桐原高校でも3年生が自由登校になり、校内がいくぶん静かになった気がする。
放課後、旧校舎に足を踏み入れたとき、
『麻井先輩は、もうKHKに来ることはないんだろうか?』
そう、ふと思った。
麻井先輩のいない、KHKの【第2放送室】で、板東さんに訊いてみる。
「麻井先輩に会う機会は――卒業式まで、ないんでしょうか?」
「――会いたいの? 羽田くん」
「会いたい、というか……丸一ヶ月顔を合わせる機会がないというのは、もったいないというか……」
「呼んでみようか?」
スマホを取り出す板東さん。
「む、無理に呼ばなくても。麻井先輩は麻井先輩で、やるべきことがいろいろあるんでしょうし」
「そうねえ」
板東さんはテーブルにスマホを置いて、
「私立の受験も始まっちゃうしね……彼女の本命は、国立だけどさ」
桐原高校はなんだかんだで進学校だ。
自由登校とは、ほぼ、受験のための自由登校、という意味合いだ。
「やっぱり、KHKどころじゃ、ないですよね」
「……でもさ」
「?」
「わかんないよ」
「??」
「自由登校っていうのは、学校に来ないのも自由だけど、学校に『来る』のも自由なんだから。――受験の合間をぬって、ひょっこりKHKにやって来たりして」
「来ますかね……?」
「このままお別れ、ってことは、わたしはないと思う」
たしかに……。
「ま、これからは、麻井先輩抜きでがんばっていかなくっちゃね。ね? 黒柳くん」
突如黒柳さんに話を振る、新会長の板東さん。
「じゃんじゃん新しい番組を考えていこうよ!」
そう言って、身体(からだ)ごと、黒柳さんに迫っていく板東さん。
「ヤケに……積極的だね」
黒柳さんはたじろぐが、
「黒柳くんが消極的すぎるの」
と指摘する板東さんの距離の近さに、よりいっそうタジタジにたじろいでしまう。
「黒柳くん、」
黒柳さんに迫りくる板東さんが言う。
「ラジオがいい? テレビがいい?」
「え……どういう意味!?」
「ニブいなあ。そんなんじゃ、彼女もできないよ?」
「……」
見かねて、口を挟むぼく。
「『新しく作る番組を、ラジオ番組にするか、テレビ番組にするか、どっちがいいと思うか』という趣旨のことを、板東さんは黒柳さんに尋(たず)ねたんだと思います」
「……そうなのか」
「そうだよ。羽田くんが解説してくれた通り。ようやく把握してくれたみたいだね」
「……『ラジオとテレビのどっちが好きか?』っていう質問じゃ、なかったんだね」
「ニブすぎるよ黒柳くん」
「ごめん……」
「KHKの活動に引きつけて考えてよ。番組制作の話をしているの」
「ごめんよ、板東さん……」
「謝るのは2度までだよ。3回続けて謝ったら失格なんだから」
「しっ、失格……??」
× × ×
『失格』の意味が判然としないまま、解散になった。
――『ラジオとテレビのどっちが好きか?』、か。
ぼくは――やっぱり、テレビかな。
× × ×
「お姉ちゃんは、ラジオとテレビのどっちが好き?」
ぼくの部屋に押しかけて、受験勉強に勤(いそ)しんでいた姉。
ひと段落したのか、勉強の手を止めて、あすかさんが作った校内スポーツ新聞を、鼻歌を歌いながら読んでいたところだった。
パサリ、と読んでいた校内スポーツ新聞を置いて、
「どうしてそんなこと訊くの?」
「…ごめん、いきなり、だったよね。お姉ちゃん、あすかさんの新聞読んでたのに」
「むやみに『ごめん』って言うもんじゃないの、利比古」
「ん…」
「『ごめん』ばっかり言ってたら、反則負けにするよ」
――板東さんみたいなこと言ってる。
姉は穏やかな微笑みで、
「――利比古は放送系のクラブ活動やってるから、そういうことが気になっちゃうんだよね」
「うん、きょう、KHKで、会話の流れで、そういう話が出てきて」
「わたしが、ラジオとテレビのどっちが好きか、ってことよね?」
コクンとうなずく。
「利比古はぜったいテレビ寄りだと思うけど」
「…まぁ、わかるよね、お姉ちゃんには」
「わたしは…どっちも好き。ラジオもテレビも」
「ズルいよ、その答えは」
「だってズルいもん、わたし」
「……自分で言わないで」
姉は構うことなく、
「わたしの部屋にはテレビがないから――自然、ラジオを聴く時間が、多くなる」
「そんなものかなあ」
「ただでさえ、テレビがなくて寂(さみ)しいんだし、ラジオがなかったらもっと寂しいでしょ」
「そういう理屈なんだ……。意外だな、お姉ちゃん、そんなにラジオを頼りにしてたんだ」
「部屋ではけっこう聴いてるよ。意外かもしれないけど」
ラジオリスナーとしての、姉の知られざる一面。
「東京は、放送局も多いし」
「AM? FM?」
「そりゃ圧倒的にFMよ」
「やっぱり、FMなんだ」
「AMは『脂っこい』し」
「どういうたとえ……」
「AMはなんだか落ち着かないでしょ。しゃべり多いし。しゃべりの、内容的にも」
「なんとなく、言ってることはわかるよ…」
「NHK-FMが好き」
「へぇ」
「音量絞ってNHK-FM流しながらベッドに入ると、すぐに寝落ちできる」
「へぇ……」
「もちろん、テレビだって好きよ?」
「……ぼくはお姉ちゃんのテレビ好きも意外なんだよな」
「うそっ」
「ほんとだよ」
「どうしてよ」
「読書家とテレビって、相容(あいい)れないイメージなんだ」
「ずいぶん勝手なイメージじゃない? それ」
「だって――、本を読む時間のぶん、テレビを視(み)る時間が減るはずなんだよ。それなのに、お姉ちゃんはけっこうテレビも視てるよね? ぼくより何倍も読書してるのに、テレビを視る時間はぼくとさほど変わらない」
「――そこが、不思議だってこと?」
「不思議すぎるよ」
「ふ~~~ん」
「あのさ」
「ん~?」
「根本的な疑問だけど……、
いつ寝てるの? お姉ちゃん」
「……そんなことより、あしたのテレビ番組の話でもしようよ」
「はぐらかすんだね。」
「Mステあるよ、Mステ。Mステの話、しようよぉ~」
「Mステと弟と、どっちが大事なの!!」
眼を丸くして、ぼくの顔をみつめる姉……。
「――答えてほしいな、ぼくは」
ぼくの勢いに圧倒されて、困りに困り切った果てに――、
「……利比古のほうに……決まってるよ」
やれやれ。
「はい、合格。」
「利比古に……叱られちゃったっ」
「しょげてる暇ないよ、お姉ちゃん」
「……ショックでMステ観る気がなくなっちゃったっ」
気分屋だなあ……。
睡眠不足だから、こんなに気難しいんでは?
ほんとに、いつ寝てるの、お姉ちゃん。
謎。
とりあえず……Mステ観ないんだったら、その時間は、受験勉強に充(あ)ててほしいな。
また、きょうと同じく、部屋に押しかけてきそうな予感がありありだけど。