオデッキ狂騒曲

 

「なんか……きょうのおねーさん、いちだんとお肌に潤いがあるというか」

「えっ!?

 あすかちゃんどうしてわかるの」

「なんとなくです。

 でもきょうのおねーさんは、いつにもまして、美人ですね」

 

そう言われると、うれしいけど。

ほんとにそうかなあ。

だけど――、

「あすかちゃんがそう思うのなら、」

「なら、?」

「それはきっと、

 あすかちゃんのおかげだよ」

 

キョトンとしている、あすかちゃん。

わたしのことばが唐突だったから、無理もないか。

 

 

× × ×

 

わたしの学校のOGである小泉さんが、お邸にやってきた。

 

「羽田さんの着てる服、なんだかフワフワしてて、かわいいね」

「かえって子どもっぽく見えませんか?」

「そんなことないよ、かわいくて似合ってるよ」

「小泉さんの服も似合ってますよ」

「そう…かなあ……」と、身だしなみを確認するように、小泉さんは自分で自分の服を眺め回す。

「オシャレですね」

「うれしいな、そう言ってくれると。――着てくる服選ぶのに、すごく時間がかかっちゃって。約束の時間に遅れるところだった」

 

「あの、それで小泉さん――八木さんから、事情をお聞きしました」

「うん。

 八木がいなかったら、わたしここに来てない」

なぜか哀愁のようなものを帯びている小泉さんの眼。

少し……無理してるのかも。

「小泉さん。わたし小泉さんに元気を出してほしいです」

苦笑いして、小泉さんは沈黙する。

「ビデオテープ……でしたっけ?」

「そう、VHSね。ちゃんと持ってきたよ」と、彼女はカバンをぽんぽんと叩く。

「質問があります」

「なんですか羽田さん」

「VHS、って、いったいなんなんですか?」

彼女は、高い天井を見上げて、

「――知らないよねえ、そりゃあ」

「わたし、この邸(いえ)にお世話になる前…つまり両親と暮らしていたときですけど…もうすでにビデオデッキなんてなくって」

「ハードディスクだったんだね」

「そうです、ハードディスクレコーダー

「その前の時代がビデオデッキで、VHSっていう規格が主流だったんだけどね」

「規格、ですか」

「そう、それでVHSが主流になるに至るまでには、長い歴史があって――、

 このこと話してると、日が暮れちゃうから、いまは説明しない」

「エッ、語ってくれてもいいんですよ?」

「ウンザリするでしょ」

「好きなことについてしゃべってると、元気になるでしょう?」

「……ほんとにいいの?? わたしのしゃべり、止まらなくなるよ」

「受けとめますから」

 

少し悩むような素振りを見せて、小泉さんはおもむろに語り始めた。

「そもそも、『録画』っていうものの歴史っていうのはね――」

 

 

 

× × ×

 

 

「――だからソニーは、めずらしく負け組になったんだよ」

 

『お~い』

 

「アツマくん、小泉さんがせっかくわたしに語ってくれてるんだから割り込まないでよっ」

「だって…おまえらいつまでも話し込んでるんだから」

小泉さん!! ビデオテープの話、すっごくすっごく面白いですよ!!

照れ顔になる小泉さん。

 

「ビデオデッキなら、もうテレビの近くに置いてやったぞ」

「アツマくん場の雰囲気読めない」

「あのなあ……」

「テレビってどのテレビよ」

「でかいテレビ」

「ばっかじゃないの!? 大きいテレビが何台あると思ってるの、このお邸」

「いちばんでかいテレビだよ!!」

「どこにあるテレビがいちばん大きかったっけ?」

「こ、こんにゃろ……」

 

わたしたちのやり取りを面白そうに面白そうに眺めていた小泉さんが、

「握りこぶし作らなくてもいいじゃん、戸部くん」

とアツマくんを軽~くたしなめる。

「そうだよね、こんなに広いお邸だったら、テレビいっぱいあるよねえ」

「住んでみますか?」

「突拍子もないこと言うな、愛」

「…遠慮しとく」

「ほ、ほら小泉さんが真面目にとらえちゃってるだろ? いきなり住んでみますか、とか…」

「…だって、こんなにテレビがいっぱいあったら、過剰にテレビに寄っかかっちゃう…」

「小泉さん。わたし弟が高校に入ったんですけど」

「突然話題を変えるなっ」

「弟にも、小泉さんのお話を聴かせたいです」

「弟さんもここに住んでるの?」

「はい。今いますよ、利比古って言うんですけど」

「へぇ~~~」

「ビデオデッキのほうが利比古より先だろ? なぁ」

「アツマくんの言う通りね」

「じゃあはやく小泉さんの持ってきたビデオテープ再生しようや」

「そのあとで利比古ですね」

「おれの顔を見ろ」

「アツマくん、ビデオデッキ置いただけで、接続はまだなんでしょ」

「小泉さんじゃなくておれの顔見て言えっ!!!」

 

とたんに小泉さんが笑い出してしまった。

笑いが、しばらく止まらない。

元気と明るさを――今なら、彼女は取り戻せそうだ。

ひとしきり笑って、小泉さんは言う。

「戸部くん、ビデオデッキの『つなぎかた』が、わからないんだね」

「あいにく、な」

「じゃ、わたしが教えてあげる。

 行こうよ羽田さん、いちばんでっかいテレビのところに」

「よかったね!! 小泉さん、すごく親切だよ、感謝してアツマくん!!」

「そもそも…ビデオテープっつったって、なにを見せられるんだおれたち」

「小泉さんがわざわざ持ってきてくれたビデオの内容にケチつけるつもりだったの!? 信じらんない」

「いかがわしいものじゃないんだろうな」

思わず、そこらへんにあった新聞紙を丸めて、アツマくんの頭をパーン、とはたいた。

呆れたように小泉さんが笑う。

「いかがわしいものじゃないよ。

 いかがわしいのもたくさんあるけど、ちゃんとしたのもたくさんあるんだよ……。

 テレビに限った話じゃなく」

 

含蓄のあることば。

さすが小泉さん。

さすがわたしの先輩。

完全復活だ。