玄関で東本梢(ひがしもと こずえ)さんを出迎える。
「こんにちは梢さん」
「アツマ君、こんにちは……」
あれっ。
なんだか違和感があるぞ。
梢さんの声に、若干の震えが……?
もしや。
「梢さん」
下向き加減の彼女に、
「緊張してるんですか」
と言う。
びくり、としたようなリアクションを見せる梢さん。
それから彼女は、
「緊張しないわけ……ないし」
と言ってくる。
たしかに、そんなシチュエーションにならざるを得なくなってくるのは明らか。だから、彼女の緊張感も理解できる。
しかし、緊張感と同時に、なにやら『恐怖心』みたいなものを彼女が抱いている気がして、そこが心配だ。
「梢さん。おれの母さんは、べつに怖くなんかないんで」
そう言ったら、視線を上昇させて、無言でおれの顔にピントを合わせてきた。
「だから落ち着いてください」
しばらくおれの顔を凝視したあとで、彼女は、
「信じていいのね」
おれは、
「信じていいですよ」
と、優しく、力強く。
× × ×
コーヒーとお菓子を運ぶのがおれの役目。
仕事場でもらった豆を挽き、特製のホットコーヒーをふたり分淹れる。
それからクッキーやらポッキーやらを大きめの皿に盛って、ふたつのコーヒーカップと共に丸く大きなトレーに載せる。
リビングで向き合う梢さんと母さん。
やはり梢さんは下目がちだ。
対する母さんは例によってニコニコ顔。
もしかすると、母さんがニコニコフェイス過ぎて、かえって梢さんは縮こまってしまっているのかもしれない。
コーヒーカップを置きながらおれは、
「母さん。ちゃんと梢さんに接してくれよな」
「あ~~~ら」
不変のニコニコフェイスでそんな声を上げた母さんは、
「アツマ、あなた、わたしが『笑いながら問い詰めてる』とか誤解してるんじゃないの?」
「そんな誤解するかよっ。梢さんはな、とっても緊張してるんだよ。だからかえって、母さんがニコニコし過ぎると、萎縮しちまうんだ」
「……アツマ君。」
唐突な梢さんの呼びかけが耳に届いた。
「明日美子さんをたしなめないであげて。明日美子さんがニコニコし過ぎてるんじゃなくて、私が縮こまり過ぎてるんだよ」
「で、ですけどっ」
と、おれは梢さんを顧(かえり)みるが、
「このコーヒー、美味しいね」
と唐突におれの淹れたコーヒーを称賛し、
「コーヒーのおかげで、元気出てきた。もっとシャンとするよ、私」
× × ×
親に家賃の援助を打ち切られそう。
でも、子供部屋オバサンと化すのは、イヤだ。
でもでも、身寄りが無くって……。
梢さんがそういう気持ちを打ち明けたのは、マンションで愛とふたりきりのときだった。
愛は、とっさに閃(ひらめ)いて、
『お邸(やしき)に住むのは、どうですか?』
と梢さんに勧めた。
去年の秋から一時的に邸(いえ)に住んでいるサナさんが、年度替わりで新しいアパートに移ることになっている。
したがって邸(いえ)のメンバーがひとり減る。減ったところに梢さんが入ってくれば、2:3の男女比は保たれる。
言わば今日は、そのことに関する『面談』の日だったわけだ。
× × ×
『母さんが拒むのは、ありえない』
そう思って、面談が終わる予定になっている時刻を待っていた。
その時刻になったので、ダイニング・キッチンを抜け出て、面談のリビングに再び入っていった。
母さんと梢さんは、もはや向き合っていなかった。
ソファで相対(あいたい)しているのではなく、同じソファで隣同士で座っていた。
おれは瞬時に、
『やっぱ、そうなるよな』
という気持ちになった。
× × ×
「『ご両親ともちゃんと向き合うのよ。あなたを見捨ててるわけでもないんだから』って、たしなめられちゃった。だけど、厳しかったのは、そこだけだった」
「だから言ったじゃないですかぁ。母さんはそういう気質なんですよ」
「そういや、愛ちゃんも言ってたな。『明日美子さんは、自分の母なんかよりもよっぽど、愛情に溢れてる』って」
「愛のヤツ、母さん贔屓(びいき)なんですよね」
「明日美子さんのもとで思春期を過ごせたから、あんなに美しく立派に成長できたのね」
「タハハ」
玄関まで来た。梢さんが靴を履こうとしているところ。
履き終えて、玄関扉のほうを向きながら、
「明日美子さんは、とっても優しかったけど」
と言い、
「それでも、気は張ってたから、やっぱり『くたびれ』を感じちゃうのは、否定できなくって」
と言い、肩を落とす。
「もう少し休んでからでも……」
とおれは引き留めるが、
「ううん」
と、彼女は扉のノブに手を掛けて、
「たしかに、くたびれ、来てるんだけど」
と言って、
「私、今年で27歳になるんだから。オトナ過ぎるぐらいオトナなんだし」
と言って、
「これぐらいの負荷なら、耐えるべきだし、耐えられるよ」
と言って――、扉を開いた。