【愛の◯◯】触れんばかり、と思いきやパンチ

 

追いかけてきたあすかさんが、ノックもせずにぼくの部屋に入ってきた。

「なんなんですか、あすかさん。明日の準備をして早く寝たかったんですけど」

「まだ早いよっ!」

「早くないです。もう夜の10時です」

「大学の授業の準備とかにそんなに時間がかかるの!?」

あすかさんは苛立ち半分、呆れ半分だ。

勉強机の前に立っているぼくに向かってずんずん接近してくるあすかさん。

「ぼくに詰め寄ってくる前に用件を教えてくださいよ」

「用件は1つしかない」

なにか紙袋のようなモノを彼女は右手に携えていた。

その場に腰を下ろし、紙袋のようなモノの中身をドバッと放出する。

『PADDLE(パドル)』。彼女が編集に携わっているミニコミ的雑誌なワケなのだが、

「わたしが書いた記事の誤字を利比古くんに見抜かれたのが悔しかったの。今まで書いてきた記事を読ませて反撃したかったの」

「理屈がおかしくないですか。ぼくに記事を読ませるコトでダメージを与えられるとでも?」

「あなたがさっき誤字を見抜いた記事は、わたしの書いた記事としては出来の悪い方だった。でも、ここに持ってきた分の『PADDLE』に書いた記事のクオリティならば、あなたを黙らせられる」

「つまり、『わたしの文章力にひれ伏せ!』と。そんなワケなんですね」

「だいたいあってる」

「でも、ぼくが再度誤字を発見したら、どうするんですか?」

勢いだけで行動していた彼女の顔に動揺が兆し、

「ど、どうするもこうするも、ないっ。誤字なんか無かったと思うし。ほ、ほらっ、『弘法にも筆の誤り』ってことわざがあるじゃない!? あの誤字は弘法大師の筆の誤りだったんだよっ」

「文章力には99パーセント自信がある。でも、残りの1パーセントで間違えちゃう時もある。……こういうコトが言いたいんですか」

「99パーセントじゃない。99.9パーセント。わたしが誤字るのは、1000回に1回なんだからっ」

「大きく出ましたね」

彼女は黙って1冊の『PADDLE』を差し出し、

「読んでよ」

と促す。

『やれやれ……』という気持ちが充満しているぼくであったが、床に腰を下ろし、促された通りに、差し出された『PADDLE』を読み始める。

 

あすかさんの書いた長文記事に隅々まで眼を通したら15分が経過していた。

「どうなの!? これなら納得でしょ!? わたしは1000回に1回しか間違えない。さっきリビングで誤字が発覚した記事は、1000回に1回のミステイクだった。あなたが今読んだ文章に、本来のわたしの文章力が……!」

彼女の1000分の1もテンパっていないぼくは、

「誤字は見当たりませんでした、と、言いたいところなんですが」

「……?」

「残念ながら、『数字』が1つだけ間違っていました」

「す、数字って」

「1『9』69年と書くべき箇所が、1『8』69年になっていたんですよ。ここをよーく見てください」

青ざめる彼女に対しやや前のめりになり、開いたままの当該ページを見せる。

彼女の眼がとっても大きく見開かれ、

「あ、あ、ああっ」

という悲鳴のような声が口から露出し、顔面の蒼白のレベルがどんどん上がっていく。

「1000回に1回しか間違わないはずなんですよね? だけど、今晩だけで2回も間違いが発覚した。これはつまり……」

彼女は、自分が書いた記事に数字間違いのあった『PADDLE』を強奪。

そして、ぼくの前に並べられていた他の『PADDLE』も全て回収。

部屋に持ち込んできた『PADDLE』全部を、これ以上見られたくないが如くに、後ろに隠す。

それから、視線をまっすぐに床に突き刺す。青くなった顔を見られたくないのだろう。

ひたすらに俯き続けるような予感がしてくる。

床座りのまま、真下(ました)向き目線のまま、ぼくに向かって躙(にじ)り寄ってくる。

彼女の次の行動がある程度読めてしまった。

4年以上もひとつ屋根の下なのだ。彼女の行動のパターンが丸っ切り読めないはずも無いのだ。

彼女は、あすかさんは、ぼくの眼の前。

『触れんばかり』という表現がまさに当てはまる。

前屈み。

しかし、当然ながら、ぼくの胸に飛び込んでくるだとか、そんなワケあるはずも無く。

「……としひこくんのばか。」

そう呟くと同時に、結構な腕っぷしの強さで、ぼくの胸の下をパンチしてくるのであった。