本部キャンパスの端っこのところに来ている。
人の気配がほとんどしない。言わば「穴場」。
古木紬子(ふるき つむぎこ)ちゃんに呼び出されたのだった。
紬子ちゃんはわたしと同期入学、政治経済学部で学んでいる。
わたしは第一文学部。文学部キャンパスから本部キャンパスにやって来たというわけ。
「遠征」みたいなものね。
「――どうして、わたしを本部キャンパスまで来させたの? 文学部キャンパスじゃダメだったの?」
穏やかにわたしは訊いた。
眼の前には紬子ちゃんが立っている。
紬子ちゃんはわたしを見つめるけど、なんにも言ってこない。
「どーしたのかな」
この問いにも答えてくれない彼女。
よく彼女を見てみると、握りしめられた右拳(みぎこぶし)がふるふると震えていることに気づいた。
もしかしたら彼女、マズい状態なのかもしれない。
そう思い始めていたら、彼女が距離を詰めてきた。
「なにか、困りごとでも――」
再度、訊く。
その瞬間に。
すごい勢いで、彼女がわたしを抱きしめてきた……!!
× × ×
穴場の中の穴場といった感じのベンチにふたり腰掛けた。
わたしが提供したハンカチで紬子ちゃんが涙を拭う。
「落ち着いたかな?」
「……もう少し、待ってちょうだい。涙を拭ききったら、話すから」
「話があったのね」
「ええ。ここでしかできない話なの。他人には聞かれたくないの」
それから、ようやく涙を拭い終えた彼女は、わたしにハンカチを渡そうとした。
でもわたしは、「あなたにあげる」と言って、ハンカチを彼女の右手のひらに置いてあげた。
彼女は右手を弱く握る。
そしてそれから、
「……落第しそうなの」
と、いきなり。
え。
マジ。
「マジなのそれ。落第って、イコール留年でしょ? つまりあなた、留年危機ってことなのよね?」
意外。
「そうなのよ……。人生最大の危機なのよ」
「ダブっちゃったら、そんなにマズいの?」
「マズいわ。どんなお料理よりもマズいわ」
「それってもしかして、留年しちゃうと、あなたの『お家(うち)』の体面的に――」
紬子ちゃんが肩を寄せてきた。
弱りに弱った声で、
「そうなのよ。留年なんかしたら、もう表(おもて)には出ていかれないわ。……いいえ、表に出ていかれないどころじゃない。この世に居られなくなっちゃうのよっ」
「そ、そこまで思い詰めなくても」
「思い詰めるのっ!!」
涙声の叫びだった。
とりあえず、彼女の左手に右手で触れてあげて、
「たしかに、あなたは大企業の社長令嬢なわけだから、ダブっちゃったら立場が無くなっちゃうかもしれないわよね。この世に居られないなんて、少し大げさだと思うけど」
と言ってそれから、
「でも、まだダブるって決まったわけじゃないんでしょう? 手遅れじゃないでしょう? まだなんとかなるって、わたしは思うわよ」
「……『なんとかなる』?」
眼を合わせてあげて、力強くコクン、とうなずく。
× × ×
単位がヤバい科目の詳細を紬子ちゃんから訊き出す。
出席点などがヤバそうな科目については、教授との折り合いのつけかたを考える。
テスト1発でなんとかなりそうな科目については、テスト勉強を全面的にわたしが手伝ってあげる。
どうにもならなさそうな科目については、キッパリとあきらめる。どうにもならなさそうなモノを差し引いても、進級するには大丈夫。
「わたし、こういう『助けかた』は得意なのよ」
「『助けかた』……?」
「テキパキしてるでしょ。安心して、紬子ちゃん。あなたがもう少しだけ頑張れば、留年は回避できる」
「愛さん……。」
「なあに」
「愛さん……!」
「また涙声みたいになってるじゃないの」
「わ、私はっ、愛さんに、『ありがとう』って言いたくって」
「そんなに深く感謝してるの?」
「救ってくれたのだもの。絶望しっぱなしだった私を」
「まーた、大げさな」
「誇張して言ってるのではないの。分かってほしいのだけれど」
「じゃあ、分かってあげる」
紬子ちゃんの左手の甲を優しく優しく撫でてあげて、
「もう少しだけ頑張るのよ。でも、頑張るためには、エネルギーが必要だと思うから」
「エネルギー?」
「エネルギーは、どうやったら得られると思う?」
「……まさか」
「そう。あなたが勘付いてる通り。食事よ、食事」
ここでわたしは紬子ちゃんの顔面に眼を凝らした。
明らかに彼女の顔は紅潮し始めている。
なぜ彼女の顔が紅潮し始めてしまっているのか?
その理由は……次回。