木曜の夜。
「愛ちゃん。――きょうは、わたしといっしょに寝ましょう?」
明日美子さんに、そう言われた。
× × ×
いつ以来だろう……明日美子さんの寝室のダブルベッドで、明日美子さんとふたりで寝るのは。
『大学生にもなって、情けない』とは、思わなかった。
19歳の大学2年生だとか、そういうこととは関係なしに、明日美子さんに「甘えないといけない」状態なんだということを……自覚していて。
明日美子さんの添い寝も、当然の成り行きで。
× × ×
すぐ隣に明日美子さんが寝ている。
わたしは、わたしのほうから……距離を詰める。
明日美子さんの温かさが、欲しかった。
わたしの気持ちを見透かすように……サラサラと、わたしの髪を、明日美子さんが撫でてくれる。
中学生に戻ったような感覚を覚えて、もっともっと……甘えたくなる。
× × ×
朝になった。
ぐっすりと寝た。
寝室の壁時計を見たら、寝過ぎなぐらい寝ていたことが判明した。
仕方がないのかもしれない。
最近のわたしの睡眠は、こんな感じだから。
早寝早起きの羽田愛はどこかに行ってしまった。
惰眠をむさぼるごとき日々。
とくに、昨夜は――明日美子さんの優しさに包まれていたから、睡眠時間がさらに延びるのは避けられなかった。
――明日美子さんが、いない。
わたしより早く起きて、寝室を出たのだ。
ダブルベッドの明日美子さんが寝ていたところを見つめて、『どこに行ったのかな……』と考える。
× × ×
寝間着のまま明日美子さんを探し歩いた。
なかなか見当たらず、不安になった。
広いお邸(やしき)を、彷徨うように、歩きに歩き続け……グランドピアノが置いてある部屋の近くの居間のようなスペースに来た。
ソファがL字型に置かれ、奥にはステレオコンポが鎮座しているスペース。
明日美子さんは――そこにいた。
× × ×
斜向かいのソファに座る。
…明日美子さんが、なにも言ってくれなくって、苦しくなる。
「…どうしたんですか? 考えごと…とか、してたんですか?」
「……」
深刻過ぎる顔。
ひたすらの、沈黙。
「わたしのことが……心配なんですか」
訊いてから、愚問だった……と後悔してしまう。
明日美子さんは、やっぱりなにも言ってくれない。
『心配に決まってるでしょ!!』って怒られるほうが、数倍マシなのに。
でも……彼女は、怒らないし、叱らない。
「……わたしのことで、悩んでたりしてたら、ごめんなさい」
謝ってから、不用意に謝ってしまった……とこころを痛める。
今度こそ、怒られるかもしれない……と、思い始めていたら。
「愛ちゃん……。」
彼女の弱々しい声が……聞こえてきた。
「愛ちゃん、わたし……どうしたらいいか、わかんないの。あなたのお母さんになってあげないといけないのに……。あなたのこころの風邪を、治してあげなきゃいけないのに……」
いまにも泣き出しそうな、声。
「オトナ、失格ね」
「そ、そんなこと、ないです。じぶんでじぶんを責めないで、明日美子さん……」
「いいえ……責めるわ」
「そんな……」
明日美子さんの眼が潤む。
「ごめんね……わたし、いろんな意味で失格だわ……」
とうとう、明日美子さんは、泣き始めてしまった。
……もらい泣きするしかなかった。
精一杯に、言う。
「泣かないでっ、お願いだから泣かないでっ、明日美子さん。泣いちゃイヤだ。明日美子さんの泣き顔、わたし見たくない。悲しまないでっ……」
まさに哀願だった。
涙をボロボロ流しながら……明日美子さんに、寄りすがる。
お互いに、泣き合っていた。
そんなところに、
どこからともなく、
――彼が。
アツマくんが。
「――なにやってんだ、ふたりとも」
涙でボロボロのわたしたちに、
「落ち着けよ。…まったく」
と言う。
アツマくんらしからぬ、オトナびた言いかただった。
取り乱しの明日美子さんは、
「アツマっ、わたし失格なのっ、失格なのっ」
と喚くも、
「ハァ?」
と彼は動じずに、
「なーにが失格だ。母さんらしくねーだろが。
母さんは…母さんらしく、してくれや」
「そんなこと、言われたって――」
完全なるうろたえの明日美子さん。
だったのだが、
彼女の頭頂部を――アツマくんが、軽~く小突いた。
ついでに、わたしの頭頂部も、小突いた。
『……』
小突かれて、しょんぼりとなるわたしたち。
しょうがなさすぎるだろ……と言わんばかりの顔つきでアツマくんは、
「カフェインレスコーヒーを淹れてきてやるよ。
朝っぱらから泣き通しなんて――からだに毒だぜ」
と、わたしたちふたりの頭頂部に――手のひらをポン、と優しく乗っけてくれる。