【愛の◯◯】俳句崇拝だけでなく

 

高野素十(たかの すじゅう)という俳人がいるらしい。高浜虚子の弟子で、「ホトトギス」の有名な俳人だったという。

その高野素十なる俳人について、句が如何に素晴らしいのかを喚き立てるようにして話しまくっている男子(ひと)が居る。「客観写生」というワードを盛んに混じえながら、その男子(ひと)は高野素十を称揚する。

彼は、丸田吉蔵(まるた よしぞう)くん。わたしと同い年。通っている大学が違うし、繋がりがあるはずも無かったのに、諸々の経緯によって繋がりができてしまった。

わたしの実家たる喫茶店『しゅとらうす』に丸田くんは来店しているのである。マスターたるわたしの父は彼にすっかりと馴染んでしまっていて、延々と会話に花を咲かせている。

父が丸田くんとのお喋りにうつつを抜かしているので、わたしが接客を頑張らなきゃいけない羽目になっている。俳句(というか文芸全般)に疎い父と、俳句信者みたいな丸田くん。ふたりが奇妙に折り合う。折り合いが良過ぎて、お喋りを強制的に聞かされながらコーヒーを他のお客さんに運ぼうとすると、トレーを強く持ち過ぎて、コーヒーカップの中のビターブレンドが波打ってしまう。

ビターブレンドを注文したお客さんの前にどうにかカップを置きつつ、

「あっちの様子が迷惑でほんとうにすみません」

とお詫びするも、

「良いのよ良いのよ。あのやり取り見てるの飽きないんだから」

と、中年の御婦人から言われてしまうのである……!

 

× × ×

 

『俳句の何が良いの』

丸田くんに向かって、このひとことをぶつけてみたくなる。

芭蕉だったり蕪村だったり一茶だったり子規だったり虚子だったり、彼らの句を嫌っているワケではない。好きな句もある。でも、丸田くんが俳句のコト以外何にも喋らないんだから、ストレスが込み上げてきて、俳句という表現形式の価値を著しく下げてしまいたくなる。

わたしが『短歌派』であるというのも作用しているのは否定できない。勅撰和歌集を読んだり、近現代の短歌を漁ってみたりする一方で、実作にも取り組んでいるのである。女子校を卒業した時、文芸部の仲間と詩歌専門の同人誌を作った。その同人誌にわたしの歌が多く掲載されている。短歌にそれくらいこだわりがあるからこそ、全身俳句人間みたいな丸田くんと張り合ってしまうのかもしれない。

 

「3時間も長居してしまったので、そろそろ帰ります」

あたかも律儀であるかのように、丸田くんが父に告げた。

父はそれを承け、

「ありがとう楽しかったよ。丸田くん、きみは確か、帰る時の駅が――」

と、彼が帰りの電車に乗る駅の名前を言ったかと思うと、

「ちょうど良かったなあ」

とか言い出し、背筋に冷や汗が産まれてきたわたしに向かって、

「あの駅の近くのスーパーで買って来てほしいモノがあるんだよ。ほのか、丸田くんについて行ってあげなさい」

ゾクリ、となる。

そして、父への不満も沸き上がってくる。

スーパーへの「おつかい」だなんて、丸田くんが帰るのとタイミングずらしたって良いでしょっ。どうして、「一緒に行かせる」っていう発想になるの!? おとーさん、いつもいつも、目に余るようなコトばかり言って……!!

「なんだぁほのかー。『おつかい』が、そんなにイヤか〜? 今、行ってきてくれたら、『おこづかい』を津田梅子1枚ぶん渡してやるのに」

津田梅子1枚。すなわち5000円。

おとーさんの『おこづかい宣言』に捕らえられてしまったわたしは、おとーさんの立っているカウンターの方を思わず見てしまった。5000円は、大きい。実家の店手伝い以外で収入の無いわたし。5000円は魅力だ。ちょうど、是非とも購入したい本が、計5000円分ぐらいあったのである。

わたしは、おとーさんに屈してしまった。5000円に駆り立てられて、丸田くんとふたりで道を歩くのに前向きになってしまった。

 

× × ×

 

「いやぁ〜、暑いねえホント。ね、ほのかさんだって、そう感じるでしょ?」

もうすっかり、丸田吉蔵くんという男子は、わたしに対し馴れ馴れしい口調である。

8月中旬の道。うだるような暑さ。わたしも彼も薄着。

彼の横を歩くけど、彼の顔は一切見てあげない。そんな態度のわたしは、

「でも、丸田くんの認識では、今の季節は『秋』なんでしょう? 『初秋(しょしゅう)』ですよね」

「そうだね。秋、立ったね」

「秋来ぬと目にはさやかに見えねども――」

「風の音にぞおどろかれぬる」

「……ご存知だったんですね。『古今和歌集』の、藤原敏行の歌」

「えええーっ」

突拍子も無いビックリ声を発した彼は、

立秋というモノの本意(ほんい)の和歌なんだから。歳時記にこの歌はよく引用されてるし、おれだってこれぐらい暗唱できるって」

ふぅん……。

「あと、ほのかさんはなんでおれに対して敬語? もっとくだけた口調でも良いのに」

ふうぅん……。

彼のデリカシー欠乏が、よーく理解できた。

ので、

「丸田くん。俳句や和歌のコトから、強引に話を逸らすようだけど」

と、くだけた口調になってあげて言い、

「わたし忘れてないよ。丸田くんと戸部アツマさんに、接点があるってゆーコト」

「忘れてなくて嬉しい。アツマさんのコトはとっても尊敬してるから。おれのジムの偉大なる先輩であるし」

「ボクシングジム。丸田くんのもうひとつの特技が、ボクシング」

「うん」

「戸部アツマさんは、わたしの知り合いでもあって、どうして知り合いかと言うと、わたしの尊敬する先輩女子の羽田愛さんと恋人同士だから……」

「現在(いま)、ふたり暮らしなんだよね?」

「そこまで話した!? ちょっと憶え無いんだけど。どこで情報拾ってきたのかなぁ!?」

「ムキにならないで、ほのかさん」

「なるよ」

苦々しくも、わたしは、

「羽田センパイのコトはとってもとっても尊敬してるし、大好き。でも、彼女のパートナーのコトは、尊敬できないっ。苦手!」

「その苦手意識が、不思議な意識だと思うんだよね。なぜに、アツマさんが、苦手?」

「パンチしたくなっちゃうもん。アツマさんと出会ったら」

「加虐趣味、みたいな?」

「どうしてそんなヒドいコト言うのっ!!」

「ひゃあ」

「加虐趣味とは違うよっ。わたしの眼からは、アツマさんは、ちゃらんぽらんに見えちゃうのっ」

「分かんないねー。おれには分かりかねる。誰がどう見たって、アツマさんには尊敬する要素しか無いと思うのに」

それは丸田くんが一面しか見てないからじゃないのっ? わたしは、アツマさんを長年見てきて、ちゃらんぽらんだとか、そういう判断をハッキリと下してる。丸田くんとは違うの。ちゃんとした眼でアツマさんを見られるのは、わたしの方。

「ところで」

なんなの丸田くん。まだ何かあるってゆーの。アツマさん崇拝の付け足し??

「ほのかさんが、アツマさんにパンチをするとしたら、いったいどの辺りを狙って打つの? きみは、彼のカラダのどの部分に、パンチをぶつけたいの?」

はいぃ!?!?