朝。
ダイニング・キッチンのダイニングテーブル。
真向かいに座る利比古くんが、いきなり頭を下げた。
「ホワイトデーのお返しをしてなくてすみません。ぼくの怠慢で、チョコを購入することもできずに……」
わたしは、
「いいんだよ」
と優しく許してあげる。
「でも、今日は既に、3月15日で」
「いいからいいからぁ。来年頑張ればいいんだしさ」
しかし彼の目線はどんどん下降し続けている。
「朝から沈んじゃダメだよ利比古くん」
「……」と沈黙の彼。もう沈没寸前な感じ。
「もーっ。せっかくわたしが励ましてるのにー。わたし、邸(ここ)では常に、あなたのお姉さんポジションでいたい、って思ってるんだけどなー」
弱く、
「すみません」
とコトバをこぼしてから、ゆるゆると椅子から立ち上がる彼。
ダイジョーブなのかな。
× × ×
夕方。
リビングでくつろいでいた。
週刊のベースボール雑誌を読み耽っていたら、テーブルに置いたスマートフォンがぶるぶると振動した。
利比古くんからの着信。
「どしたのー、としひこくーん」
「あすかさん。帰るのが遅くなります。お邸(やしき)のメンバーにも伝えておいてください」
「なんで〜?」
約5秒後、
「ホワイトデーのお返しを選んでるんです」
わたしはギョギョッとして、
「い、いいって言ったじゃん、朝!! なんでそこまでお返しにこだわるの!? わたし、言ったよね!? 『来年頑張ればいい』って……!」
「来年に持ち越しなんて、良くないです。ぼくは諦めきれないんです、妥協するのが自分で許せないんです」
どんどん胸が高鳴る。
どくどくどく。
暑くもないのに、背中の冷汗。
「だ……だからね、利比古くん。そこまで、こだわらなくたって。自分を自分で追い詰めてるんじゃん」
焦り気味に早口で言う。
しかし、
「ぼくチョコレート選びに専念するのでっ」
と、わたしよりも早口に言い、彼はブチッ! と通話を切ってしまった。
どくどくどきどき。
わたしの胸の内側が荒れ狂いまくる。
立ち尽くし……。
× × ×
もうすぐ20時を過ぎる。
ダイニング・キッチンのダイニングテーブルでわたしは待っている。
利比古くんの帰りを待っているのだ。
……足音がした。
帰ってきたんだ。
彼、ダイニング・キッチンに直進してきてる。
身構える。
本来は身構える必要なんか無いのに。
シルバー色の包装の箱を彼が差し出してくる。
黙って受け取る。
彼の眼からやや眼を逸らす情けないわたしは、
「ありがとう」
とフニャフニャと感謝し、
「早いとこ、晩ごはん、温めちゃいなよ」
と言って、出口のほうを向く。
『ありがとう』に続く感謝のコトバを紡げずに、出口にふらふらと近付いていく。
ついにダイニング・キッチンから脱出する。
駆け足で階段に行く。
わたしの駆け足、きっとだれにも見られてないはず。
× × ×
自分の部屋に戻ったわたし。
ドアに背を向け、シルバー色包装のチョコの箱を右手で掴んだままに、立ち尽くす。
「なんで、なんで、わたしのために、ここまでしてくれるの。わたしなんかに、わたしなんかにっ」
撒き散らされるコトバ。
頑張り過ぎだよ利比古くん。
頑張り過ぎなんだからっ。
だれがなんと言おうと、あなたは頑張り過ぎ!!!
わたし、あなたの彼女でもなんでもない。
そこは分かってるんでしょ? 分かってるよねもちろん??
ねえ、分かってるんだよね分かってるんだよね!?!?
もはやベッドにダイビングするしか無くなる。
利比古くん。
これ以上。
これ以上、わたしをヤンデレに近付かせないでよ……。