羽田愛さんが『プチ帰省』しているお邸(やしき)に行って、彼女と楽しいひと時を過ごしていた。
「なぎさちゃん。ごめんけど、用事があって外出しないといけないの」
「どうぞどうぞ。いってらっしゃいませ」
ソファから愛さんが立ち上がる。
このタイミングでわたしは、
「愛さん。『いってらっしゃいませ』、なんですけど」
「え?」
「外に出る前にお願いしたいことがあって」
「なにかしら?」
「『おねえさま』って呼んでもいいですか」
「……あーっ」
尊敬する愛さんが可愛く苦笑いして、
「ご自由に」
と言うもんだから、わたしは早くも、
「おねえさま!! 戻って来られるのを楽しみにしておりますわ」
と、わざとヘンな口調で『おねえさま』たる愛さんに叫ぶ。
愛さんが出ていき、リビングは一旦わたしだけの空間に。
少ししてから、この邸(いえ)の主(あるじ)の戸部明日美子さんがにゅ~っ、と姿を現して、
「愛ちゃんもう出ちゃったのね」
「ハイ、先程」
わたしから見て左斜め前のソファに腰を下ろし、
「なぎさちゃんは愛ちゃんのことが本当に大好きよね」
「モチロンですよ」
うふふ、と明日美子さんは軽く笑い、
「尊敬してるのが良く伝わってくるわ」
と言ってから、
「今日は振替休日なのに、なぎさちゃん、彼氏の巧くんとのデートよりも、愛ちゃんに会いに行くほうを優先させちゃうんだもの」
『痛いところを突かれちゃった』と思いはしたけれど、
「……まあ、わたしも巧くんも大学生ですし、平日であっても会えるんで」
「ホントよね~~。大学生カップル。わたし羨ましい」
× × ×
『今週中にデートはしなきゃな』と思った。
明日美子さんが『ダイニング・キッチンに美味しいお菓子を置いてあるから』と言うので、そのお菓子を求めにダイニング・キッチンに入る。
そしたら、明日美子さんの娘たる戸部あすかちゃんが巨大な冷蔵庫の前に立っていた。
「あすかちゃん」
こちらから声をかけて、
「おはよう」
とご挨拶。
もう午前中ではないのだが、
「おはよ」
と挨拶を返してくれる。
それからあすかちゃんは冷蔵庫を開け、午後の紅茶ミルクティーのペットボトルを取り出す。
午後ティーのペットボトルをどん、と置くあすかちゃん。
椅子に腰掛け、
「なぎさちゃんも座ったら?」
ダイニングテーブルにお菓子の箱は置いてあった。
わたしはあすかちゃんの言う通りにする。
お菓子の箱を挟んで、ダイニングテーブルで向かい合い状態。
互いに大学生なのである。
もう睨み合いとかにはならない。
過去に睨み合いが無かったとは言い切れない。
というか、あった。バトルした。
だけど、そんなこと水に流す時期。
『そこは、あすかちゃんだって了解してくれてるよね……』と思っていたら、
「言ってなかったんだけどさ」
と向かいの彼女が口を開き、
「なぎさちゃんの通ってる大学、わたしのお母さんが出た大学と同じなの」
へえぇ……。
「それはすごい偶然だね」
素直に言うと、
「ま、偶然だよね」
と言って、あすかちゃんはグラスに午後ミルクティーをどぼどぼ注(そそ)いでいく。
ダイニングテーブルにはグラスがもうひとつあったから、
「なぎさちゃんもミルクティー飲みなよ」
と促してくれる。
素直にコップを差し出して、彼女に注いでもらう。
ひと口飲んで、
「でも、どーして『大学が同じだ』って話をしたの?」
と訊いてみたら、
「偶然ではあるけど、そういう縁(えん)があることは事実だから、言っておかなきゃなーって」
というお答えが。
「明日美子さんって、確か元・編集者……」
「そだよ」
それから彼女はグラスの中身を一気に飲み干し、
「いろいろあって『引退』したけど」
明日美子さんのダンナさん、すなわちあすかちゃんのお父さんは、あすかちゃんが小さい頃に病死している。
明日美子さんが出版界から『引退』した背景には相当デリケートな事情があるんだろう。
なので、今は、デリケートな方向に行きそうな話題を引っ張りたくなかった。
あすかちゃんへの配慮という意味合いもあり、まったく別の話題を振りたくなる。
だから、
「えーーっとさ」
と彼女に向かって言い、
「急にハナシを変えるみたいなんだけどさ……」
と言い、
「羽田利比古くんは、どんな感じかな??」
あすかちゃんは揺るがずに、
「どんな感じ、っていうと?」
「ほらほら、あなたと利比古くんはずーっと『ひとつ屋根の下』なわけでしょ。普段見ているんだから、彼の状態も具(つぶさ)に分かる……」
「じょーたい?」
揺るぎなき微笑の彼女。
「そ、そう。コンディションコンディション」
「元気だよ」
「げ、元気にも、いろいろあるよねっ」
「『元気』は『元気』だよ」
「……」
手強いあすかちゃん。
彼女は、微笑みを……絶やしていない。
今回は、敗色濃厚……??