【愛の◯◯】『約3年半』が重たい

 

羽田利比古と約3年半ぶりに顔を合わせた。

羽田のイケメンの度合いが、変わらないどころか、上昇していた。最後に会った時16歳だった羽田は、明日の誕生日を迎えると20歳になる。もはや「少年」とは言えなくなる。「青年」になっていく。その事実が、羽田の顔を直視するコトで、読み取られる。読み取られてしまう。否応無しに。コドモくささが感じ取られない。オトナびた見た目になっていると予測はしていた。もちろん予測はしていた。でも、羽田の『成長』という現実にイザ向き合ってしまうと、アタシのココロの準備が全部ムダになっていってしまう。

 

今、向かいのソファに羽田が居る。羽田のお姉さんの愛さんがダイニング・キッチンで晩ごはんを調理してくれている。アタシは晩ごはんが出来るの待ちだった。このお邸(やしき)の壮大なるスケールのリビングで、長テーブルに置かれていた新聞に眼を通しつつ、お料理を待機していた。そうしていたら、アイツが、羽田利比古が、リビング付近に姿を現してきた。その時、アタシは慌てて新聞を畳んだ。畳み方が雑になり、新聞にシワができてしまった。

半分顔を向けてあげて、半分顔を逸らしてしまう。それが、再会した羽田利比古に対するアタシの態度だった。顔を見続けたり、眼と眼を合わせ続けたりするなんて、無理だ。アタシのカラダが許してくれない。真向かいの羽田というオトコを見過ぎると、胸やお腹の奥底から、恥ずかしさのような感情がひとりでに湧き出てしまう……そんな確信があった。絶対に、コイツの眼の前で、自分の顔面を炎上させたくない。

自分の◯◯を考える一方で、羽田の◯◯も考える。アタシが久々に羽田に会ったのを裏返せば、羽田も久々にアタシに会ったというコトになる。羽田は何を考えてソファに座っているんだろう。約3年半の空白は羽田にもあったのだ。約3年半の間に、コイツはいったいどれだけアタシのコトを意識にのぼらせたんだろうか。アタシと関わった過去を、どのぐらい想起してくれたんだろうか……。

「麻井先輩」

少しビクリ、となった。羽田がアタシに呼び掛けた。

シワのできた新聞を持ち続けのアタシに、

「新聞を読んでたんですね? やっぱり先輩はスゴいですよね。ぼくは、一般紙なんてなかなか読めませんよ。テレビ欄なら熟読するんですけど」

と言ってくる。

クシャッ、と音が鳴ってしまいそうなぐらい、新聞を持つ手に余分なチカラが混入してしまう。

『そういうとこは全然成長してないんだね……』

そんな攻撃的なコトバが、胸の中で明確に形作られる。だけど、口にするコトはできない。溜め込む。溜め込んでしまう。アタシの弱いトコロ。

コトバを溜め込み、弱いトコロを自覚する。溜め込んで自覚してしまった反動で、悔しさみたいなモノが込み上げる。その悔しさみたいなモノを抑えつけようとするあまり、今度はイライラするような感覚がアタシを蝕んでくる。

アタシと羽田に対し、平等にムカムカする。一般紙ではテレビ欄にしか眼を通さない羽田の顔を、今は、見られない。上手に見られないし、素直に見られない。

苦し紛れに、

「アンタは……新聞は、スポーツ新聞ぐらいしか、読まないってワケ?」

と、無力な問いを発する。

問いを発したのとほとんど同時に、左サイドから誰かがこの空間に歩み寄ってくるのを、アタシは察知した。

左を見る。女の子が立ち止まっている。155センチぐらいだけど、とても小柄なアタシよりも10センチほど高い背丈。羽田の姉の愛さんと違って、黒髪で、肩までのストレート。淡い水色の爽やかなショートパンツと、アバンギャルド現代アートみたいなモノが大きく描かれた白地のTシャツ。

戸部あすかちゃんだった。

あすかちゃん。アタシより1つ年下の、このお邸の娘。戸部アツマさんの妹。羽田の姉である愛さんの恋人であるアツマさんの妹である女の子。

彼女は、羽田利比古が高校に入学してから、ずっと「ひとつ屋根の下」で暮らしている。つまり、桐原高校でアタシと羽田が出会った時から、あすかちゃんと羽田は、約3年半、このお邸に同居し続けている。

「麻井さん」

あすかちゃんに、呼ばれた。

「利比古くん、なんか変なコト言ったりしてませんでしたか?」

質問を付け加えたあすかちゃん。

「言ったといえば、言ってた。でも、そんなに変なコトを言ったワケじゃないのかもしれない」

要領の悪い返答しかできなかった。不甲斐無い受け答えしかできない自分をうらんだ。

あすかちゃんの方を見てあげて返答した。だけども、Tシャツに視線が当たってしまったから、思わずその視線を逸らしてしまった。デリケートな理由、オブラートに包むべき理由で、彼女の上半身を直視しないコトをアタシは選択してしまう。

「ふむふむ……」

と言いながら、羽田が着座している方のソファに彼女は近付いていき、

「利比古くーん。あなた、麻井さんを動揺させるような発言をしちゃったんじゃない?」

と、たしなめるように言う。

『あなた』。2人称。あすかちゃんが羽田に対しそんな2人称を使うのは、意外だ。彼女の見た目から、『あなた』という2人称を使う根拠が見出だせないのだ。羽田の姉の愛さんだったら分かる。愛さんなら、『あなた』という2人称は良く似合う。だけど、あすかちゃんには、そういう2人称は……。

「麻井さんは新聞読んでたみたいだけど、彼女が真剣に新聞読んでるトコロを、あなたがジャマしたんじゃないの?」

また彼女が『あなた』という2人称を使った。

そして、彼女の立ち位置は、羽田のソファの間近まで迫っていた。

「ジャマはしてないです。麻井先輩が新聞読んでる時にリビングに来たってだけです」

「ほんとーに、そーなの!? 余計な発言しちゃったとしか思えないんだけどっ」

あすかちゃんは羽田に怒り、胸の前で腕を組みながら、羽田とソファ1つ分だけ間隔を開け、着席する。

羽田は、あすかちゃんの勢いに負け、

「『ぼくは新聞はテレビ欄ぐらいしか読まないんです』とは……言いました」

「その発言がダメなんじゃん!! 『テレビ欄しか読みません発言』って、いちばんデリカシーの無い発言なんだよ!? 麻井さんを失望させる気なの!?」

勢いをさらに増すあすかちゃんの、罵倒。

胸の前で腕組みしたまま、長テーブルの上のシワクチャになりかかった新聞紙に眼を移し、

「新聞紙にシワができてるのが分かんないの!? 利比古くんがデリカシー皆無な発言したせいで、麻井さんが新聞を持つ手に余計なチカラが加わっちゃったんだよ」

なんて鋭いんだろう。なんて鋭い推理力なんだろう。

ここまで、見透かせる、理由。

それは、それはたぶん……約3年半の、『ひとつ屋根の下』の、蓄積……。

互いの蓄積に気が付いた途端に、ハッとした。

ハッとした後で、アタシの上半身が冷え始めているのを自覚した。

冷え性とかじゃない。クーラーが効き過ぎているワケでもない。冷たい飲み物を飲み過ぎたワケでも、もちろんない。

肩。胸。お腹。その他も。

顔が青くなってしまう寸前の如く、上半身を構成する部分が全て、温度を急激に下げていく。

あすかちゃんと羽田。この約3年半で、関わりを、積み重ねて。積み重ね過ぎなぐらいに、積み重ねて。

あすかちゃんと羽田は積み重ね続けた。アタシと羽田には何の積み重ねも無かった。

約3年半、一切、顔を合わせなかった。それの、強烈なしっぺ返しだった。

襲う後悔。それが起点になり、アタシと羽田の関係とあすかちゃんと羽田の関係とを比較するのを抑えられなくなる。

較(くら)べたらダメ。羨むのもダメ。嫉妬なんて絶対にダメ。

だけど……冷たくて、寒い。

冷や汗と悪寒。心理的なモノが、実体を伴い、アタシのカラダに出てきてしまう。

冷や汗も悪寒も絶対絶対さとられたくない。

さとられたくない対象が、眼の前の男女の、どちらなのか……。火を見るよりも、それは、明らかで。