日曜日。
午前10時台。
戸部邸。
リビング。
モスグリーンカラーのソファにアカ子さんが座っている。
真向かいのソファのぼくに、
「利比古くんのお誕生日のちょうど1か月前よね?」
「そうですね。8月14日が誕生日ですから」
「わたし待ち遠しいわ」
「そうなんですか?」
「お誕生日を迎えたら、利比古くんはハタチになるでしょう?」
左腕で軽く頬杖をつきながら、満面の笑み。
まさか。
もしや。
ぼくが「ハタチになる」のを強調するというコトは。
「呑(の)めるじゃないの。とうとう」
ほらっ。
やはり。
アカ子さんが待望しているのは、アルコールの解禁。
ぼくに飲酒が許された瞬間に、彼女はおそらく……。
「あなたのお姉さんとは違って、炭酸が入ってる飲み物も大丈夫なのよね?」
「……はい。コーラを口に含んだだけで理性を失うとか、そういうのは無いです」
「だったら、あなたがハタチになったら、ビールでカンパイができるわね♫」
ううっ。
アカ子さん、一刻も早く、ぼくとカンパイがしたいんだ。
さすがは酒豪一族。
彼女もまた、22歳にして、恐るべきアルコール耐性を誇っている。
呑んでいる場に居合わせたワケでは無いが、至る所から、恐るべき呑みっぷりが伝わってきている。
「もちろん、アルコールなハラスメントをしてはいけないけれど」
満面の笑みを持続させ、
「愉しみで仕方が無いわ。愉快の『愉』の愉しみよ」
とアカ子さんが言う。
背筋がぞわぁ、となってきたが、ここで、ポケットに入れていたぼくのスマートフォンが振動する。
誰かから連絡が来たという通知だ。
スマートフォンを見る。
「あっ。小泉さん、乗ってる電車がもう少しで邸(ここ)の最寄り駅に着くそうです」
「そうなのね」
『今度の日曜日は仕事休みだから、お邸(やしき)に行って利比古くんと情報交換がしたい。
それともう1つ。アカ子さんの都合がつけばだけど、彼女もお邸(やしき)に来てほしいな。ほら、彼女も今年度で卒業でしょ? 同じ大学に通ってた身として、彼女の大学生活のアレコレを知りたいキモチがあるんだよ。だから、会って話がしたくってさ……』
こういうコトを小泉さんがぼくに伝えてきていた。
アカ子さんはお邸行きを快く承諾。小泉さんとアカ子さんがお邸で会うコトになった。
小泉さんがやって来るのがアカ子さんの後になるのは事前連絡通りだった。
ぼくは、スマートフォンを長テーブルに置いてから、
「アカ子さんと小泉さんの組み合わせって、珍しい気がします」
「そうね。中学・高校・大学が同じ学校ってコトになるんだけれど、2学年離れてるからか、せっかく進学した大学まで同じだったのに、絡むコトは少なかった。彼女は文学部で、わたしは経済学部。学部は違ったワケだけれど、もうちょっと会う機会を作っても良かったかもしれないわね」
「これからもっともっと、会う機会を作っていけば良いじゃないですか」
「ステキなコト言うわね、利比古くん」
アカ子さんは愉快げな笑みでもって、
「次に小泉さんと会う時には、あなたの誕生日以降に日時を設定して、あなたも交えてお酒を酌み交わしながら……」
ほんとうにお酒大好きなんですね。
よーく分かりました……。
× × ×
「こんにちは〜、アカ子さん」
「どうもこんにちは、小泉さん。お久しぶりです」
「会いたかったよ、アカ子さん」
「わたしもです。LINEとかで全然やり取りできてなくて申し訳無かったです」
「いやいや。こっちこそ」
「わたしの内定はご存知でしたよね?」
「うん。おめでとうございます、だね。無事決まって良かったよ」
「ありがとうございます。社会人のセンパイとして、いろいろと教えてほしいです」
「社会人といっても、わたしは教師だからなぁ。一般企業に勤めてるんじゃないし」
「ですけれど、教師がお仕事なんですから」
「たしかに、教えるのが仕事なんだけどさ。だからといって、アカ子さんに教えてあげられるコトがそんなに沢山あるとは……」
アカ子さんから見て左斜め前、すなわちぼくから見て右斜め前のソファに腰掛けている小泉さん。
苦笑いの彼女は、
「わたしの方が、教わるコトは多いと思うんだ」
「わたしから、教わる、ですか?」とアカ子さん。
「そ。だって、アカ子さんなんだもん」
「『なんだもん』と言われましても……」とアカ子さんは少し困惑。
「ま、教える教わる云々は、また次の機会に」
と小泉さんは言ってから、
「あのねアカ子さん。わたしの学校、来週で1学期が終わるの。めでたく夏休みに突入する記念に、来週の土日にでも、ゴハン食べに行かない?」
と、勢い良く。
たじろぎのアカ子さんは、
「ゴハン……ですか」
「お腹いっぱい食べさせてあげるよー」
小泉さんも、アカ子さんの大食い体質を把握している。だからこう言うのである。
『お腹いっぱい食べさせてあげる』に留まらず、
「食べ放題の良いお店探しておくから。もちろん、飲み放題もプラスで、ね。心ゆくまで呑ませてあげる……」
ネットリとした声で、小泉さんはアカ子さんに迫っていっていた。
アカ子さんは、ややのけ反(ぞ)るような仕草。
「ゴメンゴメン」
小泉さんは反省の苦笑いで、
「聖職者たる教師が『心ゆくまで呑ませてあげる』なんて言っちゃダメだよねえ。聖職者でなくても、ヘンな絡み方だったよね」
「い、いえ……。反省する必要なんて。『飲み放題』の4文字、わたし、大好きですので」
「さすがぁ」と小泉さん。
「さすがですね」とぼくも。
少し顔を赤らめて、
「あの……。次に会う時のコトは、帰宅してからでも」
とアカ子さん。
「それもそーだ」と小泉さん。
「じゃ、アカ子さんファミリーの会社のCMについて話そっか?」
小泉さんがものすごく唐突に新たなる話題を出してきた。
漫画だったら『!?』と書かれた吹き出しが描かれるかのように、アカ子さんがビックリする。
「新しいクルマのCM、ゴールデンタイムにガンガン流れてるじゃん?」
小泉さんは言う。
テレビCM大好きなぼく。
同好の士の小泉さんに完全に同調し、
「流れてますよねぇ!! 『アレ』ですよね、『アレ』」
アカ子さんは眼を見張り、
「ど、どうしたの利比古くん。ウチの会社のCMなんかで、そんなに眼を輝かせて……」
「あれれ? ぼくがCM大好きっ子なコトぐらい、アカ子さんもお分かりでしょ??」
「で、でも、弊社のCMに過ぎないのよ」
そこに小泉さんが、
「アカ子さん、絶対テンパってるでしょ」
というご指摘を割り込ませる。
「アカ子さんファミリーの会社のCM、わたしは前々から注目してたんだよ。他の有力メーカーのCM映像とは、なーんか質感が違うんだよね」
「小泉さん……。前々って、どのくらいの前々なんでしょうか」
震え始めた声で訊く社長令嬢・アカ子さんに、
「アカ子さんがまだ中等部だった頃」
と答える小泉さん。
「!? そ、そ、それって、小泉さんが、高等部の生徒、だった時……」
青ざめる社長令嬢・アカ子さんに、
「筋金入りのテレビオタクを舐めちゃダメだよー」
と言って微笑する小泉さん。
さすがだな。
ぼくのテレビ文化研究の師匠なだけはある……。
Respectだ。