【愛の◯◯】日曜の朝の部屋に不都合はいっぱい

 

良い目覚めではなかった。睡眠時間は足りていたが気分が悪かった。悪い夢を見たワケでもなかった。だけど寝起きに不快感があった。頭に鈍い痛みがあってしばらく身を起こせなかった。

お腹も空かなかった。

まだ、3日前の麻井先輩との◯◯のコトが、尾を引いている。

彼女は、麻井先輩は、この部屋で、どうしてあんな行動に……。考えれば考えるほど後遺症みたいになる。目覚めてすぐにぶり返す。3日経った今朝も同じだ。ぼくに対する彼女の行為が重たくて、下を向く。下を向けば向くほど、さらに辛くなる。

どうにかベッドから抜け出し、タブレット端末に助けを求めた。あらかじめ充電をしておいて良かったと思う。頼りがいのあるタブレットの画面を指で動かし、例のごとくウィキペディアにアクセスする。関西地方のテレビ局や関西ローカルのテレビ番組に関する記述を読んでいくと、気持ちの落ち着きは少しだけ戻って来る。晴れない気分の根本的な解決にはならないけれど。

それからぼくは立ったままYouTubeにアクセスし、某企業の公式チャンネルにアクセスする。ハムやソーセージでそこそこの知名度を得ている中堅の会社だが、新着でUPされていたCM動画はハンバーグのCMだった。

ヨーロッパの教会のような建物内で、ヨーロッパ人と思われる男性俳優4人が、テーブルを囲んで議論というよりも口論を繰り広げている。4人の中で最も体格の大きくいわゆる「肉食系」な男が、たまりかねたのか、テーブルを右拳でドン! と叩く。その時、給仕(きゅうじ)のような人物がやって来たのか、テーブルの4人の前にあつあつのハンバーグが差し出される。感嘆したように眼を見開いてお皿のハンバーグを見る4人。さっきテーブルを叩いていた「肉食」な男が、どこからともなくナイフとフォークを取り出し、ハンバーグにナイフを入れる……。

WEBでいろいろ検索したところ、どうやら、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』が元ネタのようだ。つまり4人の男はカラマーゾフの兄弟だというコトで、テーブルを叩いてハンバーグにナイフを入れていた男は長兄(ちょうけい)の「ドミートリイ」がモデルであるらしい。

よくあるといったらよくあるモチーフだが、『意味が解らない』という謗(そし)りを回避できないかもしれない。ドストエフスキーのしかも『カラマーゾフの兄弟』を持ってくるのは、やや大仰なのではないかとも思う。文学作品をパロディするのなら、この食品メーカーにはもっと相応しい作品があるのでは。もっとも、ぼくはドストエフスキーすらも読んだ記憶が無いんだけれど……。

カラマーゾフの兄弟』。驚異的な文学少女だった姉は、中学高校の6年間で『カラマーゾフ』を通算6回読破したとか言っていた。1年に1回ペースだ。いったいどういうコトなんだろう。姉のエネルギーの原動力は何なのだろう。体力も気力も、ぼくは姉に負けっぱなし。根本的なエネルギーが不足しているから、不測の事態に直面してこんなに凹(へこ)んでしまうのか……。

不測の事態とはもちろん、麻井先輩にまつわる件。チカラ無くタブレットを勉強机に置き、かなり深く嘆息する。

朝食はどうしよう……と思う。ダイニングに、行くべきか、行かざるべきか。ぼくが朝食を抜いたら、邸(いえ)のメンバーに心配されそうだ。心配されるとさらに辛くなりそうだ。ならば、わずかな気力を振り絞り、階下(した)のダイニングにパンを焼きに行くべきだろうか。しかしながら、肝心の食欲が、それほどでもなく……。

クロワッサン1つぐらいならお腹に入るだろう。しかし、クロワッサン2つになると怪しい。食べないとカラダに毒なのは分かっている。痩せている方だから、食事を抜きすぎない方が良い。しかしクロワッサン2つすらも重い。

行くべきか行かざるべきか。たかが朝ご飯のコトで、ハムレットのように悩む。もっとも、ぼくは『ハムレット』を読んだコトも観たコトも無い。あの有名ゼリフだけを切り抜いて、ハムレットぶっているだけなのだ。

今にも両手で頭を抱えそうな勢いで悩みの袋小路(ふくろこうじ)に差し掛かっているぼくの背後で何かが震える音がした。スマホだ。スマートフォンだ。枕元のスマートフォンがヒステリックに震えている。

のろのろとスマートフォンに歩み寄り、誰からの着信なのか確かめる。

『板東 なぎさ』

なんというコトか。よりによって……!!

板東(ばんどう)なぎささん。高校時代、ぼくの1つ上の先輩だった女子(ヒト)。すなわち、麻井先輩の1つ下の後輩だった女子(ヒト)。

 

× × ×

 

「ハローハローハロー羽田くん。元気〜〜?」

「板東さんの3分の1未満です」

「エッなにそれ」

「だいぶ沈んでます」

「気落ち!? 日曜の朝からそんな状態で大丈夫!?」

「大丈夫じゃありません。……朝ご飯を食べられたら、少し改善されるかもしれないですが」

「ふぅーーん」

やはり朝食に赴くべきだ、どうにかして、束縛してくる気満々の板東さんを振りほどけないモノか……と考え始めていたら、

「羽田くん? 朝ご飯の前段階(まえだんかい)でさぁ……」

「はい? なんでしょうか?」

「わたしに向かって、ココロを開いてちょーだいよ」

非常に嫌な汗が流れた。

汗は止まってくれそうにない。背中に大きな汗の粒が浮かぶのが分かる。

「大丈夫じゃないなんて言うってコトは、不調をわたしに訴えたい気持ちアリアリなんじゃん?」
「あ、アリアリでは、ありませんが」

「声が震えてるよん」

うっ……。

「どーしたん? 抱え込んでる問題でもあるん? おねーさんがお話聴いてあげよっか??」

軽快とも軽薄とも解釈できる板東さんの口ぶり。さらなる辛さが出てきてしまう。

ぼくは、やや強引に、

「そもそもですねぇ」

とコトバを絞り出し、

「どうして板東さん、ぼくにモーニングコールを? 理由や動機を知らないままはイヤなんですが?」

と、電話をかけてきた真意に話の焦点を移そうとする。

が、

「なんとなくだよぉ♫」

と、彼女はおフザケ気味の声で……!

「板東さんはフィーリングで男子に電話をかけるんですか!?」

ぼくのコトバの苛立ちが露(あら)わになっていってしまう。

スマホの向こうの彼女が、麻井先輩が邸(ここ)に「2泊3日」した事実を仕入れていたとしたら、この上なく恐怖だ。それがいちばん怖い。触れられたら、傷口が開く。そうなったら、喚き立ててしまいそうだ。廊下まで大きく響く喚き声を出すのを避けられなくなってしまいそうだ。

怯え混じりに突っぱねて、

「どうしてもぼくと喋りたいのなら、お昼を過ぎてから、かけ直してください。30分以内なら、相手してあげますからっ!」

「えええーっ。午後からなんて、ダメだよぉー」

「なぜですか!? ダメな根拠を簡潔に述べてくださいよ」

「巧(たくみ)くん」

「く……黒柳(くろやなぎ)さんが、なにか? 板東さんと同期でなおかつ板東さんの彼氏たる、黒柳巧(くろやなぎ たくみ)さんが、なにか??」

「わたし、巧くんと、午後から、デートっ♫」

 

× × ×

 

……放り投げたスマホに傷が付かなかったのは良かった。