南浦和の某・カフェレストランに来ている。
午後3時台なんだけど、ランチタイムまでしか営業しないから、もう閉店後。
わたくし戸部あすかは、このお店でアルバイトするコトになった。
いわゆるコネクション、である。
お母さんのコネクション。
お母さんが、亡くなったお父さんと、出会った場所であるという。
「明日美子さんは元気か?」
お店のご主人に訊かれた。
「ハイ。1日の半分ぐらいは寝て過ごしてますけど」
「あはは。だから元気なんだろう」
「確かに」
ご主人が、少し真面目な表情になって、
「昨日は、お彼岸だったわけだが……」
「もちろんお墓参りに行きました」
わたしは答えて、ご主人から視線を外さない。
「そうか」
ご主人は近くの丸テーブルの席に眼を向けて、
「あすかちゃん。ちょっと座って話さないか。良馬先生……きみのお父さんと、明日美子さんの『馴(な)れ初(そ)め』について、教えたくなってきた」
× × ×
「当時は夕方以降も営業していたわけだが」
やや上目遣いにご主人は話す。
「良馬先生は埼玉県の某大学で講師をしていた」
「行きつけのお店だったんですね」
わたしは、
「武蔵野線が通ってるから、行きやすかったのかな」
「そうだろうね」
ご主人は眼を閉じ、やや下向きになる。
それから、
「ある日のコトだった。明日美子さんが、初めて店にやって来たんだ」
「もしかしてお母さん、その頃、高校生……」
すぐにご主人は頷いた。
わたしのお父さんと同年代のご主人。
ご主人があとで知ったコトだが、お母さんは、家に帰りたくなくて、京浜東北線を途中下車して、このお店にたどり着いたのだという。
わたしはビックリした。
『家に帰りたくない』。
あのお母さんにも、『そういう時期』があったなんて。
思春期的で、反抗期的な。
「驚いてるの? あすかちゃん」
「……ハイ。初耳だったし、今のお母さんと女子高生時代のお母さんが、うまく結びつかないので」
微笑のご主人。
「まあともかく、彼女がここに迷い込んできた時が、彼女と良馬先生の初めての出会いだったわけだ」
のちの夫婦の出会い。わたしのお父さんとお母さんの出会い。
女子高生だったお母さんはお店を気に入り、よく出入りするようになった。
「良馬先生が僕たちに学問的なコトを話すのを聴いてるのが、彼女には楽しかったみたいだ」
最初は接点が無かった。
しかしある日。
お母さんが、店を出るとき、自分の席に密かに手紙を置いた。
「良馬先生にこの手紙を渡してください、という旨のメモが付いてたよ」
そこからふたりは知り合った。
やがてお母さんは大学に進学する。
南浦和まで行くには赤羽で乗り換えなければいけない大学なのだが、それはそうとして、
「大学生になってからも、彼女はここに通い詰めてたよ」
「距離が、縮まっていって」
「そういうことだ」
感慨深そうにご主人は頷く。
それからお母さんは出版社に就職する。
お父さんは出身大学の助教授になる。
そしてそれから、お母さんがお父さんの担当編集者になる。
偶然、である可能性は……低い、と思う。
「ふたりとも職場が東京になったけど、今度は店が打ち合わせの場所になってね。ずーっと常連のままだった、というわけ」
ボックス席で向かい合って、楽しそうに幸せそうに打ち合わせをしている。そんなお父さんとお母さんのイメージが脳裏に浮かぶ。
「結ばれるのには、時間は要らなかった」
そう言ってから、ご主人は無言になった。
BGMの無い店内。
わたしは上手なコメントを口から出すことができない。
× × ×
お母さんが敢えて、『昔のコト』を話さなかったのは、大切な想い出をしまい込んでおきたい気持ちが、とても強かったから。
× × ×
「ほんとうに、ここで打ち明けて良かったものか。きみにバイトで来てもらうコトになったから、ちょうどいいと思って、自分勝手に語ってしまった。明日美子さん……きみのお母さんは、怒っちゃうかもな」
即座にふるふる、と首を横に振って、
「怒りませんよ。お母さんなら、絶対に怒らない」
と言い切る。
「ステキな関係ですね。わたし、そんなふうに、だれかとステキな関係を結べるかな」
ご主人同様に感慨深くなったわたしは、そう言って斜め下向き目線になる。
だけど、
「気になるオトコノコ、居ないの?」
というご主人の問いが来て、思わず視線を急上昇させてしまう。
ご主人は面白そうにわたしの狼狽(うろた)えを見つめる。
わたしは諸々の理由で狼狽えを止められない。
諸々の理由で、口ごもる。
諸々の理由で、焦り通しになる。
両膝の少し上に両腕をくっつける。ご主人の顔を少しも見られない。
時間だけが過ぎていく。