【愛の◯◯】楽器なんかできないと思ってた

 

放課後。活動教室にあすかちゃんが不在なのを不審に思ったらしく、新入生の加賀くんが、

「『あのひと』、きょうは来ないのか?」

と相変わらずのタメ口で訊いてきた。

わたしは、わざとトボけたふうに、

「『あのひと』って、どのひと?」

すると加賀くんは困ったように、

「2年の、女子の、先輩の」

「あー、あすかちゃんかー」

「……苗字は?」

「だれの?」

「……『あのひと』、の」

「あすかちゃんは、あすかちゃんよ」

「だから苗字を教えてくれよ」

「そんなに――『あすかさん』って呼ぶのが、恥ずかしいんだ」

われながら、痛いところを突いたものだ。

「彼女を苗字で呼ぶひとなんていないよ」

「な、なんでだよ」

「まぎらわしいから」

「だれと?」

「お兄さんと」

「兄貴がいたのかよ、あのひと」

「いたのよねえ」

 

かたくななまでに、「戸部」という彼女の苗字を、加賀くんに教えないのも、若干いたたまれなくなってきたが、そのほうが面白いかも。

それで――加賀くんが果たしてあすかちゃんのことを名前で呼べるのかどうか問題は別として、

「きょうはあすかちゃん来ないよ。ちゃんと理由あって」

「理由ってなんだ、あんた知ってるんだな」

「『あんた』じゃなくて『部長』って呼んでほしいな~~」

「うぐ…」

「そうだぞ、加賀」

瀬戸くんが加勢してくれる。

うれしい。

「ちなみに瀬戸は副部長だ」

岡崎くんが余計なことを言う。

そういう話じゃないでしょ。

 

「――わかったよ『部長』。

『部長』、理由、教えてくれ」

案外この子は素直なのかもしれない。

岡崎くんのほうが、よっぽど素直じゃないまである。

「じゃあ、理由、答えるかわりに――、

 加賀くん、電車賃ぐらい、あるよね?」

「電車賃!? 電車賃せびる気なのかあんた」

「『あんた』じゃないでしょ」

「…『部長』」

「ハイ。

 わたしが帰りの電車賃足りないとかそういう話じゃないの」

「帰りの電車賃以前に、定期ってのがあるだろ、定期が。加賀も考えが足りない…」

岡崎くんは口を挟まないで

「えぇ……」

「話がすっかりこんがらかっちゃったでしょ」

「桜子だって話をややこしくしてるだろ、あすかさんがいない理由をもったいぶらずに教えればいいだろ」

 

わたしは加賀くんに目的地との往復の電車賃を教えた。

 

「それぐらいなら…そりゃ、あるけど」

「決まりね。

 じゃあ早速、電車に乗りましょう」

「いまから!?」

「いまから。

 瀬戸くん岡崎くん、留守番おねがい」

 

ふてくされる岡崎くんとは対照的に、瀬戸くんはラジャー! と敬礼ポーズでわたしに応えてくれた。

 

 

そしてわたしと加賀くんは駅に向かった。

 

× × ×

 

行きの車内。

 

「いったいどこでなにさせるつもりなんだ」

「加賀くんはなんにもしないでいいのよ。

 楽しいところよ」

「もっと具体的に言ってくれよ」

「それだと楽しくならないじゃない?」

「ったく。

 ――あすかさん、そこにいるんだな」

 

なんだ。

やっぱり素直なんだ、この子。

 

「言えたね」

「――仕方なく。」

「その調子、その調子」

 

加賀くんはドア際に立って、ずっと沿線風景を眺めていた。

 

× × ×

 

 

 

「ライブ……ハウス!?」

「どっからどう見てもそうでしょ?」

「入れるのかよ、おれたち」

「チケットあるし」

「おれのも?」

「当然」

「まさか」

「その、まさか」

「演奏……するのか、あのひと…あすかさん、が」

「そんな意外だった? ギター弾けるのよ、彼女」

加賀くんの声が、どんどん戸惑いを帯びていっていた。

「楽器なんか…できないと思ってた」

その顔は、じんわりと、なにかを悔やむような表情に染まっていった。

 

「急遽ピンチヒッターだったみたい。

 穴埋めみたいなものだってあすかちゃんは言ってたけど、この日のためにずいぶん猛練習したらしいよ」

かわいい後輩が逃げていかないように、

「早く入っちゃいましょうよ」

 

階段を降りて、地下に。

「最初から教えてくれれば、心の準備ができたのに」

「将棋を指す人は、普段から心の準備ができているものだと思ってたけど?」

「それとこれとは別だ」

微笑ましい。

「――あ、

 このブログ、フィクションですので。

 あしからず、念のため」

「なに言ってんだ? 突拍子もなく」

…ギターロックのBGMも次第にけたたましくなっていき、わたしのテンションも上がっていく。

 

 

 

× × ×

 

「加賀くん音楽詳しい? わたしは全然詳しくないけど」

「詳しいわけないだろ。

 でも」

「でも、?」

「『ソリッドオーシャン』っていうバンド名が絶望的にセンスがないのだけはわかる」

思わず吹き出しそうになるのをこらえて、

「いきなりディスるのね」

「バンド自体はディスってない」

「加賀くんらしいかもね…」

「なにが」

微笑ましいどころではなく、可笑(おか)しくなってきてしまった。

そんなわたしを見とがめて、

「なに笑ってんだか……。

 そろそろ始まるんじゃないのか」

「ほんとだ」

 

 

 

『ソリッドオーシャン』の4人が出てきた。

あすかちゃんがギターを携えている姿に、加賀くんは眼を丸くする。

加賀くんの驚きを知ってか知らずか、あすかちゃんはマイクスタンドを調節して、おもむろにMCを開始する。

 

「えー、トップバッターだけど、ピンチヒッターです。

 出鼻を挫かないように、しっかりとヒットを打って塁に出て、『打線』をつなぎたいと思っています」

 

野球の比喩、あすかちゃんらしい。

 

「ギターを初めて、まだ1年未満なんですけど、将棋でいえばアマ何級なんだろう? って、ときどき考えたりするんです。」

 

加賀くんのためなのかな? 

わざわざ将棋を引き合いに出すってことは。

「お客さんを不安にさせちゃだめでしょっ、あすか」とボーカルの娘がツッコミを入れる。

「ヒット打つんじゃなかったの? せめて出塁率上げてこうよ~」

「そうだったね、OPS上げたいよね、バンドのOPS

野球好きらしきお客さんから笑い声が上がった。

 

「――ありがとうございます。

 OPSって野球記録用語なんですけど――野球といえば、スーパーカーというバンド、皆さんご存知でしょうか」

 

『もちろん!』という声が挙がる。

わたしはそんなバンド知らない。

 

「無理やり野球にこじつけるみたいですが、スーパーカーの『スリーアウトチェンジ』というアルバムから、この曲を。

 スリーアウトチェンジといっても、わたしたちは凡退しないように、精一杯がんばりたいと思います」

そう言ったかと思うと、間髪を入れず、あすかちゃんはギターを鳴らし始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

× × ×

 

制服にギターケースを背負ったあすかちゃんが、

「打ち上げでもする?」

と、加賀くんに笑いかける。

「……」

口ごもっているけど、本音は、女の子に囲まれるのが恥ずかしいんだろう。

『15歳の男の子ってそういうもんでしょ』というメッセージを、アイコンタクトであすかちゃんに送る。

「ま、いっか」と目を細めるあすかちゃん。

「せめて感想を聞かせてほしいな~、率直な感想を」

あすかちゃんの要求に、15歳の男の子らしく加賀くんはひねくれて、

「…MCが滑ってた」

「あちゃー」と苦笑するあすかちゃん。

それでも、「演奏は?」と加賀くんに感想を要求し続ける。

加賀くんは、少し考えるように間を置いて、

「…1曲目の曲名、なんだったっけ」

「『cream soda』」

「…そう、それ。

 それの、イントロのギターが………、

 ちゃんと練習したんだな、って思った」

あすかちゃんは『よっしゃ』とガッツポーズ。

「ありがとう。ギターリフって言うんだけどね、出だしで失敗しちゃカッコつかないから、加賀くんの言う通り何回も何回も練習したんだ。」

「それに……あんたが楽器できるなんて、これっぽっちも思ってなかった。

 ――ごめん」

 

加賀くんの素直すぎるぐらいの「ごめん」に、完全にあすかちゃんは虚を突かれ、『なにがあったんですか!?』とでも言いたげに、わたしの顔を見てきた。

 

無理もない。

 

 

 

 

× × ×

 

けっきょく、加賀くんが面と向かって『あすかさん』と呼ぶのはお預けになった。

 

でも――だんだんと、彼の中で、なにかが変わり始めている気がする。

 

もちろん、良い方向に――ね。