アツマくんとあすかちゃんのお母さんの、明日美子さん。
とっても優しくて、いつもニコニコを絶やさないひと。
素敵な大人だ。
わたし――じぶんのお母さんよりも、明日美子さんを尊敬している、といっても過言じゃない。
べ、べつに、じぶんのお母さんが嫌いなわけじゃ、ないんだからね!?
仲が悪いとか、反抗期だとか、そういうわけじゃ、ないんだからね!?
明日美子さんに鍵を借りて、お邸(やしき)の地下書庫から、本を取ってきた。
ホットココアを飲んでいた明日美子さんは、戻ってきたわたしを見て、
「おかえりなさい」と言ってくれる。
「ただいまです」とわたしは返事。
彼女の視線が、わたしの手もとに移り、
「――珍しいわね。愛ちゃんが、書庫から、ハウツー本を持ってくるなんて」
たしかに、ハウツー本のたぐいは、めったに読むことがない。
でもきょうは持ってきた。
『かしこいひとり暮らしのメソッド』というタイトル。
比較的新しめの本で――出版されてから、10年も経っていないだろう。
実用性はあまり損なわれていない、ということ。
「愛ちゃん、ひとり暮らしでも、する気になったの?」
ズバリと明日美子さん。
まあ、そう訊かれるよね。
「いえ、その予定は、まだ。いますぐ邸(いえ)を飛び出すとか、そういうわけでは」
本心を、答えた。
「そうよねえ。わたしたちだって、愛ちゃんがお邸からいなくなっちゃったら、さみしくって仕方なくなるし」
――いつだって正しい、明日美子さんのことばに、ヒヤリとする。
ヒヤリとなって、しどろもどろに、
「だ、大学の、友だちが、ひとり暮らし、していて。ひとり暮らしって、どんな感じなんだろう、って」
「そうなの。女の子?」
「はい」
もちろん、大井町さんのこと。
わたしは、明日美子さんに、大井町さん関連情報を、少しだけ提供する。
「将来の夢が、絵本作家かー」
「……素敵な夢ですよね」
「わたし、児童書を編集したことも、あるのよ」
「そうなんですか」
「絵本じゃなかったけど」
「――あの」
「なぁに?」
「明日美子さんも……アツマくんやあすかちゃんに、絵本を読み聞かせてあげたりとか、されてたんですよね」
「してたわよ~。あすかのほうが、断然熱心に聴いてたわねぇ」
「やっぱり。」
「予想どおりでしょっ」
「完全に」
「――考えてみたら、アツマって、昔からほんの少しも変わってないのよね。ぶれてない」
「いい加減さが」
「そう。あの子のいい加減さは、筋金入りなのよね~~」
アツマくんを面白がって、ふたりで笑い合う。
……後ろから、にゅ~~っ、とアツマくんの気配。
笑い合いすぎて、バチが当たったんだろうか。
「……おれをネタにしてたんだな」
「おかげさまで、いいネタになったわ」
「母さんッ!」
「怒んない、怒んない」
「母さんは……もっと善人(ぜんにん)だと思ってたのに」
「あら、善人ってなぁに??」
「わ、悪口なんか言わないとか、そーいうことだよっ」
「悪口言ってたわけじゃないわよー」
「でも、いい加減さがどうだとか、聞こえてきてたぞ……」
「からかってただけ」
「そりゃ限りなく悪口だろが」
「アツマ」
「は?」
「いい加減さって、かならずしも、悪いばっかりじゃないから」
「うまいこと言おうとしやがってっ」
「……いい加減さもひっくるめて、わたしの息子だから」
「ぬな……」
「……ね? こころに留めておきなさいよ」
「『明日美子パワー』の……お時間か」
「そういうこと♪」
親子のやり取りに、笑いっぱなしのわたし。
「明日美子パワー発動させちゃったねえ、アツマくん」
彼は、大げさな舌打ち。
「あんまりじぶんのお母さんの手を焼かせちゃダメよ?」
「焼かせてねーよ、愛」
「アツマくんも、すっかりオトナなんだから」
「オトナ、ねえ……」
「アツマ、アツマ、」
「まだなんかあるんかよ、母さん」
「今夜、いっしょにお酒飲まない?」
「げっ、母さんと、かよ!?」
「オトナでしょっ♪」
「くぅっ……」
「1日に『明日美子パワー』2回発動は、高くつくわよ♫」
彼、うろたえすぎなくらい、うろたえちゃってる。
もう、爆笑を、こらえきれない。
× × ×
……ただ。
彼が逃げていったあとで。
地下書庫から取ってきた『かしこいひとり暮らしのメソッド』の表紙を、眺めつつ。
わたしは、真剣に。
「……明日美子さん。」
「どしたの? ずいぶんと真顔じゃない」
「……」
「お~い、愛ちゃ~ん」
「……わたし。
これからも。
これからも……ちゃんとしていきたいって、思っています」
「……?」